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原子力論考(13) プルトニウムは地上最強の毒物という迷信

原子力論考(13) プルトニウムは地上最強の毒物という迷信

開米 瑞浩

社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。

当ブログ「開米のリアリスト思考室」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/kaimai_mizuhiro/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


 先日この誠ブロガーでもある友人と一杯やっていたときのこと、私が原子力論考を熱心に書いているのでやはり原子力の話は出るわけです。
 そこで気がついたことがいろいろあるのですが、そのひとつが「放射性物質の危険性がいろいろと誤解されている」ということです。

 たとえばこれですね。

プルトニウムは極めて毒性が高い。
角砂糖5個分で日本人全員の致死量になる、地上最強の毒物だ!!
それが飛散しているわけで極めて危険だ!!

 というデマ。これは某参院議員が言ったらしく、実は私も30年ぐらい前に似たような趣旨のことを何かで読んだことがありますが、結論は要するに「事実無根のデマ」です。
    
→   プルトニウムの毒性と取り扱い(09-03-01-05) ATOMICA
   
「プルトニウムの化学的毒性は、一般の重金属並みである。放射性毒性も皮膚に付着したり、経口摂取した場合はそれ程でない。
しかし、呼吸と共に吸入摂取した場合、晩発障害である発ガンの危険性がある。このため、プルトニウムは閉じ込めて取扱われているが、プルトニウムによる障害の起る可能性は一般公衆人よりも取扱い作業者に多くある。」

 化学毒性は「一般の重金属並み」とありますが、重金属というのはおおむね鉄よりも重い金属の総称で、たとえば鉄、銅、鉛などがこれに当てはまり、要するに普通の金属です。重金属のうちで特に毒性が問題になるものとしては鉛や水銀、カドミウム、ヒ素などがあります。やっぱり毒じゃないか! と思うかもしれませんが、微量であれば何の心配も要りません。

 いや、化学毒性じゃなくて放射能が問題なんでしょ? という心配も、結局は「微量であれば心配要りません」ということです。上記リンク先を見ると<プルトニウムを摂取した例>がいくつかありますが、最大許容身体負荷量を超える量のプルトニウムを吸入した例を20~30年追跡調査しても、発がん率や死亡率の有意な上昇はありません。福島原発からのプルトニウムの流出もごく微量であり、心配するようなレベルではありません。

 というわけで、「プルトニウムは地上最強の毒物」というのはデマです。もしそう言って危険を説く人がいたら、何を根拠にそう言っているか聞いてみてください。


■半減期の長い放射性物質は危険?

 あと、「原子力は人間には制御できないからやめたほうがいい」という理由のひとつに良く出てくるのが、

    「放射性物質の中には半減期の長いものがあって、ほぼ永遠に
    管理し続けなければならない。そんなことは不可能だ!
    したがって人類が手を出すべきではない」


 というものがあります。確かにたとえばよく聞くセシウム137は半減期が30年、プルトニウム239に至っては2万4千年です。
 セシウム137の30年というのも「半減期」ですから、たとえば10分の1に減るには90年以上、と人間の寿命以上にかかります。とても管理しきれない、と思うかもしれません。というより、私も初めて聞いた30年前はそう思いました。
 ところがその後知ったのは、

    半減期が長いほうが放射能の危険は少ない

 ということでした。
 これを模式図にするとこうなります。図中の「R」は放射性物質(Radioisotope)の原子1個を表していて、それが崩壊して安定同位体(S, Stable Isotope)に変わるときに放射線を出します。一度安定同位体Sに変わったらもうそれ以上は放射線を出しません。つまり放射性物質の原子1個は一度放射線を出したらそれで打ち止めです。(ただし実際はRから別種のRに変わる場合もありますが、このへんは枝葉末節なので略。結論は変わりません)



 要は、「半減期が長い」ということは「一定時間当たりに出す放射線が少ない」ということであり、その分、人間に与えるダメージは少ないわけです。
 例えるとしたら、「毎分500発連射できる機関銃と、1分に1発しか撃てない単発銃、どちらが危険?」というような話ですね。機関銃で撃たれると連射を食らって一気にダメージを負う恐れがありますが、単発銃なら何発も撃たれる恐れがないため、傷が小さくなります。
 ただしその代わり機関銃はあっという間に弾切れになりますが、単発銃の場合はなかなか弾が無くなりません。これが「半減期の違い」です。(なお、ベクレルというのは「毎秒何発」という単位なので、ベクレル数が同じなら同じ頻度で弾(放射線)が出てくるということを意味します)

 実際、たとえばチェルノブイリ事故においても、放射線被害が報告されているのは半減期8日のヨウ素131由来の甲状腺障害だけです。原子力事故において拡散しやすいもうひとつの核種、半減期30年のセシウム137による健康被害は報告されていません。

 いろいろと複雑な事情があるのをかなり単純化して書いてありますが、少なくとも

    半減期が長いから半永久的に危険が残る
    ・・・というようなものではない

 とは言えます。こういう趣旨で「原発は汚染物質が半永久的に残り、危険だからやめよう」と主張している人を見かけたら、「半減期が長いほうが比放射能が低いから安全なんじゃないの?」と聞いてみてください。「比放射能」というのは2種類の放射性物質の単位質量あたりの放射能の強さの比を表す概念です。一般の人ならおそらく9割以上はこの用語を知らないはずで、つまりは誰かの「危険だ!」という主張をそのまま信じて言っているだけです。


■「危険」「安全」どちらの主張にしてもソースの信頼性を見きわめましょう

 ある政策について賛成、反対の主張をぶつけあって議論するのは良いことです。
 ただ、その場合、どちらの主張についても「論拠」と「証拠(Evidence)」が必要です。特に証拠(Evidence)についてはその信頼性を見きわめる習慣を忘れないようにしましょう。



 ところが、反原発運動に限らず諸々の「市民運動」を30年間ウォッチしてきた私の経験から言うと、この原子力問題のように「国策」になっている大きな問題に対する反対運動の中核にいる人々はその点が非常に甘いことが多いです。
 だいたいの場合、その種の反対運動のパターンはこうです。

「危険だ!」という主張を論拠の中核に置き
「危険」を示すEvidenceを探しに行く結果、信頼性の薄い情報ソースにとびついてしまい
その信頼性の薄さを突っ込まれると「子供の命を危険にさらす気か!」といった人格攻撃に走る

 「プルトニウム猛毒説」もこのパターンで出てきています。30年前ならいざ知らず、現代ではそんな猛毒ではないということが実証されているのにこの話はいまだに出てきます。なぜそうなのか?

 反対派の中核にいる人々は、反対すること自体が目的であって、Evidenceは反対のための道具としか思っていません。だから、Evidenceを評価しようという意識そのものがないんですね。それが、市民運動を30年間ウォッチしてきた私の結論です。
 ちなみにここでいう「反対派の中核にいる人々」というのは、何十年も前から反原発運動をしている反骨の学者やジャーナリストのような人を言います。
 彼らを信じるな、とは言いませんが、信じる前に彼らが持ち出すEvidenceの信頼性を評価してみてください。適切な政策判断のためには、きちんとEvidenceを評価して判断する基本姿勢が欠かせません。


■ダイオキシンは猛毒ですか?

 そういえば、10数年前にダイオキシン騒動がありました。ご記憶でしょうか?
 ダイオキシンも「地上最強の猛毒」扱いされていましたが、今やほとんど報道には出てきません。ダイオキシンに実際どの程度の毒性があったのか、また、当時のダイオキシン騒動でいくらの対策予算が使われたのか、興味のある方は調べてみるとおもしろいことがわかることでしょう。

 人間はどうしても感情で動くものです。これは仕方がありません。
 「恐怖」は、多くの人の感情を動かしてお金を出させるには非常に効果的な手段です。だから、霊感商法や振り込め詐欺が成り立ちます。
 しかし、国策レベルの政策を考えるときには「感情」的な判断は禁物です。国の予算は有限なんです。ありもしない恐怖を煽って、必要もない予算を使っていたら、本当に必要なところにお金を使えなくなってしまいます。

 「危険」を主張する者にはEvidenceを問う。
 もちろん、「安全」を主張する者にもEvidenceを問う。
 これを忘れないようにしたいものです。

 
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