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絶対に乗ってはいけない
読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~
絶対に乗ってはいけない
アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。
当ブログ「読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/idea-marathon/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
このブログは「読むワクチン」です。一読すれば同じような体験、怖いことや変わったことで、対応策や知識がほんの少し増えます。それが決め手になり、助かることがあるかもしれません。
だから、みんながうらやむ体験よりも、避けた方がよい体験に集中して書いていきます。
では、どうぞ。
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・飛行機珍体験集 その1 「絶対に乗ってはいけない」
私がベトナムのハノイに着任した1994年には、ベトナム航空は12機のツポレフ-134を所有していた。
ハノイ事務所に着任した直後、私がベトナム航空の社長に着任の挨拶に行った時、
「どうだ。三井物産で我々が所有しているツポレフを買ってくれないか。お安くしておくよ」
「スクラップとして売却ですか」
「冗談じゃない。12機の内で、まだ飛べるのが4機あるんだ。飛ぶことができる4機を購入してくれれば、あとの8機はおまけにするよ」
と、半分冗談のような本気のようなことを言っていた。
私は、(ツポレフを定期便に使うのは、もう早く止めた方がいいですよ)と、会長に言いかけたのを抑えた。とてもじゃないが、ツポレフ-134は購入できるものではない。ベトナム航空の場合も、4機が飛行可能なのは、8機の部品用の飛行機があるからだ。
1970年代では、1000機以上製造された当時の共産圏の名機だが、ソ連が崩壊し、1984年に生産は終わり、部品は同じ機種からしか手に入れることができない。こんな飛行機は、絶対に危ない。
私がベトナムに着任したのが1994年だが、1971年から1992年まででもツポレフ-134は15回事故を起こし、本元のアエロフロート航空だけでも9回も墜落事故を起こしている。ベトナム航空も1988年にタイのバンコクで着陸失敗で墜落し、76名(邦人3名)が亡くなっている。
1994年当時、ベトナム航空はツポレフ-134を4機国内外で定期便のフリートに入れていた。地方への出張は、ツポレフ-134でないかを確認していた。ツポレフだったら、別の空港まで車で走ってでもその機種を避けるためだ。
ベトナム中部のダナンに出張した時、帰途の便を見たらツポレフ-134だった。事前の確認を怠ったのだ。私は乗るのをやめて、ダナンから19時間掛けて、列車でハノイに戻ったこともある。
その後、ベトナム航空はフォッカー70を新規に2機購入し、ツポレフ-134を使うのを止めることを宣言した。いよいよ新鋭のフォッカー機がベトナム航空の時刻表に印刷され、「ああ、これでようやくツポレフ-134に乗らなくて済む」と安堵を感じた。
ちょうどその時、ラオスのビエンチャンに出張した。ビエンチャンまでは、タイのバンコク経由で向かった。帰途はビエンチャンからハノイへ直行便だ。事前に、ベトナム航空の新しい時刻表を見たら、使用機種はまさにフォッカーだった。
「わー、これで安心だ」
ラオスの山奥の調査を終えて、ビエンチャンの空港でベトナム航空の到着した機種を見たら、まさにツポレフ-134ではないか。
「おいおい、ここにフォッカーって書いてあるのに、どうしてツポレフ-134なんだ」と、カウンターで尋ねたら、
「ああ、フォッカーの納期が遅れたらしいです。だから、まだツポレフ-134を使用しています」
「なんとなあ。乗りたくないなあ」と言っても、その日に帰国は絶対だった。タイを経由すれば、接続が悪く2日遅れてしまうのだった。更にすでに出国の手続きをして、切符も使っている。荷物もあずけてしまっているのだ。
「こりゃ、遺言状でも書くか」と、本気で考えたが、空港の中から国際電話でヨメサンに「乗りたくないツポレフ-134に乗らなきゃならない。どうしよう」と言うと、
「そこまで飛んで行ったのでしょう。大丈夫よ。じゃ、注意してね」とあっさり。こうなると腹をくくろうとロビーを見渡すと、なんと日本人の団体観光客が10名ほど、あかるく話をしながら待っている。
まさか私の心配を日本人たちに説明して、みんなを震え上がらせるわけにはいかない。
空飛ぶ棺桶といわれている旧ソ連の飛行機「ツポレフ-134」
※この写真には著作権があり、著者に無断での二次掲載はできません
イライラしていたら搭乗時間となった。ツポレフ-134の機体は美しい。もともと爆撃機の設計から来ている。
席に付いてシートベルトを締めようとしたが、締め方が分からない。シートベルトの締めようが分からないのだ。しかたがないので、シートベルトを括った。でかいロシア人でも締められるようになっているのだろう。
とうとう、最後までシートベルトの締め方が分からなかった。離陸した後、なかなか上昇しない。ゆっくりゆっくりと高度を上げていく。爆撃機独特の飛び方と言われている。
一定の高度まで上がった後、機内にワーッと白い蒸気が出た。エアコンが入ったのだ。離陸するまではフルパワーで上昇しなければならず、エアコンは入っていない。それが急に入って、機内は一瞬真っ白。
ラオスとベトナムの間には高原がある。それを果たして越えることができるのかと心配だった。
前のテーブルは片側が壊れて外れていた。トイレも見ておこうと入ったが、どう考えても、探しても流す方法が見つからなかった。あれやこれやしている間に、順調に飛行が続いて、ハノイの空港に着陸した。着陸したら、空席の座席の背もたれがすべて前に倒れた。これも印象的だった。こうして、私のツポレフ-134のたった一度の体験は無事に終わった。1996年のことだった。
半年後に私は日本に転勤した。
1年後、1997年9月、ベトナム航空のツポレフ-134がプノンペン空港で着陸失敗し、乗客65名(邦人1名、ホーチミンで私も何度も食事した立派なヤキトリ屋の主人)が亡くなっている。ベトナム航空だけでも2機墜落したのだ。
1回目の事故の時に使用停止をしていれば、続いての2回目の事故は起こっていなかったのにと、私は悔しかった。ましてやフォッカー70を2機入手した後も、ツポレフを使い続けたのではないだろうか。
世界には、いまでも数機はツポレフ-134を使用している国がある。それ以降も、毎年のようにツポレフ-134がアフリカやロシアで落ちている。
「あ、また落ちた」である。
ツポレフ-134は他のツポレフ-134の部品用にされるか、墜落して終焉を迎えるまで飛び続けるか、どちらかだ。ひょっとすると部品の取られたのまで飛行しているのでは...。
教訓: 知らぬが仏なのか。自分が乗る飛行機はやはり注意しなければ怖い。本当は、乗る飛行機の過去の履歴を、ネットで見せて欲しいほどだ。少なくとも製造年は知りたい。
追記 1
このブログを書いた2010年8月から2011年6月までの間、たった10カ月間に、3機のツポレフが墜落し、1機がほとんど墜落寸前で、着陸している。いったいあと、何機が世界中に飛んでいるのだろう。本当に呆れた飛行機だ。
追記 2
格安の料金の飛行機が、機体の古さと関係があるのだろうか?あるとすれば、それは絶対に表示すべきことだと思う。今年の1月にヨーロッパへ行った時の、全日空の機体もサービスも最高だったが、料金だけで飛行機便を決めているとするならフェアな競争ではないと思う。
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