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奇妙な食べ物体験 その2 わけのしんのす 応用編

奇妙な食べ物体験 その2 わけのしんのす 応用編

樋口 健夫

アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。

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奇妙な食べ物体験 その2 わけのしんのす 応用編
 有明海の「わけのしんのす(いそぎんちゃく)を初めて食べて感激(前回ブログ参照)して、ビールを飲み過ぎた体験から2年。

 ハウス食品の作文コンテストのテーマが気になった。「食の冒険」
 私はすぐに、イソギンチャクを食べることが、食の冒険そのものだと思いついた。これを書かずにいられるか。しかし、書くには少し工夫が足らない。

 イソギンチャクの味をもっと知るべきだという結論に達して、佐賀の友人に電話で、
「わけのしんのすを、そちらで購入して、東京の私の方に送っていただくことはできるでしょうか」
「ああ、できますよ。クール宅急便で送りましょう」と友人は電話の向こうで笑っていた。
 
  それから二三日、イソギンチャクが到着した。蓋を開ける時には、ヨメサンは別の部屋に一端逃げた。
「私は絶対に食べませんからね」ヨメサンは言いきっていた。
子供たちは、怖いもの見たさで、取り囲んだ。こんどのイソギンチャクは大型で、まるっきり眼球摘出手術後そのものだった。それも友人が張り切って、ありがたいことに量が凄く多くなっていた。子供も散った。
「こんなにたくさん、どう料理すれば良いのか」
 
 とにかく、私が調理を始めないと、何も起こらない。まずは、油炒めだ。
 勇気を出して、一球ずつ手で取り出して、にぎってみると、これは完全に死後硬直している目玉。カチンカチンになっている。
小石を取り去って、4個、5個と皿に並べてみた。見れば見るほどグロだ。マグロの目玉より大きい。怖い形をしている。よくぞこんなものを食べたと、今更ながら昔の佐賀人の勇気を称えた。
「よほど腹が減っていたのだろう」
 
 ふっと見ると、我が家の台所のガスレンジの一つに、ヨメサンが昨日料理したカレーが大量に残っていた。
「これだ。まずはカレーの具として、煮てみよう」と、家族の誰にも見られないように、カレーに大きな石抜き洗浄済み目玉を4,5個投げ込んで、まぜまぜして火を付けておいた。
(さあ、カレーはみんなで食べてもらおう)
 
 後は、小石を取り去って、刻んで、眼球の印象を消して、酒の肴にはできた。さて、カレーを温めて、鍋のカレーを見ると、何と、イソギンチャクが破裂して、大きな花を咲かせている。刻んで入れるべきだったのに、眼球をそのまま入れたので、煮立てていると、イソギンチャクが大きく膨張して、破裂したものだ。タラコを煮たり、ウインナーをそのまま炒めると、亀裂が入り、中が飛び出すこともある。あれだ。イソギンチャクの中身は、意外と白っぽく、大きく破裂していた。

「これでは、すぐに、バレてしまう」
 それでも、眼球スタイルはまったく崩れて、イイダコの茹でたみたいになっていたので、見た目は多少マシだ。
 拝み倒して、夕食に出してみた。嫌な顔の極限で、ヨメサンは一齧りして、

「あれ、この味、蟹さんの味だわ」「本当だ。蟹の味だ」と家族全員がイソギンチャクにそれなりに驚いた。「美味しいわ。これならいけるわよ」
 たしかに、蟹の味がした。磯の香りはカレーで消えてしまっていたが、イソギンチャクの味は蟹の味だった。
これだったら、「蟹ちゃいまっせ」の蟹風カマボコよりも、蟹の味がする。多分イソギンチャクも、蟹と同じようなものを食べているから、蟹のような味になったのではないだろうか。

 イソギンチャク入りカレー事件のおかげで、ヨメサンのイソギンチャクに対する偏見は消えた。その後、てんぷらにして食べたり、炒め物やら、煮物やらして、大量の球を食べ尽くした。

 この話をハウス食品に「わけのしんのすの冒険」というタイトルで、執筆して送った。見事にハウス食品特別賞に輝いた。ただ、「わけのしんのす」(前のコラムをご覧ください)の意味は言及を避けたように思う。

 その後、私は韓国で、イソギンチャクを食べる習慣があるかを調べたが、どこにもない。調べれば調べるほど、イソギンチャクというのは食べられていない。イソギンチャクの中にも、強毒の触手のものもあるのか、あるいは有明海の「わけのしんのす」のように、実際は加熱すれば美味しく食べられるものなのか。世界中を調べてみる値打がある。

 日本人がイソギンチャクを常食し始めたら、世界中でイソギンチャクに値段が付いてしまう。高騰してしまうだろう。それよりも、イソギンチャクを、食べるものがなくて困っている人たちに蛋白源で紹介できる。

 聖書に、イソギンチャクを食べてはいけないとは書かれていないだろうが、ユダヤ教やイスラム教では多少微妙だ。私が食べた限りは、イソギンチャクというのはコラーゲンそのもののように思った。

 どうもイソギンチャクは、生命力が強そうだ。養殖も簡単かもしれない。そうであれば、養殖でどんどん食料品を作ることができるかもしれない。そのビジネスが成立するかな。