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002.【自分の事】入社はしたものの、、、
IT雑貨屋、日々のつづり
002.【自分の事】入社はしたものの、、、
1967年生まれ、神奈川県横浜市在住。ひょんな事からIT業界に努めて四半世紀、嫁と子供2人、あとメス猫一匹を抱えて、日々奮闘しているエンジニア(??)です。趣味はバイクと読書。IT業界の事、仕事の事、趣味や日々の雑感などについて、これから書いていきたいと思います。
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最近、めっきりと寒くなってきて、個人的には何時からコートを着るべきか悩んでいます。
佐藤@IT雑貨屋です。
前回は自己紹介もかねて、業界に就職するまでの事を書かせてもらいました。
今回の記事はその続きについて、書いていきます。
自身の事を書くというのは、なかなか難しいのですが、なるべく記憶をたどりながら、そこで自身が学べた教訓について記す事で、自身の経験の整理にもなると考えています。
拙い文書ですが、お暇のある方は、今回もお付き合いくださいませ。
さて、あまりに安易にシステム開発ベンダに就職が決まったのは、それはそれで良いことなのですが、「システム開発はブログラムを作る事」程度の認識しかなく、かつブログラムといっても高校の授業でFORTRANとBASICを学んだ程度、OSという単語の意味すら知らず入社してしまいました。
まあ採用する方もする方ですが、私も今から考えれば「若い」というだけで、何とかなるという安直な考えもあったと思います。
入社した会社は横浜にあった従業員20名のシステム開発ベンダで、2次元CADの自社製品の開発と販売をしている会社でした。
配属されたのはシステム開発部、同期入社では30歳のベテラン1名、それと元ヤンキーあがり(失礼ですね、こういう表現)でメーカでシステム開発経験のある人(これは23歳)、あと一人はズブな素人の私と3名です。
システム開発部の陣容は、久保田利伸に似ている部長1名、ライオン丸の様に髭を生やした主任1名、あと女性社員とアルバイト2名の5名体制でしたが、3名が中途入社で入ったので8名体制となりました。
入社早々渡されたのは、米国製のミニコンOSの操作マニュアルとC言語の教本。
「解らなかったら質問して下さいね。」
先輩女子社員にそう言われましたが、私の方は「質問する事が解らない」といった状況で、、、早くも挫折感を感じ始めていました。
システム開発部とは言っても、当時のシステム屋は皆似たようなものかもしれませんが、一人に一台の端末なんてありません。私が操作を許されたのは、ミニコンに接続された端末4台のうち1台。
そしてその端末でプログラムの作り方から、コンパイルの仕方を先輩女性社員から説明されましたが、意味もわからず手順だけを覚えるのに精一杯。
それでも入社して3ヶ月の試用期間内には何とか、プログラムを作成できるまでになりました。
今でも覚えているのは、先輩たち(これは自分以外の全員ですが。。。)のキーボード裁きの素早さです。特に女性の先輩社員はブラインドタッチで「チャカチャカ」と軽やかに入力していましたが、私はというと、ブラインドタッチはできずに「カチャ、カチャ、カチャチャ」という案配。
試用期間が終了すると、同期3名はこぞってミニコン上のCADコマンド開発のプロジェクトに配属され、仕事を進める事となりました。
当時は仕様書などなく、プログラムを作成する際に、作成する関数のインターフェースを口頭で指示され、ミニコンに搭載されているライブラリ関数を組み合わせて作成するという流れでした。
かなり乱暴な進め方だと、今から思うと感じますが、納期が逼迫していたので、そういった書類を書く時間もなかったんでしょうね。
ただこの仕事の中で覚えているのは、私が作成した関数は悉く作り直しされていたという事。
つまりは忙しいプロジェクトの中で、即戦力になっていなかったという訳です。
まあそんなこんなで納品が終わり、次期開発へ向けて開発部の会議がありました。
そこで部長から、次の業務についての説明と、担当の割り振りの説明がありました。
同期入社の3名は、主任の下で継続してミニコンCADのコマンド開発。
あと自社パッケージのCAD開発が部長を頭に先輩女性社員とアルバイト2名。
よくよく見ると、配布された資料にも私の名前がありません。
自分は何をしたら良いのだろう・・・おずおずと手をあげて部長に質問しました。
「あのー、私は何をしたら良いのでしょうか?」
そう質問する私に、「久保田利伸」似の部長は静かに言いました。
「ああ、佐藤君ね。君は仕事ができないから何もしなくて良いよ。僕は仕事のできない人間には仕事を振るつもりはないから。」
静まりかえる会議室。
この言葉を聞いて、まもなく20歳になろうとしていた私は凍り付いてしまったのです。
今回はここまで。
今から考えると、当時の私は何も考えずに平々凡々としていたんでしょうね。
さてさて、、この後どうなっていくのか、それはまた次回に致します。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。