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昔はいろんなおバカがいて、楽しかった件

昔はいろんなおバカがいて、楽しかった件

荒木 亨二

ビジネスコンサルタント&執筆業。荒木News Consulting代表。業界をまたいで中小企業経営者のサポートを行う「究極のフリーランス」。2012年より、ビジネス書の執筆ならびに雑誌の連載をスタート。

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先日、ビジネスには時に"バカになりきる必要がある"という記事を書いた。何か新しいチャレンジをするとき、そこにはほどほどの度胸、適度なユーモア、そしてそれなりの潔さが求められる。「合理的な判断」や「緻密な計算」ばかりに頼っていては、人生もビジネスも何も変わらないという内容、そのキーワードとして<良い意味でのバカ>をススメた。

以来、バカになりたいという声がいろんなところから聞こえてきており、毎日バカバカと考えているうちに過去に出逢った<愛しきバカ>たちを想い出してしまった。そんなどうでもいいおバカな話を・・・。

短ラン・ドカンでキメた時代・・・

中学時代、私には仲の良いヤンキー友達がいた。時代は金八先生のちょっと後ということで、ヤンキーの学生服は短ラン、ドカンが定番スタイルであった・・・、と言っても現在の人は分からないから説明すると、短ランとは、着丈の異様に短い学生服の上のことで、お腹がしっかり出てしまうほど短い。裏地は龍の刺繍などでド派手に装飾されていた。

ドカンとは、異様にぶっとい学生ズボンのことである。モモのあたりは足が二本くらい入りそうなほど太く、そのシルエットは鳶職人がはくズボンに似ている。ドカンはいろいろディテールにもこだわっており、ズボンのタックは多いほど格好いい=ワルとされ、さらにハイウエストといって、ベルトの上がより長いほどヨシとされた。

ヤンキーとはある意味<学内・学外最強ファッションショー>でもあり、ケンカ自慢な人ほど強烈な学生服を身にまとうことを許され、ハイウエスト10センチに5タックなど、もはやそれズボンではないよね? と思える奇抜な姿で、日々学校に通っていた。

彼らは意外と清潔であり、学ランの内ポケットには必ず"鏡つきのホコリ取りブラシ"を携帯していた。大切な黒い学ランに白いチリがつくのを異常に嫌い、授業中でも頻繁に短ラン、ドカンをブラシがけし、鏡でヘアースタイルをチェックしていた。休み時間になると短ランの裏地の派手さ自慢をしたり、裏ボタン買い換えたんだ~などと、盛り上がっていた。

学ランは時代と地域によってヤンキースタイルはかなり異なるが、私が暮らした30年近く前の千葉県のとある街はこんな感じだった。ヤンキーなのに毎日学校に来るし、体育のサッカーは真剣にやるし、卒業式は泣いちゃうし・・・。現代の子どもの危険性に比べたらよほど子どもらしい健全な姿だった。

さて、私には学校で一番悪いとされるヤンキー友達のS君がいた。彼は最強なので一番スゴイ格好が許され、自分より太いドカンをはいている人間を見つけるとシメていた。それがプライドである。しかし彼が何とも愛しきおバカだった・・・。

ヤンキーなのに塾に通う?

S君は学習塾に通っていた。30年ほど前の教育事情で言えば、塾通いをする中学生はそれほど多くはなかったのだが、S君は最強ヤンキーにもかかわらず、ちゃっかり塾に通っていたのだ。意外としっかり将来のことを考えていたのだろうか?

ただし彼は最強ヤンキー、意地でも普通には通わない。

何とクルマで通っていた!

今考えればめちゃくちゃである。彼のおうちは両親共働きであった、と記憶する。S君は学校から自宅に戻ると、お気に入りの短ラン・ドカンから私服に着替え、さっそうとクルマに乗り込む。でも彼はまだ中学三年生・・・。私服の彼の表情は、やはり幼い。 

エンジンをかけると、自宅から15分ほどのところにある塾まで、クルマで通うのだ。自宅を開放して行うタイプの塾には駐車場があり、S君は塾に到着すると片手を助手席にまわし、見事なハンドルさばきでバックで車庫入れを完了させ、塾の扉を開けてお勉強タイムに入る。

「やっぱアイツは不良だから車庫入れ上手いよな~」などと、まったく意味の分からない感心をされていた。

ある日、S君はいつものようにスムースに車庫入れを終えてクルマを降りると、それを同級生の女の子に目撃されてしまった。運の悪いことに、学年で嫌われていた女の子だった。マズイ、口止めしなきゃ・・・。得意の脅し攻撃をするのかと思ったら、頼む! 黙ってて! 学校には言わないで! と拝みたおし、頼み込んでいた。

結局、彼のクルマで塾通いの件は、一部の生徒は知っていたが先生は知らなかったと思う。平和? な時代である。 

ちなみに私は普通の学ランだった。裏ボタンをKyonKyonにしてたくらいの、かわいい平均的な中学生だった。でも仲良しのS君のススメによりバイクに乗ったりなんてこともあった。当時はノーヘルオッケーで、バイクを運転していたとある夜、私は思わずあっ! と叫んだ。前方からクラスの担任が運転するクルマがやってきたのだ。

「あっ! あ~ら~き~!」

すれ違うとき、担任の叫ぶ口元が見え、しっかり視線が合ってしまった。こりゃあ、参った・・・。翌朝、クラスの扉を開けると、予想通り、担任がまっさきに私のところへ鬼の形相で向かってきた。

「お前、昨日、バイク乗ってなかったか?」

「・・・まさか、ボク、中学生ですよ。そんなわけないじゃないスか」

担任はしばし沈黙した後ニヤ~リと笑い、そのままホームルームが始まった。先生も愛しきおバカだった。いろいろ、良い時代だった・・・。先生、ゴメンナサイ。 

 (荒木News Consulting 荒木亨二)

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