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【自分軸】この熱い魂を伝えたいんや
当ブログ「ビジネスライターという仕事」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/toppakoh/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
今回は、自分が逃げ続けてきたことを残念に思い、今からでもやり直したいという方、あるいはそういう人の力になりたいと思う方のみ、お読みください。
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「この熱い魂を伝えたいんや」というタイトルは、音楽ファンならご存知かもしれません。
1975年に、上田正樹&サウス・トゥ・サウスが発表したライブ・アルバムのタイトルです。
「魂」は、黒人音楽であるソウル・ミュージックの「ソウル」と掛けています。日本人が出したソウル・ミュージックのアルバムとしては出色のものだと僕は評価しています。
上田正樹は、あの「悲しい色やね」の大ヒットで知られる上田正樹です。関西では、愛を込めて「キー坊」と呼ばれています。
あやうく音楽の薀蓄になりそうでした。何でこんなタイトルをつけたかというと、僕も「この熱い魂を伝えたいんや」と思ったからです。
●体調を壊して布団の中でfacebookを見ていたら
先週ぐらいから体調が悪く、一昨日の7月9日の夜、セミナーの講師を努めたのですが、それで体調の悪さがピークに達してしまいました。
幸い昨日は出かける用事もなかったので、1日布団で寝込みながら、読書をしたり、スマホを見たりしていました。
facebookのタイムラインを何気なく見ていたら、友人の一人が、「滝汗ならぬ滝涙してしまった。。(¶A¶)」とコメントをして、Youtubeの動画をリンクしていました。
▼『人生の醍醐味』 我武者羅應援團 團長 武藤貴宏 ※職場ではクリックしないでくださいね。
僕は、「感動系」というものに辟易しています。どうも嘘っぱちが多いと思っているからです。嘘っぱちが言い過ぎなら、演出過剰です。
しかし、このときは心も体も弱っていたからか、それとも直感が働いたのか、その辺は良く分からないのですが、ついクリックしてしまいました。
そして、結局途中でやめられずに最後まで見てしまったのです。
感動と言うよりも、頭を殴られたようなショックを受けました。
●逃げ続けてきた後悔が一歩進む力になる
動画の内容を簡単に紹介しましょう。
ある学校での特別授業風景の動画です。武藤さんは学生相手に次のような話をします。
彼は、高校に入学したときに応援団に入りました。
新入部員はたった一人だったのに、怖い先輩が12人もいたため、武藤さんは2週間の仮入部期間で辞めてしまいました。
武藤さんは、この経験の後、何をするのにも自信がなくなりました。
そんな自分が嫌になり、自分を変えようと単身アメリカに留学しました。
往きの飛行機ですでに後悔したそうです。
大学の授業を受けても英語がさっぱり分からない。授業内容はおろか、どこが宿題なのかも分からない。授業が終わると講師に宿題の箇所を確認し、授業が始まる前には今日はテキストのどこをやるのかを聞く。それでも授業がさっぱり聞き取れない。
そんな英語力なので友達もできません。最初は日本人を珍しがって寄ってきた同級生たちも、受け答えが面白くないので結局全員去っていきました。いつもカフェテリアで一人で昼食を取っていたそうです。
3年経ってようやくアメリカでの生活にも慣れてきて、なんとか大学を卒業。
英語ができるようになったなんてことは武藤さんに言わせればどうでもいいのだそうです。
そうではなく、毎日日本に逃げ帰りたいと思ったことを我慢して、やり遂げたことでようやく自信ができた。それが大きいと。
そして、今では一度逃げ出した応援団を、プロとしてやっている。
僕は武藤貴宏という人を知りません。ネットで調べても年齢さえ分からなかった。そんな人を信用していいのかと言われれば正直自信はありません。
ただ、紹介した動画の9分34秒から流れる我武者羅應援團の応援歌『リベンジ』には、心を打たれました。
一言でいえば、「逃げ続けてきた後悔が一歩進む力になる」という歌です。
●小学校1年生のときから逃げ続けていた
僕は、動画を見終わって、頭をガツンと殴られたような気がしました。
「逃げ続けてきた」というのは、まさに僕のことだと。
そして、今でもすかした人生を生きているなあと思ったのです。
思えば、僕の挫折人生は、すでに小学校1年生のときから始まっていたと思います。
僕は小学校に入る直前の年の12月に千葉市に引っ越してきました。
あと4ヶ月という期間で受け入れてくれる幼稚園はなく、小学校に入学した段階では、クラスに知っている子は一人もいませんでした。
幸い団地に住んでいたので、集団登校というのがあり、近所の子から少しずつ友達は増えましたが、人見知りで引っ込み思案な性格はなかなか直らず、自分から友達を作るのは苦手でした。
同性に対してもこんな感じなので、女の子となんか口もきけません。
男の子同士では誰が好きとかって小学1年生でも打ち明け合ったりします。
子どもは残酷なもので、僕が誰々ちゃんが好きだというのを聞いて、それを本人の前で言ってしまうやつがいるんです。
するとその女の子が「私は森川君は好きじゃないわ」とか、さらに残酷なことを言うわけです。
このショックは後を引きました。それ以来女の子に告白するということができなくなったのです。僕は23歳まで彼女ができませんでした。
また、友達を作るのも長い間苦手でした。作っても次々離れていきました。小学校以来いまだに付き合っている友達は3人だけです。
●高校の部活から逃げた
僕は運動もあまり得意ではなかったので、結局勉強に逃げ込んだのだと思います。おかげさまで学業成績だけは良かった。
球技だけはそこそこできたので、中学ではバレーボール部に入りました。本当は野球部に入るつもりでいたのだけど、担任がたまたまバレー部の顧問だったので、あまり考えずに入りました。
バレー部の練習は、校内でも一番厳しいと評判だったのですが、僕は何とか3年間やり遂げ、それが自信にもなりました。
高校では、本当にやりたかった野球部に入りました。
ところが、こちらは半年で辞めてしまいました。
体も壊したんです。でも、高校の部活は中学よりも桁違いに厳しかったのが本当の理由です。
高校はOBが怖いんですよ。いい年した大学生や社会人は中学の部活になんか遊びに行きません。高校の部活に来る。この人たちがまた怖いんです。練習もOBが来ると突然厳しくなる。
殴ったりはしないんだけど、しごきと罵声がきつかった。
部活を辞める決心をしたときに、同級生にその話をしたんです。
彼は言いましたね。「森川、逃げたら絶対後悔するぞ」って。
実際に後悔しました。
大学に入ってから、『エースをねらえ!』の劇場版アニメを見て泣きました。それは感動の涙ではなく、後悔の涙でした。
僕の高校生活は不完全燃焼で終わってしまって、もう二度と帰ってこないんだと。
●学者になる夢もすぐにあきらめた
大学もそう。
最初は学者になりたいと思って京都大学に入ったんです。いい会社に就職したいとかキャリア公務員になりたいなんて人間は文学部になんか行かない。
でも、入学してすぐに無理だと思った。
そんなにすごく頭がいいと思ったやつはいなかったんです。でも、すぐに才能が違うと思いました。
学者になろうなんて連中は、勉強する力が全然違うんです。
1日10何時間本を読み続けても全然平気。哲学書なんか原書で読む。これは自分には無理だと思いました。それでまた逃げた。
かなりダラダラした大学生活を送り、4回生のときには、かなりの単位を残していました。
あまりにもダラダラした自分が怖くなり、とにかく卒業することにしました。
なんとか就職先を決めて、教授に会社に提出する推薦書を書いてもらいに行った時に言われました。「学部の単位はなんとかしてあげられるけど、教養の単位は自分で頑張れよ」と。
そう。教養の単位をかなり残していたのです。それで、本当に卒業できるのかドキドキでしたが、なんとか卒業し、晴れて社会人になりました。
今でも、単位が足りなくて、実は卒業していなかったという夢をたまに見ます。
●仕事からも逃げ続けた
社会人になってからも逃げ続けの人生でした。
10年ぐらいは踏ん張っていたのですが、あるプロジェクトを途中で投げ出してからはもういけない。次々とうまくいかないプロジェクトから、上手に逃げるようになりました。
いつしか、森川はプロジェクトを最後までやれないマネージャだとの悪評が立つようになりました。
その後、いくつかうまく行ったプロジェクトもあったのですが(そうでなきゃクビです)、ついにあるプロジェクトで神経症になり、会社を2ヶ月休みました。
その後なんとか立ち直り、リベンジを図ったのですが、今度は張り切りすぎて、キャパシティを超えた案件数になりました。僕も部下も疲弊し、退職する部下が続出しました。
とうとう辞表を書きましたが、事業部長の引止めにあいました。
今度新しく営業企画部門が立ち上がるのでそちらで再起をしないかと言われたのです。その勧めに従い、逃げるように異動しました。
●転職しても独立しても事業が軌道に乗っても・・・
そこでも社内の営業部門から総スカンを食らい、期待に応える努力もせず、転職という形で逃げ出しました。
営業として転職したのですが、仕事が取れずに悶々とするようになりました。客先に行くと称しては、ストレスでかちこちになった体をほぐしにマッサージに行ったりしていました。
そういう自分が嫌になり、昔ある研修で一緒になった方に相談しました。その方は営業が得意だったので、営業のやり方を教えてもらおうと思ったのです。
すると、実はその人がITエンジニアとしての僕を買ってくれていて、商品を売るという苦手なことはやめて、自分を売らないかと言ってくれました。
ITコンサルタントとして独立しないかと言うのです。その言葉に飛びついて、今度も逃げるように独立しました。
ITコンサルタントの仕事は2社で都合2年やったのですが、これも2社とも逃げるように辞めました。
2社目を辞めたときは、充電期間と称して3ヶ月間釣りと読書に逃げていました。
その後、会社を興すのですが、半年間仕事がなく、妻からは「もう絶望ね」と言われました。
それで奮起するどころか、もうどうやって死のうかと思うようになりました。
それでも死ぬ勇気もなく、ブログで集客するというセミナーがあったので参加しました。
そこでたまたま、今お伝えしている自分軸の原型となる考え方を知り、自分軸を見つけ出すことでようやく事業が軌道に乗るようになりました。
コンサルの仕事が次々と取れるようになりました。ところが、また情熱を失い、クライアントにきちっと向き合うことができなくなりました。
それで、1つ、2つと仕事が減ったのですが、東日本大震災を契機に1つを残して全部の仕事がなくなりました。
●震災後1年を棒に振る
僕は、震災後の悲惨な状況を見ていて、自分には何もできることはないとまた逃げ出し、1年近くを棒に振りました。
2012年、プロブロガーの立花岳志さんが僕の自分軸セミナーのことを本に書いてくれたのをきっかけに、自分軸発見支援を再開しました。
今度は、そちらに集中するのですが、すぐに稼げるわけがありません。10月ごろには銀行預金が底をつきました。
それで、また死にたいという思うようになりました。
そのときに相談した方からはバイトしてでも頑張れという励ましをいただきました。また妻からは就職したらと言われました。
それで気が軽くなり、一時期はバイト先や就職先を探しました。
でも、それだったら今まで頭を下げなかった取引先に仕事をもらいに行くほうがいいと気がつき、それを実践しました。
すると不思議なことに、他からも仕事が来るようになり、安定とはいえませんが、そこそこ収入が確保できるようになりました。
ただ、本当にぶれない軸を手に入れたのかと言われれば、正直自信はなかったのです。
●過去の自分のような人をなんとかしたい
応援歌『リベンジ』に戻ります。
僕は、下の歌詞に心を打たれ、頭を殴られたのです。
いつしかそうやって逃げること 当たり前になっていた
もう一度人生やり直せたら あの日に戻りたい
そう言って俺は気がついた 今からやっても遅くない
僕は何のために、自分軸の発見支援をやっているのか?
それを思い出したのでした。
「過去の自分のような人をなんとかしたい!」
これは、昨年2012年に自分軸発見支援を再開したときに作った「自分軸」の「なぜ」の部分にも書いてあったことです。
それってどんな人間なんだろう?
応援歌『リベンジ』に描かれているような人です。
逃げ続けて、情けなく、悔しく、自分が好きになれない――そういう人です。
そういう人が、その後悔を明日に進む力に変えて欲しい。
そう思って、自分軸の発見支援を再開したのではなかったか?
でも、僕は本当にそうしてきたのか?
すかした言い方で、ウケをねらい、いろんな人に働きかけることで、早く稼げる道を探したいだけではなかったのか?
●今からやっても遅くない
早く稼ぎたい。これは本音です。
別に贅沢したいわけではありません。今でも十分贅沢していると思っています。
先ほど振り返っても逃げ続けのひどい人生です。妻に心配も迷惑もかけているのは、言うまでもありません。それを何とかしたい。
あとはまだ元気だけど、いつ面倒を見なければいけなくなるか分からない両親のこと。そのあたりを考えると稼がないという選択肢はあり得ません。
しかし、僕は収入だけでは逃げ出してしまう人間です。こればかりは過去の実績があり過ぎます。
原点に立ち返らないといけない。使命を全うしないといけない。そういう気持ちがないと続きません。
では、原点はなんだったのか?
先ほども書いたとおりです。
逃げ続けて、情けなく、悔しく、自分が好きになれない――そういう人が、その後悔を明日に進む力に変えて欲しい。
これのはずです。
こういう人の力になりたい。
あるいは、こういう人を何とかしたいと思っている人の力になりたい。
こういう熱い魂が自分にもあったことを、我武者羅應援團の動画を見て思い出しました。
これまでは、早く稼ぐことばかり考えてすかしたことばかりを言っていた――そんな気がします。
なので、今回からははっきりと伝えます。
そういう人のためだったら、僕は本当に力になれる。
だって、そういう人の気持ちがたぶん日本で一番良く分かるのだから。
だから、今からやっても遅くない!
僕ももちろん、あなたももちろん。
僕の作った「決定版セミナー~自分軸のすべて」の内容は、リベンジしたい人、リベンジしたい人を助けたい人に最適の内容になっています。
実際に、セミナーやワークショップをやった後に引き続き連絡をくださる方は、振り返ってみたらそのような方ばかりでした。
来てくださった方に対しては、伝わるものは伝わっていた。
ただ、自分の中で明確でなかったので、そういう人を集められずにいた。そう反省しています。
なので、今度からははっきりと言います。
逃げ続けて、情けなく、悔しく、自分が好きになれないけど、その後悔を明日に進む力に変えたい方。あるいはそういう方の助けになりたい方。
そういう方にとってはたぶん日本一のセミナーのはずです。このセミナーに来てくださるのが一番いい。
武藤さんのような授業もできないし、キー坊のようなライブもできないけれど、僕は僕なりに僕の魂を伝えるつもりです。
ぜひお越しください。
来てくださって、どうもこの森川というのは信用できないと思われたなら、全額返金いたします。
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いきなりセミナーはどうも・・・、という方は無料連続メールセミナーを是非。
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