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「田中真紀子大臣問題で本当に議論されるべきこととは?」 ~なぜ今の大学生は就職難なのか?問われる大学行政の在り方とは?~

「田中真紀子大臣問題で本当に議論されるべきこととは?」 ~なぜ今の大学生は就職難なのか?問われる大学行政の在り方とは?~

川瀬 太志

ハイアス・アンド・カンパニー取締役常務執行役員。都市銀行・大手経営コンサルティング会社・不動産事業会社取締役を経て現職に。住宅・不動産・金融の幅広い経験を元に、個人の資産形成支援事業を展開中。

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こんにちは!ハイアス&カンパニーの川瀬です。

今回は田中真紀子大臣の暴走で話題になった大学認可問題についてです。
この問題、田中大臣の「奇行」だけで済ませていいんでしょうかねぇ。


■大学認可問題でのマスコミ報道は適切だったか?

田中真紀子文部科学省大臣が新設予定だった3大学を認可しないと突然言い出して大騒ぎになりましたね。文科省の言う通りに準備を進めてきた3大学は当然猛反発です。マスコミも「暴走大臣」などとはやしたて、田中大臣は大変な批判を受けました。おそらく慌てた事務方の文科省が何とかとりなしたのでしょう。一転して「認可」となって、最後は田中大臣が謝罪して終わりました。

何ともお粗末な顛末でした。
田中大臣のやり方が稚拙過ぎたのでしょう。3大学の関係者や受験予定の学生からみれば理不尽極まりない話だったと思います。

でもこのテーマを単なる田中大臣の「奇行」としてのみ報じ続けるマスコミの姿勢には正直なところ違和感を持ちます。今の大学行政が今のままでいいわけがないことはマスコミも含めて皆わかっているはず。でも、文科省の大学行政への問題提起と捉えて掘り下げるような報道はほとんどありませんでしたね。



■なぜ今の大学生は就職難なのか?

毎年、大学生の就職が厳しいといった報道がなされます。
「大学を出ても就職先がない。」とか「大企業求人倍率がまた下がり一段と狭き門になった。」などといった報道です。
就職難の原因は、おおむね「不景気だから」ということと「採用する企業側に問題がある」といったところのようです。
でも実態はそうではない、ということを多くの人は知っています。

実際のところ、企業は採用数をそれほど減らしていません。正社員就職数はむしろ増えています。
バブル期の四年制大学の新卒正社員就職数が平均31万人だったのが、2010年頃(リーマン後氷河期)には平均38万人に増加しています。
19~22歳の人口自体はバブル期750万人くらいだったのが2010年頃には500万人くらいにまで減少しているにも関わらず、です。

就職人口が減る一方で、企業の採用数は増えている。
それなのになぜ就職難なのでしょうか?
その理由のひとつは、大学生の数が増えているからです。
バブル期20万人くらいだった大学生は、一貫して増え続けて今では30万人になろうとしています。

なぜ大学生が増えたのかというと、大学そのものが増えたからですね。
日本の四年制大学は現在783校ですが、1991年には510校でした。
この20年で1.5倍に増えました。
90年代は「団塊ジュニア」が大学生になったことで学生数が増え続けたこともあり、大学も増え続けました。でも2000年代になって若年層人口が減少に転じた後も大学は増え続けました。

今では大学の定員数と学生数がほとんど同じ。つまり希望する人は全員どこかの大学に入ることができるという「大学全入時代」になっています。
そんな中、「最近、学生の質が低下している」という声が聞かれるようになっています。
現在、大学を卒業しても就職も進学もしない若者が約2割も存在しています。求人倍率は全体でも1倍は超えていますし、中小企業に至っては常に3倍~4倍は求人があるにも関わらず、です。
なにかがおかしいですよね。


■なぜ大学はこんなに増えたのか?

なぜ大学がこれほど増えたのかというと、1991年に大学設置基準を大幅に緩和したことが契機になっていると言われています。授業内容とか教員の数とか学校の広さとか、行政がとやかく言わないことにしました。規制緩和ですね。
狙いは何だったのかというと、逆説的ですが、少子化時代に備えて大学を減らそうと考えたからです。
どういうことかというと、時代にあった新しい考え方の大学を広く参入させることで、旧態依然とした時代遅れの大学はどんどん淘汰されていくだろう、という競争原理を働かせようと考えたわけです。
当然、大学は増えます。
それで大学は淘汰されたのか?教育の質は上がったのか?
というと結果はご覧のとおりです。

「大学設置基準の緩和は行き過ぎではないか」という批判は、私の記憶する限り10年くらい前からありました。それが今もってまったく変わらない。
「大学を減らすために大学を増やしてみる、というすでに明らかに失敗している政策をこれ以上続けてどうするのか。設置基準を逆に厳格化するという方法も考えるべきではないか。」というのが田中大臣の投げかけだったのではないかと思います。
文科省の役人が新設大学への天下りしていることへの批判もあります。
つまり、田中大臣は事務方への問題提起をガツンとやりたかったわけですね。
田中大臣のやり方はまったく準備もなく、稚拙かつ拙速、言葉足らずでしかも乱暴でしたから批判されて当然です。でも非難されるべきは今の大学行政を無批判に続けている文部科学省も一緒です。
そこを掘り下げることなく、マスコミは受験予定の女子学生が泣いている映像を流したりして、情緒的に田中大臣を非難することのみに終始しました。
その報道姿勢に若干の違和感を持ったのですが、みなさんはいかがだったでしょう。


■教育行政の目的は何か?

当然のことですが、大学を減らすことそのものが目的ではありません。
大学が増えたことで誰でも望めば高い教育を受けられるようになったこと。
これはとても良いことです。
でも、その結果として学生の質が下がったり、大学の教育プログラムが適当になったりしているのなら、大学行政そのものを見直すべきではないでしょうか。
目的は教育の多様性を認め、質を上げることだったはず。
社会に強く適合していける人材をどう教育するか。
画一的に学生が大企業を目指す今の風潮をどうとらえるのか。
農業、建設業、製造業、職人や自営業などを目指す若者が少ないことをどう考えるのか。

今回の騒動でそれらのことが見直されるといいなと思います。

今回は以上です。
もっと日本が良くなりますように。


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