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飛行機のタラップで逮捕 二回目

飛行機のタラップで逮捕 二回目

樋口 健夫

アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。

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飛行機珍体験集 その4 
飛行機のタラップで逮捕 二回目

 ナイジェリアのラゴスの駐在員として赴任した直後、初めて北部の大都市カドゥナに出張した時のことだ。
 帰りのナイジェリア航空の機内で窓から外を見ていたら、うっとりするほど見事な緑のジャングルが地平線の彼方まで続いていた。
 
 それほどの高度ではなかった。私は手提げから、カメラを取り出した。オリンパスの小型一眼レフOM-2だった。それでジャングルを夢中になって、身を乗り出して丸い窓から撮影していた。

「すごい。これがアフリカ大陸だ」と感動に浸っていた。(そうだ。日本にいるヨメサンにメッセージを送ろう)と思って、小型のソニーのカセットレコーダーを取り出した。当時では最新鋭の小型レコーダーだ。

「今、私は夢に見たアフリカ大陸のジャングルの上を飛んでいます。地平線の彼方までジャングルが続き...、あ、送電線が見える。北のナイジャー川のカインジダムからの送電線だ。延々と続いて...」と録音していたら、コンコンと私の肩を誰かがつつく。

 見ると、私の斜め後ろの席に空軍の制服を着た若い軍人が座っていた。私の顔を見ると、ニコリとして、英語で、
「どこまで行かれますか」と尋ねる。
「ラゴスです」
「ラゴスに住んでいるのですか」
「はい」と答えながら、妙な質問をするなと思った。
「ラゴスに着いたら、話がしたいのですが」
「はあ?」と答えながら、少し妙だなと思った。

 鞄にカセットレコーダーをもどしながら、カセットに入っていた録音済みのテープを外して、鞄の内ポケットに入れて、新しいテープを、カセットに入れた。
 更に、オリンパスカメラのモータードライブを指先で動かして、カメラの中のフィルムを巻き戻し、フィルムを取り出し、新しいフィルムを装填しておいた。そして、数枚、空で撮影をしておいた。

 ナイジェリア航空の機体は、ラゴスに近づき、徐々に高度を下げていた。
その時、風邪気味か、私は鼻が詰まっていたので、息苦しくなって指先で鼻をほじった。その途端、機内の気圧が低かったせいか、あるいは私が疲れ過ぎていたのか、バッと鼻血が出たのだ。
 まさに飛行機が着陸するかの直前だった。ハンカチも鼻紙も持っていない。
(こりゃいかん)と手で、鼻を押さえたが、指の間から鼻血が漏れた。

飛行機は無事に着陸した。飛行機の扉が開き、私は右手に鞄、左手で鼻血を指で押さえながら、通路を進んで、飛行機のタラップの外に出た途端、後ろから来た軍人が、私の肩を捕まえ、
「あなたを、スパイ容疑で逮捕する。私は憲兵である」と身分証明証を提示した。そして、私の左手を捕まえた。途端に鼻の穴を押さえていた左の指が外れて、ドバ―と鼻血が噴き出た。若かったし、元気だし、顔の鼻の下は鼻血で覆われた。
 若い憲兵は、一瞬驚いたが、それでも私の左手を捉えて、空港の事務所の中に引っ張っていった。

扉を開けたところに、空港の警備警官の部屋があった。
 警官は、私の血だらけの顔を見て、ギョッとした。私は、ようやく鞄の底にあったハンカチを探し出し、顔を拭いていた。
「この男は何をしたのか」と英語で言う。
 憲兵は、「この男は、機内からしきりに写真を撮影し、録音をしていた。絶対に怪しい。スパイだと考える。逮捕した。拘留するべきだ」と捲し立てた。
 憲兵のやる気満々に対して、空港の警官の反応は、非常にゆったりとしていた。何だ、写真撮影かという感じだった。
「OK、そのカメラのフィルムを私に提出しなさい」
「はい」と言いながら、私はカメラからフィルムを取り出して、渡した。
「このフィルムはこちらで現像する」と言いながら、その警官は、自分の机の引き出しを開けた。
引き出しには、写真のフィルムのカートリッジがびっしりと詰まっていた。

 憲兵が食い下がる。
「かれは逮捕しないのか」
「しない。フィルムを取り上げたからそれで良い」
「でも、テープレコーダーで録音していた。それは没収しないのか」と憲兵が食い下がる。
「必要ない。もう行っても構わない」と、手を振ったので、私はまだ顔の鼻血を拭きながら、空港の建物を離れていった。

ナイジェリア赴任後の最初の国内出張のことだった。

教訓 まさに李下に冠を正さずのことだった。