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4月3日 学ぶことは無限にある~会社の愚痴が無意味な理由(#315)
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会社は、学校である。しかも、給料をもらいながら学べる学校である。
よく聞く言い方で、私もそうだと思います。ただ、会社にいたときには、あまりありがたみを感じていませんでしたが・・・。
なので、無理に会社にありがたみを感じる必要もないと思うのです(そんな殊勝さがなくても、なんとかなりますし、またいつか気づくものです)。
しかし、会社の愚痴をいうのは、無意味だなあと思うのです。
なぜ、そう思うかというと、今読んでいる『「認められたいの正体』(山竹伸二)という本に次のように書いてあるんですね。
人間の欲求で一番強いのは、承認されたいという欲求で、それには、3つの段階があると。
親和的承認(家族、恋人などの「親和的他者」からの無条件的な承認)、集団的承認(学校、会社など属する集団の仲間内である「集団的他者」からの承認)、一般的承認(コンプライアンスや良識など社会規範を人格化した「一般的他者」からの承認)の3つだそうです。
会社の愚痴を言っても承認してくれる仲間はいます。この場合は、集団的承認になりますが、さらにメジャーな集団(会社)側から認められないマイノリティとなっていきます。
すると、愚痴を言っているだけで、会社を変える力にはなっていきません。会社は変わらないまま、待遇だけが悪くなり、ますます愚痴を言うようになる。
そこで今度は、家族や恋人の承認(親和的承認)を求めようと思うのですが、会社の悪口なんか(健康や精神に支障をきたすような働き方でもさせられていない限り)家族や恋人には、ただただうざいものです。
もうあんなやさしくない女(男)とは別れる、みたいな話になりかねません。
一方、一般的他者は、前向きに会社の変革に取り組む人は、たとえうまくいかなくても高く評価しますが、逆の人は評価しません。
最後まで会社の悪口を言って干されて、家族や恋人にも疎まれている人がヒーローの映画やドラマに金を出すスポンサーがいるとは思えません。
しかしながら、このような人はたくさんいます。世の中の人すべてが、親和的他者だと思っているのでしょう。
実際のところ、親和的他者と集団的他者と一般的他者の区別がついていない人は、本当にたくさんいます。私も、この概念を知るまで、多少ごっちゃにして、変なタイミングで変な甘え方を人にしたな、と反省しています。
今日の一言)親和的他者と集団的他者と一般的他者の区別を明確につけて、変な甘え方をしないように気をつけよう。