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妙な食べ物 その3 何を炙っているのか
»2011年8月18日
読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~
妙な食べ物 その3 何を炙っているのか
アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。
当ブログ「読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/idea-marathon/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
妙な食べ物体験 その3 何を炙っているのか
両側は、見事なジャングルのナイジェリア南西部。
私はランドクルーザーに乗って、ラゴス郊外の町へ出張した。ジャングルを突き抜ける道路を走る時は、ナイジェリア人の若い運転手アントニーに極度に注意するように指示していた。もちろん事故を起こしてはいけないからだ。
当時(約40年前)実際に新聞に出ていた事件で、英国人家族が父親の運転する車でナイジェリアの北部に向かって走っている時に、途中通過する村の子供を轢いて殺してしまった。村人は、極めて冷静で、慌てないで、英国人家族の女の子を車の前に倒して、英国人家族の目の前で、英国人の車で轢き殺しておあいこにしたそうだ。
「目には目を」の論理だ。現地の生活ガイドの本には、村で人身事故を起こしたら、その場で停まらずに逃げて、町の警察に出頭することとアドバイスされていた。
運転手がこの車で誰かを轢き殺したら、運転手かあるいは、後ろに座っている私のどちらかが仕返しを受ける可能性がある。
当時はまだナイジェリアに着任して間もないころだったろう。急いで走り気味の運転手に、「注意せよ。ゆっくりと走ってくれ」と、何度も、何度も言いながら、私は通過する村や人の生活を見ていた。
ジャングルの道に沿って村があった。目の端に、村人が道路の端で火を起こし、その火の回りを取り囲み、棒が刺してあって、何かの肉を炙っているのが見えた。肉は黒く見えた。
「と、停まって!あれは何を焼いているのか」
車を停めて、バックして、焚火の横まで行って、運転手が私に何かを言っているが、分からない。両手の親指と人差し指で形を作っているが、まだ分からない。私はとうとう車から降りた。運転手もニコニコしながら、降りてきた。
間違いなく何かの肉だ。長さ10センチ、幅4センチほどの肉で、黒々としているのは、かなり炙り過ぎだった。
「これは何だ」と尋ねて、村人がワヤワヤと答えたが、さっぱり分からない。その内に、村人が一本の串を抜いて、肉ごと私に渡した。ネズミかな、ジャングルの小動物かな。
運転手が、焚火から村の家の方に歩きだして、棒の先で何かをつついて、引っかけて持ち帰ってきた。巨大なカタツムリの殻だった。アフリカマイマイである。
Wikipedia アフリカマイマイの写真を借りました
長さは、約13センチ。茶色と白色のブチで、細く長い、貝殻は割れていた。持ってみるともっと簡単に割れた。軽くてもろい。(そうか、この肉を食べていたのか。エスカルゴだって、カタツムリだから、食べられないことはないな)
一体、どんな味なのだろうか? ちょっと食べてみようかな。お腹もすいていたのだろうが、どんな味かちょっとだけ、齧ってみようかな。
運転手に尋ねたら、
「やめときなさい」と、冷たく言う。
「ちょっとだけ」と言うと、アントニーは、ポケットから金を出し、村人から串を一本受け取って、もう一度、火の上で炙りだした。すでに真っ黒なカタツムリは、本当に灰になってしまう。彼は、殺菌しているつもりだろう。
「OK、ミスター樋口、これをどうぞ」と、串から肉を2センチほど、ちぎって、私に渡した。外はほとんど真っ黒に焦げているが、中はちゃんとした肉だった。臭いはこげ臭かっただけだ。
「エエイ」と口の中に、肉切れを放り込んで噛んでみた。数秒間は、何も起こらなかった。その後、激烈な辛さが襲ってきた。肉の味が分からないほどの辛さが、口いっぱいに拡がり、喉、唇を襲った。
「辛い!これは辛い」と、仰け反った。「ひゃー、辛い、辛い、辛い」と、ケンケンで走り、車に載せてあるコーラを探しにいった。コーラの栓を開けるのが待てないほど、辛かった。涙が出てきた。口の中がマヒ状態で、肝心の肉の味が分からない。
見るとアントニーは、平然と、いやにこにこと笑いながら、齧っている。少し齧り、また炙り、そして齧っている。顔色一つ変えない。同じ人類だろうか。
小さな肉切れ一つで、私は車のコーラを2本飲んで、お腹がチャポン、チャポンと言いだした。
会社に戻って、ナイジェリア人の総務部長に話したら、すごく叱られた。
アフリカマイマイは、様々な寄生虫を宿しているという。アントニーがしつこく炙っていたのは、それが理由だった。黒こげにして食べるのが当たり前だった。
広東住血線虫の中間宿主になると知ったのは、日本に帰国してからだ。それ以降、ナイジェリアでは、アフリカマイマイを食べることはなかった。検便でも血液検査でも無事だった。
15年ほど後に、小笠原諸島に仕事で出張したことがある。島の発電所の開所式に呼ばれて、幸運なことに私が出張した。昔、島にはアフリカマイマイが、食料目的で輸入されて、たちまち島中に拡がったという。大変な侵略的外来種となっていた。沖縄にも生息しているという。
両側は、見事なジャングルのナイジェリア南西部。
私はランドクルーザーに乗って、ラゴス郊外の町へ出張した。ジャングルを突き抜ける道路を走る時は、ナイジェリア人の若い運転手アントニーに極度に注意するように指示していた。もちろん事故を起こしてはいけないからだ。
当時(約40年前)実際に新聞に出ていた事件で、英国人家族が父親の運転する車でナイジェリアの北部に向かって走っている時に、途中通過する村の子供を轢いて殺してしまった。村人は、極めて冷静で、慌てないで、英国人家族の女の子を車の前に倒して、英国人家族の目の前で、英国人の車で轢き殺しておあいこにしたそうだ。
「目には目を」の論理だ。現地の生活ガイドの本には、村で人身事故を起こしたら、その場で停まらずに逃げて、町の警察に出頭することとアドバイスされていた。
運転手がこの車で誰かを轢き殺したら、運転手かあるいは、後ろに座っている私のどちらかが仕返しを受ける可能性がある。
当時はまだナイジェリアに着任して間もないころだったろう。急いで走り気味の運転手に、「注意せよ。ゆっくりと走ってくれ」と、何度も、何度も言いながら、私は通過する村や人の生活を見ていた。
ジャングルの道に沿って村があった。目の端に、村人が道路の端で火を起こし、その火の回りを取り囲み、棒が刺してあって、何かの肉を炙っているのが見えた。肉は黒く見えた。
「と、停まって!あれは何を焼いているのか」
車を停めて、バックして、焚火の横まで行って、運転手が私に何かを言っているが、分からない。両手の親指と人差し指で形を作っているが、まだ分からない。私はとうとう車から降りた。運転手もニコニコしながら、降りてきた。
間違いなく何かの肉だ。長さ10センチ、幅4センチほどの肉で、黒々としているのは、かなり炙り過ぎだった。
「これは何だ」と尋ねて、村人がワヤワヤと答えたが、さっぱり分からない。その内に、村人が一本の串を抜いて、肉ごと私に渡した。ネズミかな、ジャングルの小動物かな。
運転手が、焚火から村の家の方に歩きだして、棒の先で何かをつついて、引っかけて持ち帰ってきた。巨大なカタツムリの殻だった。アフリカマイマイである。
Wikipedia アフリカマイマイの写真を借りました
長さは、約13センチ。茶色と白色のブチで、細く長い、貝殻は割れていた。持ってみるともっと簡単に割れた。軽くてもろい。(そうか、この肉を食べていたのか。エスカルゴだって、カタツムリだから、食べられないことはないな)
一体、どんな味なのだろうか? ちょっと食べてみようかな。お腹もすいていたのだろうが、どんな味かちょっとだけ、齧ってみようかな。
運転手に尋ねたら、
「やめときなさい」と、冷たく言う。
「ちょっとだけ」と言うと、アントニーは、ポケットから金を出し、村人から串を一本受け取って、もう一度、火の上で炙りだした。すでに真っ黒なカタツムリは、本当に灰になってしまう。彼は、殺菌しているつもりだろう。
「OK、ミスター樋口、これをどうぞ」と、串から肉を2センチほど、ちぎって、私に渡した。外はほとんど真っ黒に焦げているが、中はちゃんとした肉だった。臭いはこげ臭かっただけだ。
「エエイ」と口の中に、肉切れを放り込んで噛んでみた。数秒間は、何も起こらなかった。その後、激烈な辛さが襲ってきた。肉の味が分からないほどの辛さが、口いっぱいに拡がり、喉、唇を襲った。
「辛い!これは辛い」と、仰け反った。「ひゃー、辛い、辛い、辛い」と、ケンケンで走り、車に載せてあるコーラを探しにいった。コーラの栓を開けるのが待てないほど、辛かった。涙が出てきた。口の中がマヒ状態で、肝心の肉の味が分からない。
見るとアントニーは、平然と、いやにこにこと笑いながら、齧っている。少し齧り、また炙り、そして齧っている。顔色一つ変えない。同じ人類だろうか。
小さな肉切れ一つで、私は車のコーラを2本飲んで、お腹がチャポン、チャポンと言いだした。
会社に戻って、ナイジェリア人の総務部長に話したら、すごく叱られた。
アフリカマイマイは、様々な寄生虫を宿しているという。アントニーがしつこく炙っていたのは、それが理由だった。黒こげにして食べるのが当たり前だった。
広東住血線虫の中間宿主になると知ったのは、日本に帰国してからだ。それ以降、ナイジェリアでは、アフリカマイマイを食べることはなかった。検便でも血液検査でも無事だった。
15年ほど後に、小笠原諸島に仕事で出張したことがある。島の発電所の開所式に呼ばれて、幸運なことに私が出張した。昔、島にはアフリカマイマイが、食料目的で輸入されて、たちまち島中に拡がったという。大変な侵略的外来種となっていた。沖縄にも生息しているという。