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雇用慣行に含まれる原則と、これに従わなかった場合の結果

雇用慣行に含まれる原則と、これに従わなかった場合の結果

武澤 一登

自動車製造ライン工→書店店員→経理事務→エンジニアと職を変え、今も何とか生きています。今は大学生から法科大学院生と身分を変え、無謀にも法律家になろうとしています。

当ブログ「反対の立場から見た、原則の支配する世界」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/takezawakazuto/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


はじめに

ここ札幌にも遅い夏がやってきました。夏といっても、熱帯夜となるほどに気温は高くありません。したがって、クーラーなしでも生活できます。あまり暑いわけではないのですが、ビアガーデンは盛況のようです。道民になって初めての夏を迎えたときは、「ビアガーデンに行きたくなるほど暑いわけじゃないのに...」と少し違和感を持っていたのですが、涼しい夜でもビアガーデンに行くのは、短い夏を楽しもうという道民の夏の楽しみ方なのだとか。飲み過ぎ食べ過ぎに注意しつつ、過ごしていきたいです。本州にお住まいの方で、ジメジメした夏に嫌気が差したら、北海道へどうぞ!

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今年の大学生の就職活動も、昨年同様に厳しい状況のようだ。中には、せっかく内定をもらったのに取り消される「内定切り」や、入社した後試用期間中に解雇される「入社切り」をされる者もある。悲しいかな、この国は労働者を大事にしない国になってしまった。今日は、この「内定切り」等についてどのように理解し、使用者、労働者がともに幸せになるためにはどうすべきかを考えたい。

この「内定切り」とは、内定をなかったことにすることをいう。内定とは、労働契約締結の予約であるから、何らの補償もなく当然に「全くなかったことにする」ことはできない。また、労働契約により得られる所得は労働者にとっては生活の基盤であるから、使用者側からのその取消しは制約を受けることになる。

ご存知の通り、日本では終身雇用制がなくなったとされた。しかし、日本独特の雇用慣行は依然として多数存在する。正社員とパート・アルバイトの別、職制別に横並びの報酬体系、業種横断的な労働組合の不存在、サービス残業などなどだ。新卒学生の内定も、これに入るだろう。

一方、今まで慣行だとされたものが破棄されたものがある。もっとも重要なものに、パート・アルバイトの原則自由化がある。他国と異なり、正社員とパート・アルバイトとの待遇の差が激しい我が国では、正社員かパート・アルバイトかの差は待遇に決定的な影響を及ぼす。他に破棄されたものとして、解雇を経営者の恥とすること、新卒以外の労働者を養成することを放棄したこと、などがある。

確認しておきたいことは、このような雇用慣行の取捨選択という現象は、何か自然発生的に生じた化学変化ではない、ということだ。言い換えれば、この取捨選択は、意図的になされているもので、普遍的なものでも、妥当なものでもない、ということだ。したがって、この取捨選択はなお訂正され、あるいは見たことがない新たなものも慣行とされることがあり得る。

このような取捨選択は労働市場の「改革」として行われた。改革は、単なる一部修正とか、補正とかいうものではない。本ブログでいう、「原則」の変更である。すなわち、改革とは、今まで原則としてきたいくつかについて、それを捨て去り、新たな原則を採用したことを示す。日本の過去の歴史においても、享保の改革とか、明治維新とかいう改革が行われた。これらも、財政健全を最優先にするとか、幕藩体制を捨て去るとか、原則を変更している。

その改革が良かったかどうかは、単純に改革前と、改革後における使用者および労働者の結果を比較すれば理解できる。すなわち、企業の収益、内部留保額、倒産件数などと、労働者の所得、被雇用者数、被雇用者の消費支出、貯蓄額などを比較すればよい。

労働者の場合、この改革は悪であったのは明白であろう。たとえば、改革前は、パート・アルバイトという雇用形態は、お小遣い稼ぎ、すなわち、高校生が何かほしいものがある場合などに、手っ取り早くお金を得るためのものであった。今は、生活の糧を得るためのものとなった。最近では、経験のある大学生のアルバイト店長に、新入バイトの40歳代の男性が使われる。工場でも働いている大部分の人はパート・アルバイト形態で、正社員はごく少数というところも出てきた。

所得は減り、ボーナスも特に増額もされない。雇用は正社員も含めて不安定で、にもかかわらず要求される仕事の水準は天井知らずだ。サービス残業も半ば強制させられるのに、そんなに仕事量が多いので人員を増やすかと思えば、人は減らされさらに仕事が増えるという悪循環だ。

一方、使用者側である企業は、一連の改革後、景気回復の恩恵を一身に受け、過去最高益を得て内部留保額を積み増した。ここまでは改革は成功したに見えた。しかし、景気が再び低迷期を迎えると、業績はたちまち悪化し、どんな手を打っても利益は出なくなってしまった。株価も急落低迷し、円高になっても国内需要がない上海外に生産拠点を移したこともあって、輸入によるメリットを受けられなくなった。

頼みの綱で、政府の補助に頼るしかないが、当然財政には限界がある。それほど景気の落ち込み幅は大きくないのに、倒産件数は急上昇している。景気悪化に対応できるのは、それまで内部留保を積み増しした企業のみとなる。このような企業ですら、内部留保を食い潰しているのを見ると、先行きは明るいとするのは楽観的に過ぎるだろう。

結局、改革は現在のところ、失敗したものと評価することができるように思う。その原因は、原則を捨て去ったことに尽きる。原則はいかなる状況下でも通用しうるからこそ原則である。ゆえに、原則から外れた者は容赦なくしっぺ返しをくらう。原則に忠実であれば、危難を乗り越えることも可能となる。しかし、原則が良いとか、悪いとかいう話ではない。常に原則は中立である。

それでは、どうすればよいのか。まずは、改革が失敗したのであれば、取りあえず改革前に戻ることが求められる。トヨタも「顧客安全第一」という原則を捨てた結果、一連のリコール問題に発展し、創立以来の最大の危機を迎えてしまった。その後、原則に立ち戻り、今のところ何とか生きながらえようとしている。原則から外れたと思ったら、すぐに立ち戻ることが何より重要である。

この上で、今一度守るべき原則を確認する必要がある。過去の優れた経営者の中に、誰一人として、自らの存在する国を大事にしなかった者はいない。また、従業員を軽視した者も、教育研修を軽んじた者もいない。特に日本は何一つ天然資源に恵まれない島国にもかかわらず、経済成長を遂げた実績もある。確認すべき原則は、すぐそこに明示されているのではないだろうか。

労働者側も、同様に守るべき原則を確認する必要がある。憲法では、国民でも消費者でもない「労働者」に着目し、固有の労働者の人権を保障している。憲法は、この保障を通して、労働者が団結して自己の要求を主張することを価値として認めている。そうであれば、労働者は現状に安穏とせず、あるいはあきらめず、まずはこの固有の権利を主張する必要がある。権利を行使しない者には、厳しい結果が待っている。

必要なら、専門家のアドバイスを受けることだ。相談機関も充実しているから、アクセスを望めばいつでも得ることができる。冷たいようだが、権利を主張しない者が保護されないのは、原則の一つとされている。機会が与えられた以上、その機会を利用するか否かは各自に任せられている。その結果、機会を利用しないと決めたあとの不利益な結果を被るのは、仕方のないことなのだ。

大変恐縮だが、内定切りに限らず、今の多くの人たちは、リーダー的存在の人も含め、原則から外れていることを確認しないまま、むやみやたらに努力を続けているように見える。原則から外れた努力は逆に有害であり、それに反する存在をも失わせる。顧客第一が原則なのに、いかに顧客を黙らせクレーム率を減少させるテクニックを日々研究しても、会社の倒産が結果として現れるのは自明である。

この話が滑稽なのであれば、同様に、労働者でもあり消費者でもある者の所得を切り詰める結果、消費が低迷し低価格のものしか売れず、結局売上は伸び悩み、全体として倒産件数が上昇するのもまた滑稽な話ではないのかと思う。同じく、自らの糧を得る唯一の道具である会社の利益に全く興味を持たず、労働者固有の権利を使い経営者に直接要求もせず、日々ToDoだけをこなす結果、ある日突然ヒマを申し渡されるという結果になるという話も滑稽さ加減ではひけを取らないように思う。

私は、経営者と労働者とがともに共有する原則を守り、日々ミッションに励むことができる雇用慣行が確立されてほしいと思う。そしてこれは十分実現可能で、しかもその効果は絶大だと信じる。