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会議における義務~諸葛亮孔明の言葉~

会議における義務~諸葛亮孔明の言葉~

細島 誠彦

株式会社TransamManagementSystem代表取締役。 中央大学法学部卒業後、ベンチャー企業その他企業の経営企画室長、管理本部長、CFO、取締役を歴任。経営戦略構築、マーケティング戦略構築、新規事業の立ち上げや財務戦略、M&Aなど、企業の参謀業務に従事。

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『官署に集まって意見を述べあうということは、
多くの思想が集合することであり、忠義と利益がふえることである。
しかしながら、もしも小さな疑問を遠ざけ、
予見や認識のちがいをつきつめることをやめてしまえば、
政治に損害を与えることになる。
審理をおこなって、適切な結論を得ることは、
ちょうど破れたわらじを棄てて珠玉を獲るようなものである。』
(三国志10 宮城谷昌光 P99)

これは宮城谷昌光氏による『三国志』10巻で諸葛亮孔明が会議について述べた言葉である。
欧米の会議がどういうものかはわからないが、
日本では他の人を気にして、会議において

・そもそも発言しない
・なるべく敵対しないようにする
・自らの意見をださないようにする

ということが多分にあるように思う。

私が過去、そして今も会議に参加していて感じることは、
ずっと変わらない。

"何も言わない"のであれば、そこにいる意味はないし、
そもそも、そこにいる資格(役職など)を辞退すべきである。
なぜ、この人はここにいるのだろうという人は必ずいる。

わざわざ敵対する必要はないが、
場の雰囲気が悪くなるとか、目をつけられることを恐れている人も、
同様のことが言える。
わかっていないで意見を述べないということは百歩譲って許せても、
わかっていて意見を述べないことほどの罪はない。

そのように、存在自体は参加していながら、
実質参加していない人に限って、
後から
「ダメだと思った」
などと言う。
自らの罪を認めるような発言でしかない。

経営がうまくいくというのは、
うまくいく確率を増やしていく作業の連続である。

孔明の言葉にあるように、小さな疑問をも解決し、
その確率をあげていく作業の連続である。
その作業を続けなければ、損害を与えることになり、
珠玉を得ることはできない。

その際、人とうまくいくとか、目を付けられるとか、雰囲気が悪くなる
とかいったことは、二の次の次に次の・・・問題でしかない。
つまりは、どうでもいい些末な事項に過ぎない。
何が大事かは、会議の意味にある。