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一人称で「僕」を使ったっていいじゃないか
»2012年9月11日
そろそろ脳内ビジネスの話をしようか
一人称で「僕」を使ったっていいじゃないか
株式会社プラムザ 代表取締役社長。システムコンサルタント。1998年に28歳で起業し、現在も現役のシステムエンジニア、コンサルトとして、ものづくりの第一線で活躍しつつ、開発現場のチームとそのリーダーのあり方を研究し続けている。
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私は一番初めの会社に就職した頃から、大人は自分のことを『私』と呼ぶものだと信じていた。誰が私にそんなステレオタイプな常識を吹き込んだか覚えていないが、それは絶対のルールだった。
だから社会人になって、つい自分のことを『僕は...』なんて言ってしまったら、赤面して『あ、いや、この会社の簿価はですね...』なんて言い直していたものだ。
今や社会人も20年目くらい。おかげさまで、すっかり一人称は『私』が根づいてしまったが、どうしてもくだけた感じを出したくて『僕』を使いたいことがある。
でも普段『私』を使っているのに突然『僕』を使うのはちょっと違う。似非だ。根性無しだ。
終始『僕』を貫いている人は、カッコいい。伊達男だ。
そしてビジネスシーンでも『僕』は衆目を集めるものだ。
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数社が集まるある会議で、主催の会社の部長がこんなことを言う。
「今お配りした資料のように、私どもの調べでは、この商品の購買層は20代の女性。だから今回の販促キャンペーンのコンセプトはその層にターゲットを絞ってみたいと思うのです。協力会社のみなさんには、是非その方向で一肌脱いでいただきたく。。」
ここであなたが異論を唱えたいのだが、その発言の一人称を何にするかで、部長さんに与えるインパクトは大きく変わってくる。
(ケース1)
「私はそうは思いません」
→部長:(何だこいつは...!下請けのくせに!ケンカ売ってるのか?それともそもそもの予算が合わないので無茶言って降りようってのか。とにかく会議の進行の腰を折る奴は大嫌いだ。どこの会社だ?こいつは二度と呼ぶな。)
最悪である。「私」は堅い。冷たい。その一人称で発せられる意見は、相手の防衛本能を呼び起こさせてしまうのだ。
(ケース2)
「自分はそうは思いません」
→部長:(お、来たな、体育会系。異論を言うからには首を切られる覚悟は出来てるんだろうな。望み通り発言が終わったら切ってやるよ、お前のところなんか。くそう、思った通りの黒髪・短髪のさわやかボーイだな。さぞやモテることだろう。俺はモテる奴は大嫌いだ!)
「自分」は、基本的に上下関係を重んじる体育会系の一人称。従ってその言葉ではじまる異論は「お裁きはなんなりとお受けいたますが、殿のためにどうしても言わせてください」と、やたら低姿勢かつ重厚な発言になってしまう。
(ケース3)
「僕はそうは思わないなー」
→部長:(おっと、僕ちゃん、待ってたよっ!マーケターの連中はどうも信用できないんだ。結論ありきの数字ばかり並べてきやがって新鮮味がない。絶対に奴らが儲からない方向にはならないからな。さて、僕ちゃんの純真無垢な発想を聞かせてくれたまえ。)
一人称に『僕』を使うと、ビジネスの枠の一歩外から見た純粋な感覚と取られる。今のような閉塞感のある状況では、様々な人間関係を調整するバランス能力よりも素のままの自分の感性を押し出した方が重宝がられるのだ。
『僕』強し。
(ケース4)
「あたし?あたしは、そうは思わないわ」
→部長:(オネエ!オネエの感性は僕ちゃん以上だ。ジェンダーの壁を越えたニュートラルな発言が聞けるから好きなんだ。オネエが白と言ったら黒いカラスも白い!さあ、今日はどんな言葉でダメ出ししてくれるんだ?)
これまでの20年のビジネス生活で、オネエキャラを隠さず押し出してきた人が二人居る。彼らは、上下関係や立場にとらわれず、あけすけに真理を突くことで絶大なるパワーを発揮していた。しかし、それがゆえに長い付き合いになってくると上から煙たがられ、また彼ら自身も人の好き嫌いが激しく、人間関係でちょっとしたトラブルになると自ら去って行ってしまう、という難しい性質もあった。
他に『おいら』、『おら』、『ミー』、『わて』...、いろいろあるが、ひろゆきキャラか芸人キャラじゃない限りナチュラルに使いこなすのは難しい。
、、、ということで、一般の男性ビジネスマンがワンランク上のステージを狙うなら、やっぱり『僕』だということがお分かりいただけただろう。
とりあえず、大人たちは学生に「社会人になったら絶対『私』を使うものだ」などと、ウソを教えないことだ。
いや、半分本当の話。