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ピアノは弾けるようにならなきゃつまらない(ムーランの話の弁明)

ピアノは弾けるようにならなきゃつまらない(ムーランの話の弁明)

島田 徹

株式会社プラムザ 代表取締役社長。システムコンサルタント。1998年に28歳で起業し、現在も現役のシステムエンジニア、コンサルトとして、ものづくりの第一線で活躍しつつ、開発現場のチームとそのリーダーのあり方を研究し続けている。

当ブログ「そろそろ脳内ビジネスの話をしようか」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/noubiz/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


先日、


という記事を書きまして、プロのライターの方に

「クソクソってこんなに連発する汚い文章を初めて見た」
「F○ckin'を連呼するタランティーノの再来かと思った」

と褒められてしまいました。

いや、不愉快な思いをさせてしまいまして申し訳ありません。表現もさることながら、内容的にも、もうちょっと、若い方々が受け入れやすい言い方はあったのではないかと反省する毎日です。

少しだけ弁明させてくださいm(_ _)m

私は、就職した先のルールに何が何でも合わせて、奴隷のように働くべしと言っているわけではありません。

当然のことながら、社員の善意を商品対価に転化させて、

これがわが社のサービス力だ(キリッ

みたいに言うようなブラック企業への就職は避けるべきですし、明らかに労働基準法違反なことをやっているような会社であれば、労働基準監督署に通報しますたすべきだと思っています。


しかし、やはりピアノでもスポーツでもそうですが、できるようになるためには、ある程度「前人を信じてやってみる」ことが大事だと思うのです。

今はネット社会で、玉石混交の情報があふれているためか、どうも殊更に「疑う」ことばかりうまくなっている人が多く、逆に「信じる」ことが出来なくなってしまっている気がするのです。

これは、実は成長の上では大きな足かせです。


たとえば私の娘が今8歳で、これは相当ピアノがうまいわけです。そして頭もいいですし顔もいいので、将来東大出身のフジテレビ女子アナということで、中野美奈子さんの後釜に「とくダネ!」に出演させようと思っています。(プロデューサーの方、このブログをみていらっしゃったら、どうぞよろしくお願いします)

それはおいておきまして、彼女がピアノを始めた4歳くらいは、私も暗譜した「チューリップ」や「猫踏んじゃった」のさわりなど引いて喜ばれていたのですが、今ではそんなのは鼻で笑われる始末です。

「猫踏んじゃった」なんかは「踏まれた猫の逆襲」というかなり難しい曲で逆襲されます。

彼女がここまでピアノがうまくなったのは、実はピアノ教室でよい先生に出会ったからでもなく、もちろん彼女に生まれついての才能があった訳でもありません。

なんといっても鬼のようなママがいたからなのです。

私なら、「まあ、プロになるわけじゃないし、今週はこれくらいでいいんじゃないか?」と思うレベルの練習量で、ママは決して許してくれません。はじめ30分と決めていた練習時間が、頭に血が上ると45分になり1時間になり。。。

娘が泣いて泣いてうるさいかわいそうなので、「こんなに長い時間、無理だよ!明らかに集中切れてるじゃん!」と止めに入ると、ママはぜーぜー息を切らしながら

「わかった、じゃあまた夕方やろう!」

とか言って、娘を絶望の底に突き落としてました。

当然、娘が当初思い描いていた「ピアノが弾けてルンルンな生活」というイメージはつき壊され、毎日がひたすら鍵盤という憎き相手と対峙する日々となってしまいました。

ピアノを知らない私は、「ちょっとやりすぎじゃないか?」「もっと楽しいイメージで練習させたほうがいいんじゃないか」「こんなんじゃ、ピアノが嫌いになって辞めたいって言うんじゃないか?」と何度か妻に言っていたのですが、妻は一向に手を緩めることはありませんでした。まさに鬼です。

しかし、1年くらいそうこうしているうちに、娘のピアノに向かう態度が大きく変わってきたことに気づきました。

  • 耳で聞いてカンで鍵盤を探るのをやめ、五線譜を指で数えるようになってきました。
  • ふと気がつくといつの間にか30分を過ぎているということが多くなってきました。
  • 音に強弱がついて、弾いているというより演奏している、という感じになってきました。

こうなってくると、ピアノの前に涙はありません。

自分で練習するやり方がわかってきたのです。

怒られて嫌々やるのではなく、積極的に向かうと精神的にはそれほど辛くないということがわかり、初めうまくできなくても悲しむ必要はなく、何度も何度も繰り返しやると出来るようになる、ということを知ってしまったのです。

そこからは、ピアノ教室に行けば毎回先生から褒められるし、一緒にはじめた友達から頭一つ抜けてしまって気持ちがいいですし、デパートや家電量販店の楽器売り場で難しい曲を披露したりして、楽しくてしょうがありません。

もし、鬼ママではなく、やさしいパパと一緒にピアノをやっていたら、こうはならなかったでしょう。

逆にそれこそ、早々に「なんかつまらないからやめるー」と言い出しかねなかったかも知れません。

前回の記事ではこれが言いたかったのです。

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会社に入る前に描いていたイメージというのは、たいてい大きくはずしていることが多いのです。知らないのですから当たり前です。

そんななんとなくのイメージの中で就職先を選び、微妙な勘違いを続けて入ってしまった。そこまでは4歳のうちの娘と同じ状態です。

ここで大人であるみなさんと4歳の娘との大きな違いは、みなさんには鬼ママがいないということです。

世の中に、わかりのいいことをいうパパはたくさんいます。もうこれは本当に多いわけです。

しかし、そんなパパたちの話ばかりを収集して意思決定していると、この先、本当の仕事の面白さというのに到達できません。適当に「自分なりの楽しさ」みたいなものを見つけて、落ち着いてしまって、本当はルールは変えられるのに、そこまで到達できず永遠にルールに縛られ続ける毎日のままです。

やはり苦しい練習あっての、発表会だったり試合だと思うのです。私は、ゼヒ、みなさんに一段突き抜けたところに行って頂きたいです。

仕事での自由はそこにあります。


ということでピアノでは、やさしいダメなパパでしたが、仕事では鬼パパで行きたいと思っている所存であります。