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原子力論考(99) 通信と電力(6) 限界コストの違い
»2013年6月25日
開米のリアリスト思考室
原子力論考(99) 通信と電力(6) 限界コストの違い
社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。
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こんにちは。本職:複雑な情報をわかりやすく書く力向上トレーナーの開米瑞浩です。
原子力論考は趣味で書いています。電力・原子力に関する知識は素人の独学です。念のため。
さて、96で、「通信自由化の時とは事情が違う3つの理由」として、「クオリティ低下への許容性の高さ」、「急速な技術革新」、「限界コストの低さ」を挙げました。通信の場合はこの3つの条件が成り立っているため「競争促進」で価格低下が起きましたが、電力についてはいずれも成り立たないため、競争促進をしても通信の場合のような価格低下は期待できません。
前の2つについては97,98で書きましたので、今回は最後の「限界コストの低さ」について書きます。簡単に言うと、
という話です。
「定額料金制」は、「通信料金が劇的に下がった」ことを象徴するシンボリックな変化でしたので、「発送電分離」でそれに近いものをなんとなく期待してしまっている方もいるのではないでしょうか。しかし、それはありえない、ということです。
以下、詳しく書きます。
まずは「限界コスト」という概念から。「限界コスト」というのは、
簡単な例を挙げましょう。
単純化するためにそれ以外の費用は無しとします。この場合、販売個数によって売上と費用がどう変わるかをグラフにするとこうなります。
図中、赤線が費用を表していて、機材一式は売れなくても必要なので販売個数ゼロでも6万円。その後は1皿売れるごとに食材原価の200円ずつ増えます。
青線は売上を表していて、販売個数がゼロのときは0円、1皿売れるごとに400円ずつ増えていきます。
そうするとあるときに売上が費用を上回り、それ以上売れば利益が出るようになります。この「それ以上売れば利益が出る」個数を損益分岐点といい、この話の場合は300個です。したがって「300個以上売れば利益が出る、よし! それぐらいなら売れるだろう! そして残った利益を山分けしよう!」 ということで出店を決めたとしましょう。
こういう話で言うところの「200円」が限界コストです。
大事なのは、
「商品/サービスを限界コスト以下で売ることは出来ない」
ということです。1つ作るのに200円かかるものを190円で売ったら、売れば売るほど赤字になるため、原則としてそういうことはできません。しかし、限界コスト以上なら利益が出ますので、当初は400円で売る予定だったとしても、なんらかの事情で値下げをしたいときには、たとえば機材費6万円の回収が済んだ後なら、210円に設定してもなんとか利益は出ます。
この「限界コスト」のコスト構造が、電力と通信では真逆と言っていいほど違います。
通信では: 非常に安い
電力では: 非常に高い
通信のほうのコストをグラフにするとこんな感じですね。
横軸は「単位時間あたりの通信需要」です。これが増えていっても、その需要に応えるための費用はほとんど増えません。通信回線で送るものは単なる「情報」なので、こういうことになります。例えて言うなら、1階から3階へパイプを通して「伝声管」として使えるようにした場面でも想像してみるとこのイメージが分かります。伝声管のパイプそのものを買ったり、床に穴を開けて通して固定してといった工事には金がかかりますが、一度通してしまったらその伝声管を使うのに追加の費用は要りません。一日中しゃべっていても、朝夕5分しか使わなくても同じなわけです。
そして、「単位時間あたりの通信需要」が増えていっても、通信量は「回線容量」以上に増えることはありません。一本の伝声管で2組が同時に会話をするのは難しいわけです。2組が会話をしたいなら、交互に話をする必要があります。そのため、通信の場合は「混んでいる時間帯は速度が遅く」なります。
というわけで通信では「限界コストが非常に低い」のに対して、電力のほうは逆です。
電力の場合、発電にはエネルギーが要ります。通信と違って「限界コストはタダじゃない」のです。そして、ベースに使っている水力、原子力の限界コストは安いのですが、石炭火力、LNG火力はやや高く、需要が最大供給力に近づいたときに使う石油火力は非常に高くなります。
その結果どういうことになるか、というと、
定額なのでいくら使ってもらっても売上は増えない代わり、一定のユーザー数を確保したら必ず利益が出ます。通信の場合は「限界コストが低い」ため、これが成り立つわけです。
「通信サービスが競争促進によって劇的に安くなった」というイメージを作った要因のひとつが「定額料金制」にあることは間違いありません。ダイヤルアップ式接続では従量課金のため電話料金にびくびくしながら使っていたのに、ADSLになったときは「これでもう心配要らない」と、すっきり晴れ晴れした気分になったものです。
しかし、当たり前ですが限界コストが高い電力で同じことをするわけにはいかないのです。電力で定額制なんぞやったら「料金を気にせず好き放題に」使うヤカラが出てくるはずで、↓こういうコストカーブのサービスで定額制などありえないのは当然でしょう。
需要が最大供給力を超えたときに起きる問題も通信と電力では根本的に違います。
通信の場合、「単位時間あたりの通信需要」が「回線容量」を超えたとき、つまり「みんなが一斉に通信をしようとした」場合は、通信速度が遅くなる、という形で自動的に調整が行われます。不便にはなりますが破綻はしません。「つながっている」状態は維持されます。
電力の場合、「単位時間あたりの電力需要」が「最大供給力」を超えたときは電力系統が崩壊し、大規模停電が起こります。いったん大規模停電が起こると復旧までに何時間も、下手すると1日以上かかり、その間街が機能を停止するため、それだけは絶対に避けなければなりません。
そのために電力会社はコストの馬鹿高い石油火力発電を使ってでもピークの供給力を維持しようとしています。実際のところ、ピーク時の限界コストは売電価格に対して完全に逆ザヤで、発電すればするほど赤字になる、そんな状態でやってるんですよ。赤字であっても供給しないと社会が死ぬからです。それが供給責任というもので、総括原価方式はその供給責任を守るための必要な代償なのです。
それが、「通信と電力との違い」です。どちらも固定費が大きいインフラビジネスではありますが、「クオリティ低下への許容性の高さ」、「急速な技術革新」、「限界コストの低さ」についてはまったく逆の特性を持っています。その性質を無視して、電力についても通信自由化の時のように「価格が下がって便利になる」ことを期待するのは無理があるわけです。
原子力論考は趣味で書いています。電力・原子力に関する知識は素人の独学です。念のため。
さて、96で、「通信自由化の時とは事情が違う3つの理由」として、「クオリティ低下への許容性の高さ」、「急速な技術革新」、「限界コストの低さ」を挙げました。通信の場合はこの3つの条件が成り立っているため「競争促進」で価格低下が起きましたが、電力についてはいずれも成り立たないため、競争促進をしても通信の場合のような価格低下は期待できません。
前の2つについては97,98で書きましたので、今回は最後の「限界コストの低さ」について書きます。簡単に言うと、
顧客に提供するサービスを1単位追加するためにかかるコストが、通信の場合はゼロに近いのに対して、電力の場合は非常に高いため、電力については定額料金制はありえない
という話です。
「定額料金制」は、「通信料金が劇的に下がった」ことを象徴するシンボリックな変化でしたので、「発送電分離」でそれに近いものをなんとなく期待してしまっている方もいるのではないでしょうか。しかし、それはありえない、ということです。
以下、詳しく書きます。
まずは「限界コスト」という概念から。「限界コスト」というのは、
商品やサービスの1単位を追加生産するために必要なコストのことで、別な言い方をすると変動費部分です。
簡単な例を挙げましょう。
学園祭で店を出してたこ焼きを売ることにしました。学園祭は3日間で、その間に利益を出さなければなりません。たこ焼き一皿を400円で売るとして、儲かるかどうかを試算してみました。
出店費用:
機材一式の3日間のレンタル料 6万円
食材原価 一皿あたり 200円
単純化するためにそれ以外の費用は無しとします。この場合、販売個数によって売上と費用がどう変わるかをグラフにするとこうなります。
図中、赤線が費用を表していて、機材一式は売れなくても必要なので販売個数ゼロでも6万円。その後は1皿売れるごとに食材原価の200円ずつ増えます。
青線は売上を表していて、販売個数がゼロのときは0円、1皿売れるごとに400円ずつ増えていきます。
そうするとあるときに売上が費用を上回り、それ以上売れば利益が出るようになります。この「それ以上売れば利益が出る」個数を損益分岐点といい、この話の場合は300個です。したがって「300個以上売れば利益が出る、よし! それぐらいなら売れるだろう! そして残った利益を山分けしよう!」 ということで出店を決めたとしましょう。
こういう話で言うところの「200円」が限界コストです。
大事なのは、
「商品/サービスを限界コスト以下で売ることは出来ない」
ということです。1つ作るのに200円かかるものを190円で売ったら、売れば売るほど赤字になるため、原則としてそういうことはできません。しかし、限界コスト以上なら利益が出ますので、当初は400円で売る予定だったとしても、なんらかの事情で値下げをしたいときには、たとえば機材費6万円の回収が済んだ後なら、210円に設定してもなんとか利益は出ます。
この「限界コスト」のコスト構造が、電力と通信では真逆と言っていいほど違います。
通信では: 非常に安い
電力では: 非常に高い
通信のほうのコストをグラフにするとこんな感じですね。
横軸は「単位時間あたりの通信需要」です。これが増えていっても、その需要に応えるための費用はほとんど増えません。通信回線で送るものは単なる「情報」なので、こういうことになります。例えて言うなら、1階から3階へパイプを通して「伝声管」として使えるようにした場面でも想像してみるとこのイメージが分かります。伝声管のパイプそのものを買ったり、床に穴を開けて通して固定してといった工事には金がかかりますが、一度通してしまったらその伝声管を使うのに追加の費用は要りません。一日中しゃべっていても、朝夕5分しか使わなくても同じなわけです。
そして、「単位時間あたりの通信需要」が増えていっても、通信量は「回線容量」以上に増えることはありません。一本の伝声管で2組が同時に会話をするのは難しいわけです。2組が会話をしたいなら、交互に話をする必要があります。そのため、通信の場合は「混んでいる時間帯は速度が遅く」なります。
というわけで通信では「限界コストが非常に低い」のに対して、電力のほうは逆です。
電力の場合、発電にはエネルギーが要ります。通信と違って「限界コストはタダじゃない」のです。そして、ベースに使っている水力、原子力の限界コストは安いのですが、石炭火力、LNG火力はやや高く、需要が最大供給力に近づいたときに使う石油火力は非常に高くなります。
その結果どういうことになるか、というと、
通信では定額料金制が成り立ちますが、電力では不可能ですつまり、定額料金制というのはこういうことですね。
定額なのでいくら使ってもらっても売上は増えない代わり、一定のユーザー数を確保したら必ず利益が出ます。通信の場合は「限界コストが低い」ため、これが成り立つわけです。
「通信サービスが競争促進によって劇的に安くなった」というイメージを作った要因のひとつが「定額料金制」にあることは間違いありません。ダイヤルアップ式接続では従量課金のため電話料金にびくびくしながら使っていたのに、ADSLになったときは「これでもう心配要らない」と、すっきり晴れ晴れした気分になったものです。
しかし、当たり前ですが限界コストが高い電力で同じことをするわけにはいかないのです。電力で定額制なんぞやったら「料金を気にせず好き放題に」使うヤカラが出てくるはずで、↓こういうコストカーブのサービスで定額制などありえないのは当然でしょう。
需要が最大供給力を超えたときに起きる問題も通信と電力では根本的に違います。
通信の場合、「単位時間あたりの通信需要」が「回線容量」を超えたとき、つまり「みんなが一斉に通信をしようとした」場合は、通信速度が遅くなる、という形で自動的に調整が行われます。不便にはなりますが破綻はしません。「つながっている」状態は維持されます。
電力の場合、「単位時間あたりの電力需要」が「最大供給力」を超えたときは電力系統が崩壊し、大規模停電が起こります。いったん大規模停電が起こると復旧までに何時間も、下手すると1日以上かかり、その間街が機能を停止するため、それだけは絶対に避けなければなりません。
そのために電力会社はコストの馬鹿高い石油火力発電を使ってでもピークの供給力を維持しようとしています。実際のところ、ピーク時の限界コストは売電価格に対して完全に逆ザヤで、発電すればするほど赤字になる、そんな状態でやってるんですよ。赤字であっても供給しないと社会が死ぬからです。それが供給責任というもので、総括原価方式はその供給責任を守るための必要な代償なのです。
それが、「通信と電力との違い」です。どちらも固定費が大きいインフラビジネスではありますが、「クオリティ低下への許容性の高さ」、「急速な技術革新」、「限界コストの低さ」についてはまったく逆の特性を持っています。その性質を無視して、電力についても通信自由化の時のように「価格が下がって便利になる」ことを期待するのは無理があるわけです。
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