誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。
精神性の時代と言われているが、世界史的に見ると確かにその流れだと思われる~高校教科書レベルですみませんが・・・(#191)
ビジネスライターという仕事
精神性の時代と言われているが、世界史的に見ると確かにその流れだと思われる~高校教科書レベルですみませんが・・・(#191)
ITブレークスルー代表、ビジネスライター
当ブログ「ビジネスライターという仕事」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/toppakoh/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
技術一辺倒ではなく、ベースに精神性を持とう。
昨日の記事で、『もういちど読む 山川世界史』を読んでいるという話を書きました。
▼教育の難しさについては前々から感じていたが、意外なところに理由があった(#190)
http://blogs.bizmakoto.jp/toppakoh/entry/1270.html
すでに18世紀まで読み進めました(ここからが長いのですが)。そこで、ハッとする記事を見つけたので、少し書いてみたいと思います。
●私が子供だった1970から80年代は、欧米一辺倒だった
読んだ記事を、一部引用します。これは、読者として想定されている「大人向けのコラム」の一節です。
7世紀の誕生以来1000年あいだ、世界史上でつねに拡大・発展の方向へむかってきたイスラーム世界は、17世紀末以降、それまでほとんど経験したことのなかった停滞・後進の局面をむかえた。あたらしく革新された科学、技術、思想、制度をもったヨーロッパは、しだいにイスラーム世界派の圧力を強め、18世紀末には、ナポレオンのひきいるフランス軍が、一時的とはいえ、エジプトを占領するにいたった。
(中略)
このような事態は、イスラーム教徒知識人に「イスラームの危機」としてとらえられた。ただし、彼らの考えでは、この危機はヨーロッパ勢力の進出によってイスラーム世界が弱体化しておこったのではなかった。イスラームの教え自体の堕落が、結果として西洋列強への従属を招いたと考えられた。
(中略)
1970年のイラン革命や1980年以降イスラーム諸国で急速に力をのばしているイスラーム原理主義も、西欧の影響を排除し、本来のイスラームにもどれと主張する点で、18世紀以来の一連の運動の延長線上にあるといえる。
「世界の歴史」編集委員会=編『もういちど読む 山川世界史』
こんなことは常識だと思っている人がいる反面、はじめて知ったという人もいるでしょう。わざわざ「大人向けのコラム」に書かれていることから考えると、少なくとも編者たちは、常識ではないと思っているのだと考えられます。
私は、言われてみたらそのとおりだが、そのような視点で見たことはなかったという感想でした。
考えてみれば、私が子供の頃は、アジアというのは遅れていると、ふつうの人は感じていたように思います。アメリカがベトナム戦争に敗北したのは多少のショックでしたが、それでも文明といえば欧米中心、ファッション・映画・音楽などの文化でも欧米優位だと思っていました。
なので、世界史もメインは西洋史でした。西洋史の流れの中で、他の地域の歴史をあてはめていくという見方が主流でした(唯一例外は、中国史ぐらいで、中国と西洋の関係というのは見えづらいものでした)。
しかし、確かに17世紀までは、イスラーム世界のほうが、文化・文明という意味で、西洋よりは圧倒的な高みにありました。その後も、オスマン・トルコで西洋的な改革もありましたが、イスラーム世界は一貫して、精神性を保とうと努力してきました。
911のテロも、現在のイスラム情勢も、この流れの中で見なければ理解できません。歴史の浅いアメリカが簡単に制圧できるような世界ではないのです。
●日本は世界の中でも遅れているが・・・
日本で、欧米一辺倒の考え(日本の伝統を語るにしても、西洋の比較でしか語れなかったのは、その一種だと言えます)から、ようやく変わってきたのは、この10年ぐらいではないかと思います。
欧米一辺倒の考えというのは、ごくごく乱暴にまとめると、技術やテクニック、あるいは強さが重要という考え方(=それがあったから欧米は世界を支配できていたという考え方)です。
当の欧米で、1960年代後半からそのような考えが崩れてきていたことを考えると皮肉な話です。
イスラーム世界は、ずっと欧米一辺倒とは違っていた。
日本においては、公用語が英語その他の欧米語でないにも関わらず、ずっと欧米的な思想が、すくなくとも学校教育で吹き込まれてきた。
なので、いまだに会社の公用語を英語にしようなんて人たちも出てくる始末・・・(今日言いたいのはこの話ではありませんが)。
いまだに欧米一辺倒で、技術やテクニック、あるいは強さが重要だと考える人が多いという意味では、日本は世界の中でも遅れているんじゃないかと思います。
ただ、日本には、歴史も自然も人材もまだまだいます。けっして悲観すべき状況ではないとも思っています。
●身近な話に戻すと
壮大で深い話を、浅い知識でまとめようとしているので、ところどころ論理が破綻していると思います。その点は、ご容赦ください。
私は、現在いろいろなところでビジネスのコンサルや、ビジネスセミナーの講師をさせていただいています。
その現場で感じるのは、日本では「技術やテクニック、あるいは強さが重要という考え方」が深く浸透しているということです。
我々のコンサルは、このような考え方ではなく、まず根底に理念があり、他社とは基本的に競争しないということから入ります。技術やテクニックは必要ですが、ベースがしっかりしていないと、身につかないという考え方です。
しかし、現場ではテクニックや技術や、技術から発展する商品力がまずありきで、精神性は会社が儲かるようになってから身につければいい、ある意味ぜいたく品のようなものだという考えが強い。そんなことより、いますぐ商品が売れるテクニックを教えてよ、と言われることさえある。
「イスラームの教え自体の堕落が、結果として西洋列強への従属を招いた」というアラブの人々の考え方を我々も見習うべきだと思った次第です。
ここに来て、中小IT企業からの相談を受けることが増えており、ここ数ヶ月の新規顧問先は、すべてIT企業という状況です。
そこで、中小IT企業の経営者あるいは営業マネージャ限定のセミナーを開催することにしました。
← 詳しくはクリック--
コミュニケーションについて一緒に考えるメルマガ「週刊突破口!」はこちらから