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サイゾーの記事よりもNAVERまとめの方がいい?

サイゾーの記事よりもNAVERまとめの方がいい?

吉岡 綾乃

Business Media 誠で編集長をしています。本ブログ&Twitterでは、Webメディアや紙メディア、ネットビジネス、携帯電話、非接触ICなどについての話題が中心になる予定。


昨日、Facebookでやたらシェアされていて、1日に6~7回見かけたNAVERまとめがありました。オウム事件で指名手配されていた高橋克也容疑者がマンガ喫茶で発見されたときの顛末をまとめたものです。

→NAVERまとめ: 「高橋克也容疑者逮捕のマンガ喫茶のその後...」
(追記:現在、このリンク先はつながりません。このブログをupした直後、該当のまとめが削除されたようです)

「まとめ」とか「キュレーション」という言葉を聞くことが増えている昨今ですが(弊社でも「ONETOPI」というキュレーションサービスをやってます。キュレーター絶賛募集中) NAVERまとめに限らず、まとめというのは、「1つの目的や言いたいことを分かりやすく見せるために、複数のソース(情報源)から引用してくること」だと何となく理解していました。


さて、さきほどのNAVERまとめ。実際にリンク先を見てみると、まとめとはいっても複数のソースがあるわけではなく、日刊サイゾーの元記事が1本であること、その記事をタイトル変更し、「見出し+本文」の形にまとめた内容であることが分かりました。

→日刊サイゾー:「『なんで1社だけなんだ!』ズレた方向に存分な効果を発揮したメディア・スクラム」

ちなみに、サイゾーの元記事は90ツイート、NAVERまとめは4125ツイートされています(2012/06/19深夜時点。現在はもっと増えてます)。このまとめ、相当な数の人の目に留まっていると思っていいでしょう。


●なぜ元記事よりNAVERまとめのほうが読まれたのか?

上にも書いたとおり、まとめというのは「複数ソースからの引用」が原則だと思っていました。でもこのまとめの場合、引用元が1つですし、すでに引用ではなく「転載」レベル。元の記事を書いた記者はおそらく「NAVERまとめじゃなくて、元記事を読んでくれよ!」と思っていると思います、多分。


私も記者の端くれなので、「どうして元記事じゃなくてまとめをシェアするわけ?」という気持ちは分からなくもないんですが、その一方で「それって、記事よりまとめ形式のほうが読みやすいってこと?」とも考えさせられたり......。少なくとも、FBやTwitterでのシェアにはサイゾーの記事よりNAVERまとめの記事のほうが向いている、とは言えそうです。
 

いくつか理由を考えてみました。

  • 小見出しがないサイゾーの記事より、「たくさんの見出し+短い本文」のNAVERまとめのほうが読みやすい
  • まとめのタイトルには「高橋克也容疑者」「マンガ喫茶」など、人目を引く分かりやすいキーワードが入っていた
  • サイゾーの記事を開くとアダルトっぽいサムネイルやバナーが多く(女性の胸元がいっぱい)、人に勧めにくい
  • スマートフォンで見た場合(SNS、特にTwitterで拡散したものはスマートフォンで見られることが多い)、NAVERまとめのほうが見やすい

......といったところでしょうか。  

  うち(Business Media 誠)は「読み応えがある内容を」を編集方針としていることもあり、日刊サイゾー以上に、長くてじっくり読ませる記事が多いのです。しかしSNSでの拡散を考えたとき、果たしてそれがいいことなのか? もしかして普通の記事より、NAVERまとめみたいなスタイルのほうが求められているのか? と考えてみたりして。

そしてもう一つ考えてしまったのが、「まとめ」と言いつつ無断転載になってしまっていること。記事の二次掲載を許可されているわけではないネット上のテキストコンテンツ(例えばYahoo! やmixi、ニコニコニュース に載っている誠/ITmediaの記事は、正式に契約を結んでいるものです) が無断で転載され、本家の記事以上に読まれている場合、果たしてメディアとしてはどう対応したらいいのだろう......と、記事の内容とは関係ないところでいろいろ考えさせられてしまったのでした。テキストでなく音楽については、ちょうどこんな記事が読まれているタイミングでもありますし。


●お門違いな平等意識?
ちなみにこの記事そのものについての感想ですが......Twitterなどを見ていると「マスゴミ」「マスコミは何のためにあるのか」といった声が多いようですが、私個人の感想としては、「日本人の国民性とも言える「間違った平等意識」が発動してしまった不幸な事例かな」と思っています。

本来であれば「スクープ(店内から生中継)とったミヤネ屋すごいね」となるべきところでしょう。それがどうして「ミヤネ屋に取材させたんだからうちにも取材させろ」と、出し抜かれた怒りとなってしまうのか。この勘違いが過激な行動につながってしまうのが不幸だなあと思うのです。

とはいえ、この間違った平等意識・横並び意識がある意味リアル化したものが「記者クラブ問題」とも言えるので、まあ、日本のマスコミの伝統的な体質なのかもしれませんけれど......。