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原子力論考(93)「電力需要ピークはわずか年間5-6時間」と主張する人々が無視していること
»2013年6月14日
開米のリアリスト思考室
原子力論考(93)「電力需要ピークはわずか年間5-6時間」と主張する人々が無視していること
社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。
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こんにちは。本業は文書化能力向上コンサルタントで、電力にも原子力にも何の関係も無いのになぜか原子力論考を書いている開米瑞浩です。
前回、原発ゼロを主張する人々がよく引用する「福島原発事故以前では1年間365日×24時間=8760時間のうち、最大電力需要6000万kWに近い電力需要を記録した時間数はわずか5〜6時間でしかない」という、ISEP飯田氏の主張がいかに当てにならないかを書いたところ、ある知人からこんな感想をもらいました。
なるほど、そういえば予備率の話は一般にはあまり知られていないようです。私もあまり詳しく書いたことがありません。というわけで↑上記の補足として書いておくことにします。
論点は下記の通り
「即時脱原発」を主張する人々がよく使うロジックが上記(1)→(2)です。「最大電力需要6000万kWに近い電力需要を記録した時間数はわずか5〜6時間でしかない」という情報は、「5~6時間」のインパクトが非常に強いので、まるで
かのような印象を与えやすいですが、実際は(1)も(2)もどちらもツッコミどころだらけなんですよね。
順番にいきますと、「(1) 最大電力需要6000万kWに近い電力需要を記録した時間数はわずか5〜6時間でしかない」というのは、前回書いたとおり「(a) 2008~2010年については正しい」ですが、「(b) 2007年以前については間違い」です。2001年には6430万kWを記録しているわけで、それを無視して6000万が上限であるかのように語るのは誠意ある姿勢とは言えません。
次に、(1)を聞いた人は「(2) 年間5~6時間を節電すれば原発を廃止できる」かのように誤解しやすいのですが、ここにはいくつもツッコミどころがあります。
まず(c)5~6時間のピーク対応節電では100万kW分にしかなりません。これは東電の最大供給力が約6000万kWとするとその1.7%にしかならない、微々たる量です。
なぜこれが微々たる量かというと、この程度の量は大型の火力発電所が一基脱落するだけで変動するからです。たとえば東電には袖ヶ浦、常陸那珂、鹿島などに100万kW級の火力発電所が何基もありますが、そのうちの一基がトラブルで止まるだけで100万kWの供給力が消えます。それを考えれば、
年間5~6時間だけ節電すれば十分だよね
とはとても言えません。
次に、(d) 東電の原子力発電所の設備容量は1500万kW超あります(他社受電分を含む。福島1~4号機は廃炉につき除外済み→出典:数表で見る東京電力 p.32 )。実際はこれをフルタイムで使うわけではないので、稼働率を60%で計算しても約900万kWです。100万kWを節電しても遠く及ばないのはおわかりでしょう。
実際のところ、どのぐらい節電をしたら意味があるのか、と考えると、(e)少なくとも500万kW分は必要で、これは2010年で160時間以上に該当します。この160時間というのは、1日のうちのピークタイムが4時間あったとすると40日間に相当します。こう聞けば「そりゃ、無理だよ」と考える人が多くなりますね。(1)の情報はそれを防ぐために「5~6時間」という数字を目立たせているわけです。こういうやり方は、重要な事実を書かないことによる印象操作と言えます。
次、「(f) 過去実績を見れば1年で500万kW以上需要が増えたケースもある」のは前回書いたとおりです。そういう実績がある以上は、「去年の最大需要は5990万だったから、6000万だけ用意しておけば大丈夫だよね」とはなりません。
電力というのは供給力が需要を下回る状態は一瞬たりともあってはいけないので、2001年のような異常な猛暑のときでも供給できるだけの余力を持っておく必要があるわけです。
そして、「(g) 発電所の増設には10年単位の時間がかかり」ます。需要が増え始めたときに慌てて作り始めても遅いのです。
そういった事情に全部知らんふりを決め込んで「最大電力需要6000万kWに近い電力需要を記録した時間数はわずか5〜6時間でしかない」という情報を自慢げに語る人々の言うことは、率直に言って当てにならない楽観論でしかないのですよ。
前回、原発ゼロを主張する人々がよく引用する「福島原発事故以前では1年間365日×24時間=8760時間のうち、最大電力需要6000万kWに近い電力需要を記録した時間数はわずか5〜6時間でしかない」という、ISEP飯田氏の主張がいかに当てにならないかを書いたところ、ある知人からこんな感想をもらいました。
原子力論考の92もまたとても明快な素晴らしい文章ですね! ただ一箇所だけ、この部分だけ意味がよくわかりませんでした。
>「電力というのは6000万kWに対する100万kW
>というのは予備率にして1.6%程度にしかならず、
>大型火力発電所が一基飛べば失われる程度のもの
>でしかありません」
あとはとてもわかりやすかったと思います。
なるほど、そういえば予備率の話は一般にはあまり知られていないようです。私もあまり詳しく書いたことがありません。というわけで↑上記の補足として書いておくことにします。
論点は下記の通り
「即時脱原発」を主張する人々がよく使うロジックが上記(1)→(2)です。「最大電力需要6000万kWに近い電力需要を記録した時間数はわずか5〜6時間でしかない」という情報は、「5~6時間」のインパクトが非常に強いので、まるで
(2)年間5~6時間のピークだけ節電すれば、そのための設備(=原発)を廃止できる
かのような印象を与えやすいですが、実際は(1)も(2)もどちらもツッコミどころだらけなんですよね。
順番にいきますと、「(1) 最大電力需要6000万kWに近い電力需要を記録した時間数はわずか5〜6時間でしかない」というのは、前回書いたとおり「(a) 2008~2010年については正しい」ですが、「(b) 2007年以前については間違い」です。2001年には6430万kWを記録しているわけで、それを無視して6000万が上限であるかのように語るのは誠意ある姿勢とは言えません。
次に、(1)を聞いた人は「(2) 年間5~6時間を節電すれば原発を廃止できる」かのように誤解しやすいのですが、ここにはいくつもツッコミどころがあります。
まず(c)5~6時間のピーク対応節電では100万kW分にしかなりません。これは東電の最大供給力が約6000万kWとするとその1.7%にしかならない、微々たる量です。
なぜこれが微々たる量かというと、この程度の量は大型の火力発電所が一基脱落するだけで変動するからです。たとえば東電には袖ヶ浦、常陸那珂、鹿島などに100万kW級の火力発電所が何基もありますが、そのうちの一基がトラブルで止まるだけで100万kWの供給力が消えます。それを考えれば、
年間5~6時間だけ節電すれば十分だよね
とはとても言えません。
次に、(d) 東電の原子力発電所の設備容量は1500万kW超あります(他社受電分を含む。福島1~4号機は廃炉につき除外済み→出典:数表で見る東京電力 p.32 )。実際はこれをフルタイムで使うわけではないので、稼働率を60%で計算しても約900万kWです。100万kWを節電しても遠く及ばないのはおわかりでしょう。
実際のところ、どのぐらい節電をしたら意味があるのか、と考えると、(e)少なくとも500万kW分は必要で、これは2010年で160時間以上に該当します。この160時間というのは、1日のうちのピークタイムが4時間あったとすると40日間に相当します。こう聞けば「そりゃ、無理だよ」と考える人が多くなりますね。(1)の情報はそれを防ぐために「5~6時間」という数字を目立たせているわけです。こういうやり方は、重要な事実を書かないことによる印象操作と言えます。
次、「(f) 過去実績を見れば1年で500万kW以上需要が増えたケースもある」のは前回書いたとおりです。そういう実績がある以上は、「去年の最大需要は5990万だったから、6000万だけ用意しておけば大丈夫だよね」とはなりません。
電力というのは供給力が需要を下回る状態は一瞬たりともあってはいけないので、2001年のような異常な猛暑のときでも供給できるだけの余力を持っておく必要があるわけです。
そして、「(g) 発電所の増設には10年単位の時間がかかり」ます。需要が増え始めたときに慌てて作り始めても遅いのです。
そういった事情に全部知らんふりを決め込んで「最大電力需要6000万kWに近い電力需要を記録した時間数はわずか5〜6時間でしかない」という情報を自慢げに語る人々の言うことは、率直に言って当てにならない楽観論でしかないのですよ。
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