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毎朝同じ○○新聞を読んではいけない。

毎朝同じ○○新聞を読んではいけない。

武澤 一登

自動車製造ライン工→書店店員→経理事務→エンジニアと職を変え、今も何とか生きています。今は大学生から法科大学院生と身分を変え、無謀にも法律家になろうとしています。

当ブログ「反対の立場から見た、原則の支配する世界」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/takezawakazuto/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


日本で起きているさまざまな出来事について知るのに、あなたはどのような情報源を持っているだろうか。

昔から存在する新聞をはじめとして、テレビ、雑誌、あるいは最近ではインターネットのウェブサイトもその情報源としているかもしれない。また、取引先相手や、果ては家族、近所の人からも話を聞くこともあるかもしれない。

さまざまな情報源から仕入れた情報の中には、誇張されたもの、そもそも真実でないものが含まれている。一方で、決して知らされない事実もある。言うまでもなく、正しい判断をするためには、その前提として正しい事実を知っていることが必要である。

この点は、誰しも異論がないであろう。また、そうであるからこそ、日頃からさまざまな情報源に触れているという人も多いであろう。

だが、こと日本においては、巨大なマスメディアが情報を一方的に提供していることに、注意しなければならない。たとえば、最近の新聞記事や雑誌などにおいて、消費税の税率がやれ上がるだなどと書き立てている。日本の国民が一同に介して話し合ったわけでもないのに、この消費税が争点だなどと言われるようになっている。

そうすると、争点なるものは一種のフィクションに過ぎないのだが、争点とされた場合には、何だかこの争点につき賛成するか反対するかで投票行動を決めなければならないかのようである。

争点化されることで、争点として扱われなかった、ひょっとするともっと重大な問題が隠されてしまう。政治とカネの問題は影をひそめ、炭素税など環境問題は意識から外れ、年金記録問題はすでに過去のものになってしまったかのようである。

恐ろしいことは、このような争点化の選別は得てして意図的に行われる場合があるということだ。いわば、目眩ましのようなものだ。このように華々しい問題をあえて我々の眼前に突き出し、決して目立たないがしかしより重要でかつ都合の悪い問題を隠蔽してしまう。

まして、他国と異なり市民メディアが発達していない我が国では、情報の「受け手側」が意識して、その隠蔽の事実と真実を得る機会とを、勝ち得ていかなければならない。これは言うのは簡単であるが、実際上は大変に難しいものだ。ある意見に対する反対意見は探しやすいが、そもそも隠された別の問題を、別な側面から発見しなければならないからだ。

この問題の解決のために、よい方法がある。一つは、情報源を根本的に変えてしまうというやり方がある。たとえば、日本語のサイトばかりではなく、国外サイトから情報を仕入れるのもよいだろう。日本の新聞や雑誌などが報じない、日本での不都合な真実について、国外のサイトが的確にとらえているのが理解できるだろう。

第二に、あえて自分が嫌悪感を催すほどに、反対の意見を持つ者の言い分に耳を傾けてみることである。人は無意識に耳ざわりのよい意見ばかりを摂取するから、あえて意識的に理解しようとすることが重要だ。すると、意外と新鮮な視点から物事を捉えることができることに気づくだろう。

一番よくない情報の摂取方法は、常に同じ情報源に習慣的に触れてしまうことだ。もう何年も同じ新聞をとっているだとか、特定の経済誌ばかりを愛読しているとかいうのは、この意味で問題がある。

恐ろしいのは、意図的に流された問題を考えさせられ、このことで「真の問題」を考える機会を奪われることである。