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鏡は、不思議なのか不思議でないのか?(#215)
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Q)鏡は上下は正しく映るのに、左右は逆に映るのはなぜでしょうか?
今朝、読売新聞の「編集手帳」を読んでいたら、この疑問が冒頭に出ていました。
右往左往している菅政権がそのうち上下もひっくり返らないか心配という、新聞記者独特のユーモア(?)で締めくくっていました。
新聞記者のユーモアのレベルに関する議論はさておき、私は前置き部分のほうが気になりました。
- 筆者は、科学オンチを暴露するようなのでこの疑問を口に出せないでいた
- 朝永振一郎博士の随筆を読むと、科学者同士でも甲論乙駁(ばく)の珍説明が続出したので、筆者は安心した
まとめるとこういうことが書かれていました。
ここから読み取れることは、「鏡に映る像は、左右が逆でも、上下は逆にならない」ということが科学的にものすごく難しい話で、一流の科学者でも説明が難しい、とこの筆者が思っているということです。
編集手帳の筆者と同様に思っている人は多いのようですが、実はそんなことはありません。
冷静に考えれば、上下はもちろん左右も逆にはなっていません。左にあるものは左に映っており、右にあるものは右に映っています。何の不思議もないのです。
ですので、冒頭の問いに対する答えは、上下も左右もひっくり返っていません、が正解です。
ほとんどの人が、ここでなるほどと納得します。これ以上は考えようとしません。
もっとも科学者も上の答えを聞いて、「そんなこと、正射影なんだからあたりまえだろ!」と言うに違いありません。
朝永博士の随筆に出てきた科学者は、これとは違う議論をしていたのだと思います。
この随筆は読んでいないので、別の例を挙げますが、おそらく似たような議論をしていたのではないかと推察します。
野崎昭弘さんの『詭弁論理学』(中公新書)という本に、「鏡をめぐっての会話」という付録があり、そこで物理学科の生徒と先生と数学家の先生の3人が、冒頭の問いについて議論しているものがあります。
ここでは何を議論しているかというと、簡単にいえば、上下も左右も実際にはひっくり返っていないのに、なぜ左右だけがひっくり返ったと感じるのだろう、ということなのです。
上下と左右はなんだか質の違うもののようだ。上下というのは簡単に定義できるが、左右はそう簡単ではない。いや、上下だって、宇宙空間にいけば簡単には定義できません。
あるいは、鏡を床において、その上に立ったら、今度は上下が逆になりますね。その瞬間、左右逆転という概念はどこかに吹っ飛んでいるはずです。それどころか右手は右側にあるなあとあたりまえのことを改めて感じるはずです。
ここで変わっているのは、鏡の性質ではなく、人間の認識なのです。
そう。哲学的な議論なのです。哲学的議論だけあって、結論は出ません。
けっして「科学オンチ」だから分からないという議論ではないのです。逆に科学が分かれば分かるという議論でもありません。
今日の一言)納得する答えが出るとそこで思考停止するものだが、さらに先の議論は必ず存在する。
結論(今日の一言)は、論理的に飛躍があると思いますが、なんとなく感じ取っていただければと思います。そうでないと、かなり長くなってしまいます。
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