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「執着を手放す」と、よいことが起こる・・・かも。

「執着を手放す」と、よいことが起こる・・・かも。

長谷川 渉

株式会社ナレッジシステムズ代表取締役 企業の成長に必要な「仕組み化」を、IT(ICT)を駆使して実現するシステム実践屋。NLPや心理学の知識を活かしたコンサルティングで「こういうシステムが欲しい」「この業務を自動化したい」というイメージを形にしています。

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こんにちは、システムコンサルタントの長谷川渉です。

今回は、心理カウンセラーとして「執着を手放す」というテーマで、お話をしてみたいと思います。

我ながら、なかなか重いテーマを選んでしまったと思っている所ですが(^_^;)、子どもの頃の実体験を基に、「そんな感じなんだー」と、軽く考えられたり意識してもらえるように、お伝えできたらと思います。

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さて、まず執着とは一体何か?ということを共通認識としておきたいと思います。今回お伝えする執着とは・・・

一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。(大辞泉より引用)

ほかにも色々と説明はありますが、これが一番分かりやすいかなと思い、ご紹介させていただきます。

何となく個人的に「夢中」とも似てるかな?と思ったのですが、夢中の場合は、そのものから意識して離れられることができる点と、もっとポジティブな意味合いで使われることが多い点で、執着とは違うと考えました。(例えば、「勉強に夢中になる」と、「勉強に執着する」と書いてみると、その違いが伝わってくる気がしませんか?)

要は、執着している状態は、必ずしも、(その対象に対して)楽しさや幸せを感じられている状態ではない、ということです。

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この執着について、私の子どもの時の実体験をお話ししたいと思います。

8,9歳の頃のことですので、曖昧な部分もありますが、今振り返ってみると「これが執着を手放すってことだったのかも。」と感じられるエピソードです。

当時、とても流行っていたおもちゃがありました。私はそれを友達が持っていることが羨ましくて、今度の誕生日プレゼントには、絶対それが欲しい!と、親に毎日のように言っていました。

ですが親は「そんなものはすぐに飽きるから、別のものにしなさい。」と言ってきます。そう言われれば言われるほど、逆にそのおもちゃが欲しくなり、四六時中、そのおもちゃのことしか考えられなくなりました。しかも欲しいのに手に入らないかもという、苦しい状態が続く訳です。(これが、執着している状態です。)

親からは「買ってあげない。」というメッセージを受け取り、買ってくれないなんて、なんて酷いんだろう!という想いとその現実から、心はよりそのおもちゃにとらわれています。(執着が強くなっていきます。)

ある日、どうしてもそのおもちゃが見たくて、親に内緒で、デパートのおもちゃ売り場に行きました。お目当てのおもちゃは、すぐに見つかりました。

・・・ですが、友達の家で遊んだ時のあのおもちゃは、あんなに欲しいと思ったのに、ショーケースに飾られているその同じおもちゃを見た時、何だかあまり楽しい気持ちになれなかったのです。不思議ですが、そんなに心底欲しいとは思えなくなってしまったのです。

その日以来、おもちゃが欲しいという気持ちに変わりはありませんでしたが、親には「あのおもちゃがどうしても欲しい!」と言わなくなりました。親は「諦めたのかな?」と感じたのかもしれないですし「ほかに欲しいものができたのかな?」と思ったのかもしれません。(この時点で、私は執着を一旦手放した状態になっています。)

しかし、誕生日には、その欲しがっていたおもちゃを、プレゼントしてくれました。あんなに「飽きるから別のものにしなさい。」と言っていたのにです。もちろん、とても嬉しかった記憶があります。実際に手にとって遊べた時の興奮は、今でも思い出として残っています。(が、親の言うとおり、すぐに飽きた記憶も、あります。(^_^;))


(c) .foto project
※オートバイとキャラクターのおもちゃでした(写真はイメージです)

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あのまま、私がそのおもちゃに執着を持ち続けていたら、親は、そのおもちゃを私に与えてくれたでしょうか?もし、与えてくれたとしても、私は、執着を手放せていた時程、喜ぶことができたでしょうか?

よい例になるか分かりませんが、「勉強に夢中になって、テストで100点が取れた」ことと「勉強に執着して、テストで100点が取れた」状態では、どちらのほうが、よりこころが満たされているか、嬉しい気持ちになっているか、この感覚と同じような気がします。

もし、いま、あなたが何かに「執着」していると感じることがあったら、一旦、それを手放してみては、いかがでしょうか?

難しく考える必要はなく、私が子どもの時のように、「何となく、どっちでもいいや。」という視点で、その対象を見てみるだけでも、手放すということにチャレンジできていると思います。

執着を手放すことを始めると、「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。」「一つのことに心がとらわれず、そこから離れられること。」になります。

つまり、心に余裕が生まれることに、つながる可能性が出てくるのです。

心に余裕がある時には、ちょっとしたことに喜びや幸せを感じやすくなれる気がしています。今日は天気がよくて気分がいいとか、子どもの笑顔がいつもより輝いて見えるとか、そういったことに気が付ける余裕が、生まれると思うのです。

それって、何だかよいことが起こっている・・・気がしませんか?


<1分間メンタル活用法>

「執着するな!」と自分に命令しても、他人から指示されても、簡単にできるなら、最初から執着した状態になんて、なりません。(笑)

ですが、もしあなたが何かに執着してしまい、心が苦しいと感じているのであれば、それを一旦手放すということに、ちょっとだけ意識を向けてみてみませんか?

そうすることで、そこに生まれた「隙間」に、今まで気が付けなかった、何か別の素敵なことに気が付ける余裕が、生まれてくるかもしれません。