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12月3日 道~過去を悔いず、現在を改める(#559)
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自分には自分の道しかない。他人の道に心をうばわれていても道はひらけない。まず歩め――松下幸之助さんは、このように説きます。
自分の道というと、運命のようにも感じます。努力がどうとかは関係なくあらかじめ定められた未来。その過程として努力するかどうかも、すでに決定済みだったとしたら。
キリスト教を文字通り信じると、未来は決定論となります。全能の神はすべての設計を終えているからです。
カルヴィンの教えは特にそうでした。神はすべてを決定している。だからこそ労働は尊いと。神の国に行く者は勤勉努力するものと決定されているから。
それまで聖職者が「労働を尊い」と発言したことはヨーロッパでは(中国でも)なかったので、これは画期的なことであり、マックス・ウェーバーは、この考え方が資本主義成立の原因になったとしています。
というようなことをずいぶん昔、高校の頃に習ったのですが、どうもうさんくさい。
こういう理屈なんです。
神の国にいける者は勤勉努力したものだけ。ただし、勤勉努力したからといって神の国にいけるとは限らない。だけど、勤勉努力しない者は神の国に行ける可能性はない。だから勤勉努力しなさい。
宝くじを買わない限り3億円は当たらないよ、と言われているのと理屈はまったく一緒です。そんな理屈が、資本主義なんていう巨大なムーブメントを支えているというのだろうか?(どうも、そうらしいのですが・・・)
もちろん宝くじがあたらないのと神の国にいけないのではインパクトが違うというのは分かります。
ただ、ヨーロッパの人たちが、それほどキリスト教を信じていたのかといえば、どうも怪しい。
キリスト教徒でもない我々日本人でも知っている、イエスの言葉があるではないですか。曰く、「金持ちが神の国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより難しい」
勤勉努力して、金持ちになったら、今度はそのせいで神の国に入れなくなるわけです。それとも、カルヴィンの言うことは聞くが、イエスの言葉は無視ということなのだろうか?しかし、そもそもプロテスタンティズムというのは聖書の教え通りに生きることではなかったのか?
まあ、彼らからすれば筋は通っているのでしょう。教徒以外にはご都合主義で矛盾に満ちているようにしか思えませんが......(資本主義も、それと切っても切れない民主主義も所詮はその程度の基礎ということなのかもしれません)。
我々東洋人が大切にすべきは、儒教精神のように思われます。昌平黌学頭というバリバリの体制派でありながら、幕末の志士たちにも多大な影響を与えた佐藤一斎の「言志四録」より。
昨の非を悔ゆる者は之れ有り、今の過を改むる者は鮮(すく)なし。
今やることが未来の結果につながるわけです。だとしたら、過去の失敗を後悔するのは何も生まないからムダであり、今この瞬間に後悔しないように改善することが大切と言っています。
ここには、人生は決定論なのかどうなのかというような議論はなく、勤勉でも天国に行けるのかどうか分からないというような矛盾もなく、ただただ、今を生きるという意思だけがあります。
今日の一言)昨の非を悔ゆる者は之れ有り、今の過を改むる者は鮮(すく)なし。
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見込み客には会えるのに、なかなか提案や見積に進めない営業マンっていますよね?
ほとんどの場合、初回訪問で持っていく商談ツールに問題があるようです。
まさかとは思いますが、会社から与えられた商品パンフレットなんかで説明してはいないですよね?
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本年の一日一言は、『松下幸之助 成功の金言365』を毎日1ページずつ読んで、自問自答するという趣向です。
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