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なぜ我々は相手を怒らせるのか?

なぜ我々は相手を怒らせるのか?

森川 滋之

ITブレークスルー代表、ビジネスライター

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 昨日、日経SYSTEMSの取材を受けた。コミュニケーションに詳しい人として(日経SYSTEMS編集部ではそのように思われているらしい)、なぜか相手を怒らせてしまう人について、その原因と対策を話してほしいというものだった。

2012年6月号に掲載予定だそうだ。多くの人にインタビューして構成するはずなので、せいぜい気の利いた台詞が一言か二言載る程度だと思う。

なので、ここに自分が話したことを書いておく次第である。

拙い私見ではあるが、参考になる方がいたらうれしい。

 

しい話ではない。まとめると下図のようになる。

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商談でもプレゼンでもデートでも何でも同じ。怒られてしまう人の共通点は、自分の意識(世界と言い換えてもいい)の中に自分しかいない。

商談がうまくいかない営業マンは、自分の商品を売ることばかり考えている。

プレゼンが下手な人は、上手に話そうということしか頭にない(注)。

デートで彼女に切れられる男は、今夜こそ×××したいという気持ちでいっぱい。

あなたにも思い当たることがあるでしょう?

取材してくださった編集者は、「自己中心」、「結論後回し」、「言い訳ばかり」、「上から目線」、「KY」など怒られるバターンを列挙していたが、どれも上の図の「断絶状態」にいるということを確認してほしい。

あなたは、部下や同僚が、お客に怒られている様子を目撃したことがあるかもしれない。そういうときって、いきなり怒られるのではなく、だんだんお客がイライラしてくるのが普通ではないですか?

横で見ていたあなたは、このままではお客が切れると気づいたはず。しかし、本人はまったく気づいていない。

なぜそうなるのか? それは、本人が自分のことしか見ていないからだ。彼の世界にはお客がいない。だから、お客の様子に気づかない。

(注)プレゼンで上がっている人は、聴衆を意識して上がっているわけではないのだ。自分が上がっているということに意識が集中している。うまく話せないと恥をかくということばかり考えていて、聴衆のことなど何も考えていない。 

 

談、プレゼン、デート、打合せ、クレーム処理、etc.。これらはみなコミュニケーションだ。

コミュニケーションには準備がいる。

その準備とは、プレゼンの資料を作って、リハーサルをするというようなことではない。もちろん、そういうことも必要だが、それはあくまでプレゼンの準備であって、コミュニケーションの準備ではない。

コミュニケーションの準備の、その概念はいたって簡単だ。これさえできれば、コミュニケーションはほとんどうまくいく。

それは、自分の中に隙間を作って、相手が入る余地を作ることだ。

隙間を作ったその瞬間、相手はあなたの世界に飛び込んできて、あなたと一体になる。

準備は一瞬で終わる。

相手を見る余裕を作れと言われたことがあるかもしれない。それと同じことなのだが、余裕を作れといわれても少し抽象的だ。

自分しかいない世界に隙間を作るイメージが持てるとラクに余裕が作れる(注)。

ぜひ、やってみてください。

(注)逆に言えば、一瞬で隙間を作って、その瞬間に一体感が作れないと、そのコミュニケーションは失敗する。 上手なプレゼンター、セミナー講師、そして女たらしは、最初の一瞬に賭けている。

 

メージを作るメリットは、まだある。

良好なコミュニケーションには二つの要素があると僕は思っている。

一つは、相手に対する尊重があること。もう一つは、メタ・コミュニケーションがあるということ(上図の「コミュニケーション中」の状態)。

上図の「コミュニケーション中」のイメージを持つと(僕だけかもしれないが)、これらがラクに実現できるようになるのだ。

順に解説していこう。

 

は、自分が尊重されていないと怒り出す。その理由は、逆説的だが、尊重されていると感じることが非常に稀だからだ。なので、「尊重していないことをあからさまにすること」ぐらいはせめてやめてほしいと思うのである。

ということは、尊重されていることが伝わるだけで、人は喜ぶのだ。

どうしても好きになれない相手もいるだろう。しかし、好きになれなくても尊重はできる。

僕は、上図の「コミュニケーション中」のイメージを持つと、相手を尊重しないでいられなくなる。これだけ密着感があると、相手を尊重しないことは、すなわち自分を尊重しないことと一緒に思えてくるからだ。

相手にも子供の頃があり、家族もいて、挫折も含めたいろんな経験があるんだろうと次々と想像が湧いてくる。そうなると、ああ僕はこの人を嫌いなのかもしれないが、少なくともかけがえのない人なんだなあと思えてくる。

かけがえのない人と思えた瞬間、相手への尊重は同時に発生する。

こうなれば、しめたものだ。コミュニケーションは必ずうまくいく。

これ、ご想像のとおり、相当難しい。偉そうに書いている僕だって、嫌いなままでいいと思ったら、やらないことも多いのです。

しかし、少なくともビジネスの場であれば、常に心がけてほしい。これができるだけで、ビジネス力はかなり向上すると思う。

 

タ・コミュニケーションという言葉は、はじめて聞かれたかもしれない。そんなに広く流通している言葉ではないと思う。僕は、つい最近知った。

字義通りに言えば、コミュニケーションのためのコミュニケーションである。

最初に、自分が想定している対象者のレベルについて話したりとか、あらかじめこれから話される内容についての評価(たとえば「これは冗談ですが」などと振りを入れること)をすることなどと言われている。

僕が、もう少し広い概念で考えているのは以下を読めばお分かりだと思う(これも、メタ・コミュニケーションの一例だ)。

コミュニケーションといえば、メッセージを伝え合うことだと思う人が多いのだが、それだけではない。メッセージを効率よく伝えるには、メッセージだけを書いたり、話したりしてもダメなのである。

メッセージの伝達から1歩後ろに引いたところから、やりとりを客観的に見て、伝えたいこと以外も伝えたり、見つけたりしないとコミュニケーションはうまくいかない。

具体的な例はいくらでもある。

この記事でいえば、読者に語りかけていたところが何箇所かあったと思う。これもメタ・コミュニケーションの一種である。

相手の気配を読むのもそうだ。プレゼンでいえば、聴衆を観察すること。商談中にお客が何を見ているかを観察すること。これはみなメタ・コミュニケーションだ。

相手の知識レベルを探る質問なども有効なメタ・コミュニケーションだ。技術者や研究者は、よく専門用語ばかり使うので何を言っているのか分からないと注意される。それで、逐一専門用語を解説しながら話す人がいるのだが、今度はよく知っている人から、バカにするなと怒られることになる(営業マンにもこんな人はたくさんいる)。

相手の知識レベルを確認しておけば、こんなことにはならなかったはずだ。

コミュニケーション・スキルの研修にいくと教えてもらえる、相づち・オウム返し・要約・ペーシング・ミラーリングなどもメタ・コミュニケーションの一種であると僕は捉えている。

 

をいえば、メタ・コミュニケーションこそ、配慮や思いやり、すなわち相手への尊重の表現なのである。

「尊重」と「メタ・コミュニケーション」は、「マインド」と「スキル」の関係なのだ。

僕は、上図の「コミュニケーション中」のイメージが持てると、メタ・コミュニケーションも活発に使えるようになる。

何だか今コミュニケーションがうまくいっていないなと感じたら、「コミュニケーション中」のイメージを思い出してほしい。

たぶん、うまく回り始めると思う。

 

 

追記

自社の考えをインタビューして文書化してほしい方は↓

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