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『無用の用』について考えてみる

『無用の用』について考えてみる

細島 誠彦

株式会社TransamManagementSystem代表取締役。 中央大学法学部卒業後、ベンチャー企業その他企業の経営企画室長、管理本部長、CFO、取締役を歴任。経営戦略構築、マーケティング戦略構築、新規事業の立ち上げや財務戦略、M&Aなど、企業の参謀業務に従事。

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朝、会社に着く。
人と会う。眠い目をこすりながら、
「あー、おはよう」
と言う。
「・・・・・・・」

無視かよ・・・。

これは決して、私が嫌われているのではない(きっと)。
挨拶すらできない人が多いのだ。

挨拶というのは、言ってみれば、いらないもの、つまり無用のものかもしれない。
しかし、『荘子の人間学』(守屋洋氏・日経BP)によれば、

・職場の雰囲気が明るくなる
・人間関係もよくなり、仕事の上でも必ずプラスに作用する

という。

昼前、トイレに行く。
人とすれちがう。
「あーお疲れ!」
と、眠さも既に飛んで、少し元気に言ってみる。
「・・・・・・」

無視かよ・・・。
再度言う。これは決して、私が嫌われているのではないのだ!(きっと)
だんだん、腹がたってきた!

もう一度言う。
挨拶に効用はある・・・らしい。


今の世の中、無用と思われるものは他に何があるだろう?
先程の『荘子の人間学』によれば、

・挨拶
・雑談やおしゃべり
・年賀状
・会議

などが無用のものではないかと書かれている。
その他にもないかと考えてみる。

・飲み会
・名刺
・会社で行われる教育
・SNS
・レジャー
・政争
・戦争

いくらでも考えられるが、こういったものも無用のものではないか?と考える。
個人的には、特に会社の「飲み会」は嫌いで、おもいっきり無用と思う。。
殆どの人がいやいや参加していて、何の意味があろうか?
そこで話されることといえば、愚痴や悪口ばかり。
これぞ、無用の極地!と個人的には思う。

しかし、飲み会により、日頃は疎遠な人と仲良くなれるかもしれない。
今後の仕事が円滑になるかもしれない。

といった効用はあるのかもしれないが、私は行かない。


新人研修などの、会社で行われる教育も無用のものかもしれない。
「会社は人を育てられない」
しかし、会社は教育をしようとする。

「最近の若いもんは・・・」
という言葉が頭に浮かぶこと自体、年をとったように思うが、
昨今の若者は常識というものを知らない。
教育をしたところで、全く身に付いたと思えない。
ほんの2週間もすれば、挨拶することすら忘れる。
ロジカルシンキングについて、数日前と同じ問題を出しても、
初めて見た問題かのように見ている。
本当に意味がない。

しかし、この社会における基本があるからこそ、
この人はできる、できないという基準も生まれる。
基準がなければ、比較もできない。


有用があるから、無用もある。
有能がいるから、無能もいる。

挨拶しないからといって怒っていることすら無用のものである。
だから、怒りを収めることにする。
いや、この怒りも、実は何らかの効用があるのかもしれない。
が、意味も無いので、収める。


「無用の用」
一見、何の役にも立たないと思われるものが、実は有効な働きをしていること。

身の回りの無用のものを見なおしてみるのも、
たまにはいいのかもしれない。
心穏やかに・・・。