誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。

日本のクラウン、ここにあり――豊田章男社長スピーチ全文

»2012年12月26日
別冊 誠Style

日本のクラウン、ここにあり――豊田章男社長スピーチ全文

岡田 大助

誠Styleの中の人。いまはちょっと遊軍記者、なのかな?


2012年12月25日、14代目となる新型クラウンの発表会が渋谷のヒカリエで開催されました。およそ1時間、ほかのクルマの発表会と比べて密度が高かったイベントの中で、15分間のスピーチを行った豊田章男社長。後年、カリスマ性のある社長の1人として挙げられてもおかしくないかもな、と思うほど熱のこもったスピーチでしたので、その全文を起こしてみました。

  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 新型クラウンにかける私の想いについて、お話をさせていただきます。クラウンについて語るには、どうしてもこれまでの歴史に触れないわけにはいきません。それはクラウンが日本でも数少ない歴史を語れるクルマだからだと思います。

 トヨタは今年、1937年の創業から75周年という節目の年を迎えました。ただ自動車を作るのではない、日本人の頭と腕で日本に自動車工業を作らねばならない。これは創業者であり、私の祖父である豊田喜一郎の志です。トヨタは創業期から海外メーカーに学びながら、自分たちの頭と腕で日本に自動車産業を興すのだという気概を持って取り組んでまいりました。

 そうした中、純国産技術による本格的乗用車としてデビューしたのが初代クラウンでした。今から57年前、創業からは18年たった1955年1月のことです。そして、この開発をまとめたのがトヨタ初の主査でもある中村健也さんでした。

 初代クラウンに採用した前輪ダブルウィッシュボーンサスペンションなど、最新技術のいくつかは大口ユーザーであったタクシー業界の方々から猛反対されました。当時の悪い路面状況から考えて、耐久性に不安があることが反対の理由でした。これに対し中村さんは「メーカーの技術上の問題が解決できれば、乗り心地の良さはお客さまへのサービス向上につながる」といわれ、あえて最新技術を採用されたそうでございます。

 また初代クラウンはトヨタが初めて北米に輸出した、輸出第1号のクルマでもございます。グローバリゼーションへの挑戦もクラウンから始まったというわけです。いいと思うことは、たとえ周囲に反対されてもやる、常に世界に挑戦する気概を持ち、新しい技術にチャレンジしていく。中村さんの信念はクラウンスピリットとして今もトヨタの開発担当者の心に生き続けております。

 そしてクラウンの歴史は、3代目の「白いクラウン」、7代目の「いつかはクラウン」、12代目の「ゼロクラウン」へと続いてまいります。王冠の名のごとく、日本の高級車の最高峰であり続けるクルマ。いつの時代もクラウンは日本を背負ってきたように思います。そして世界に対し、「日本のクラウンここにあり」ということを示してきたと自負しております。

 最高峰のクルマをお客さまのプライド、そのクルマの開発、生産、販売に携わるすべての人のプライド。クラウンは日本の、日本人のプライドを乗せて走ってきたクルマだと思っております。

 今の日本は、日本の自動車産業はどうでしょうか。たいへん厳しい局面に立たされていると思います。六重苦という厳しい経営環境の中で、日本のものづくりは守れるのか。若者のクルマ離れが叫ばれ、日本の自動車市場が縮小するなかで、クルマはあこがれの存在であり続けることができるのか。

 私の答えは「イエス」です。ただし、そのためにはトヨタという会社も、クラウンというクルマも、生まれ変わらなければなりません。

 「いつかはクラウン」というフレーズに代表されるように、クルマがステータスシンボルであり、新型車がでれば買い替えるといった時代は終わったと思います。クルマを買い替える理由が見付けられない。これが今の日本のお客さまの正直な気持ちではないかと思います。

 理屈ではなく、ひと目みて「あ、これほしい」と思わせるクルマ。そして、一度乗ったら「ずっと乗っていたい」と思わせるクルマ。クルマを降りたらもう一度ふり返り「買ってよかったな」と思わせるクルマ。そんなクラウンを作りたい。

 そのために新型クラウンではデザインと走りに徹底的にこだわりました。私自身も新時代のクラウン、徹底的にこだわりました。特にデザインについては、最後の最後まで妥協を許しませんでした。そして商品化を決める最終の会議で、デザインチームが提案してきたものは、これまでのクラウンの保守的なイメージを覆す、大胆なデザインでした。

 「これがクラウンか」社内には反対意見もありましたが、私自身は素直に「このクルマがほしい、早くこのクルマのドライバーズシートに座ってみたい」と思いました。そして、実際に新型クラウンを運転したときの私の第一声は「ゼロクラウンを超えた」。

 ロイヤルでも本当に楽しく走れますし、ハイブリッドバージョンではこれまでのハイブリッドの概念を大きく変える走りに、思わず笑みがこぼれました。特に2.5リッター4気筒ハイブリッドには今後の市場を切り開く大きな力を感じました。ぜひともみなさまがたにもハンドルを握っていただき、新型クラウンの走りをご体感いただきたいと思います。

 そして新型クラウン誕生を可能にしたのが日本の誇る生産技術です。さきほど申し上げましたとおり、これからのクルマには「あ、これほしい」と思わせる魅力的なデザインが大変重要になります。

 クルマを量産するに当たり、常に存在するのが、実際に作れるのかという問題です。今回のクラウンでは生産技術陣は、「作れるのか」ではなく「作ってみせる」との気概をもって取り組んでくれました。

 従来型よりタイヤを張り出した踏ん張り感のあるリアビューを実現するなど、日本の生産技術が新型クラウンの斬新なデザインを支えております。このクルマは日本でしか作れません。デザイン改革は生産技術改革なしには成り立たないのです。

 そして新型クラウンをお客さまにお届けするのが、トヨタで最も長い歴史をもち、クラウンとともに日本のお客さまのカーライフをサポートしてきたトヨタ店です。

 国内の自動車市場が縮小するなか、長い間、国内生産は輸出によって支えられてまいりました。しかし、超円高が続く現在、輸出による生産増はもはや期待できません。国内市場の活性化なくして日本のものづくりは守れないのです。

 新型クラウンは動かなくなった国内市場を、お客さまを動かすことができるのか。新型クラウンの戦いはライバルに勝つための戦いではございません。日本市場の復活と日本のものづくり死守を賭けた戦いです。国内市場を、お客さまの気持ちを動かしてみせる。そうした気概をもって、トヨタ店は新型クラウンをお客さまにお届けしてまいります。

 日本のクラウン、ここにあり。第14代目として、歴史に名を刻むにふさわしい新しいクラウンが誕生しました。

 私は社長に就任して以来、社内に対して「もっといいクルマを作ろうよ」ということだけを繰り返し、繰り返し言ってまいりました。「社長がいうもっといいクルマとはどんなクルマですか」就任直後は社内でもこうした質問を受けることがたびたびありましたが、そのたびに「あなたが思ういいクルマを作ってください」とだけ答えてまいりました。

 これまでリーマンショックの影響による赤字転落、米国における品質問題、東日本大震災、タイの洪水などいくつもの困難がありました。そうした困難に直面するたびに、少しずつではありますが、トヨタで働く人たち、トヨタにかかわる人たちの心が1つになってきた、ワンチームになってきたと感じております。

 いまでは開発、生産、販売など、トヨタの各機能が自律的に、もっといいクルマとは何かを考え、さまざまな取り組みを進めております。私たちトヨタは生まれ変わりたいと思っております。

 たくさんのクルマを売り、たくさんの利益を出すことを一番に考える会社ではなく、お客さまの笑顔のために、もっともっといいクルマを作る会社に。それが私たちトヨタのリボーンです。

 新型クラウンはトヨタにかかわるすべての人が、もっといいクルマを作ることを一番に考えて作り上げたクルマです。そうした意味で、新型クラウンはトヨタのリボーンの象徴だと思います。

 新しく生まれ変わったクラウンを、もっともっといいクルマを作る会社に生まれ変わろうとしているトヨタを、これからも応援いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。ご静聴ありがとうございました。