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「就職活動」かんりにんの場合

「就職活動」かんりにんの場合

澤田 景子

誠ブログの管理人。サイトの運営に日々、試行錯誤を繰り返しながらも、ガンバるビジネス・パーソンを応援します!



・間違いだらけの就職活動。信じる者は救われない

 わたしが就職活動を始めたのは大学3年生の冬。そう、冬休みの間は年賀状ではなく、資料請求のはがきや履歴書をせっせと書いていました。私が通っていた大学は、当時はまだ開設されてから4年ほどの"若い学校"であったため、就職課の設備やノウハウなどは正直なところあまり充実していなかったように思います。それでもわたしが入学した当時は、今では懐かしいバブル全盛期でしたから、先輩方の就職先は誰もが知っている大企業ばかりが名を連ねていたので、特に不安に思う要素もなく「職員の人の言うことをよく聞いて真面目に活動すればわたしも就職できるんだ」と思っていました。バカがつくほどの正直すぎるわたしは「証明写真は白黒(学校規定)」「資料請求は手書きのほうが人事課に受けがいい」というアドバイスを何の疑いもなく真に受けていたのです。ところが、4年生になってからバイト先の先輩に

「なに、お前、写真白黒なの!? じーさんばーさんの自動車免許証用じゃないんだから、カラーのほうが絶対いいしさ~。それに、資料請求も全部手書きでやってんの?? そんなの大変じゃん。就職情報誌についてるはがきのほうがフォーマットもキレイだし、みんなそれでやってんだよ。オレ、それでフツーに資料もらえたし」

と、半分バカにされながら言われて自分が空振りしていることにようやく気づいたのです。まあ、そうですよねー。ワープロの普及率もさほど高くない時代、履歴書はともかく資料請求のはがきや手紙も手書きのほうが良い印象を与えるという話は今でも聞かなくはないですが、実際のところ、企業からみればそんなのはあまり重要視していないのかもしれません。よくよく考えてみれば、本当にほしい人材を採るために試験や面接があるのだから、実際に応募してくるかどうかわからない学生に対して、資料請求の段階で「見込みがある」「魅力的な人材」かどうかなんて判断できないからです。それに手書きの場合、丁寧に書こうとすればするほど文章も長くなるし、それを受け取った人事部の人も読むのに時間がかかります。要するに「資料ください」っていってるだけなんですけどね(笑)。学校の就職課の言うことを真に受けて、すっかり出遅れたスタートを切ったのでした。


・法律なんてただの飾り 男女平等って何のコト?

 ただ、わたしが就職活動をしていた当時はバブル崩壊後の最初の「就職氷河期」と呼ばれた時代。資料もなかなかもらえないのに加え、説明会にいっても「今年は女性の採用はないです」「一人暮らしの人は採用しません」などとワケのわからない言い訳を面と向かっていわれてしまうこともしばしば。女性は"寿退社"するのがごくフツーの時代でもあったし、住宅手当などを支給している会社は、なるべくお金のかからない実家暮らしの人を優先に採用していたらしいです。学生が余りに余っている状況ですから、理不尽だろうとなんだろうと断る理由なんてなんでもよかったんだろうと思います。1986年4月に男女雇用機会均等法が施行されてはいたものの、それはただあるだけの現状。そんなこんなで、そう簡単には内定をもらえませんでした。

※1986年の男女機会均等法は「女子(の一部)に総合職として男性と同じ仕事をしてもいいようにする」ことを認めたもので、一般職の女子はあくまで補助業務だから実家暮らし優先だったり、女性の採用はありませんとハッキリ言っても構わなかったそうです(それにしても、ちょっとね~;)。ただし1997年に法改正されたので、現在は会社がこれを言うと法律にひっかかります
参考ページ:1997(平成9)年改正男女雇用機会均等法成立(日経ウーマンオンライン)

 周りの友達は親や親戚のコネでさっさと就職先を決めていきます。就職浪人するなんていう"お嬢様"はひとりもいないのです。大学院に進学する人もいましたが、これ以上親に学費を払ってもらうわけにもいかないわたしは、何が何でも就職しなくてはなりません。が、当然何のコネもないわたしだけが内定を獲得できず取り残されていくわけですからますます焦ってしまいます。それでも中小企業の合同説明会などにこまめに参加し、規模の小さな会社ではありましたがなんとか内定をいただくことができたのは9月の終わりのことだったと思います。一安心してようやく社会人になれるという期待が高まり、わたしの人生初の就職活動はひとまず終わったのです。


・正社員のイスは"腐っても鯛"なのか?

 あんなに苦労して正社員として入社した会社でしたが、4年勤めて辞めました。理由は、自分自身がスキルアップ、ステップアップしたかったから。現在、仕事ではごく当たり前の「Word」や「Excel」ですが、わたしが最初に就職した会社にWindowsはなく、Dos機で自社プログラムに入力するというものでした。Windows95が日本でも発売され、大いに盛り上がっている夜中のアキバの映像がテレビのニュースで何度も流れていました。実際に友達が勤務している会社では早々と導入していて「Wordのあの機能、よくわかんないのよねー」という会話にも全くついていけませんでした。ここでも、またわたしはスタートに出遅れたのです。大学の情報処理学で「一太郎」と「花子」を授業で少し習ったことがあっただけで、まだ見た事も触ったこともないWindowsというものにものすごく憧れ「なんだかよくわかんないけど、これからの時代はああいうのを使って仕事ができたらいいんだろうな。できないとダメなんだろうな」と思っていました。今ではデスクトップ型のパソコンだけでなく、ノートやタブレット端末などもあり値段もだいぶ手ごろになったので少し貯金すれば買えるものになっていますが、当時は何十万円もするとても高価なもので、一人暮らしのわたしには到底買えるものではありませんでした。そこでわたしが目をつけたのは人材派遣会社。登録するだけでOAスクールを無料で受けられるのです。しかも仕事も紹介してもらえる! 雇用形態にこだわっていなかったわたしは会社を辞め、派遣会社に登録し、毎日OAスクールに通いました。

 派遣会社で仕事を紹介してもらうときに、職歴について質問されます。「正社員だったのに派遣で本当にいいんですか?」「今ならまだ、派遣じゃなくて正社員での就職活動も間に合いますよ」と、ほとんどのコーディネーターに言われました。当時のわたしはそんなことはどうでもよく、マイクロソフトのMOUS検定(現在はMOS検定)に合格することが最初の目標でした。WordやExcelなどのソフトを実務で使ったことがなかったので、それ相当の資格は必要だと思ったのです。2ヶ月後には検定に合格し、派遣先の会社もメデタク決まって再び働き始めたワケですが、ここで正社員と派遣社員の"格差"というものに直面し「ああ、正社員ってそんなにエライんだ。へぇ~、ふーん。あっそう」と思ったのです。まあ、書き出せばキリがないほどそういうエピソードは山のようにあります(ここでは書きませんが)。ならば、正社員のイスを捨てて派遣社員になった当時のことを後悔しているのかと聞かれたら、答えは"No"。いいことも悪いこともたくさんあったし、悔しい思いもたくさんしました。でも、自分だけが見れた業界、経験した仕事もあったから、それは誰も持っていないわたしだけの貴重な財産なので、後悔するわけがありません。


・自分がどう働きたいかを考えることが重要

 大事なのは、これからの自分にとって必要なものや重要なものは何かをちゃんと考えるということ。もちろん、業績の良い企業の正社員ならボーナスも出るだろうし社会的にみても保障されていることでしょう。そういう地位が大事な人もいる、それはそれでいいと思う。でもわたしにとってはそれは重要ではなく、経験やスキルであったり、なにより人とのつながりが大事でした。年齢を重ねてくると、人脈がどんどん重要になってきます。そして「自分がどう働きたいか」を考えたときこそ、その大切さを実感します。

 現在、誠ブログには100人を超えるブロガーさんが参加しています。言ってみれば、これも「人とのつながり」で、かんりにんとして立たせてもらっているわたしにとって、今、一番大事なものです。だって、ブロガーがいなかったら当然ブログも書いてもらえなくなって、このサイト自体、運営できなくなっちゃいますからね。日々、感謝の気持ちでいっぱいで、おかげさまで毎日幸せに働けています。


※このブログは、以前のエントリー「就職戦線、異状あり?! 珍プレー、好プレーが続出!」の中で書いた、かんりにんの就職活動の部分を抜粋したものです。