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原子力論考(28)適切な意思決定を妨げる「認知的不協和」問題について(1)
»2011年11月16日
開米のリアリスト思考室
原子力論考(28)適切な意思決定を妨げる「認知的不協和」問題について(1)
社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。
当ブログ「開米のリアリスト思考室」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/kaimai_mizuhiro/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
東日本大震災・原発事故から8ヶ月が経過しました。
当初わき起こった急進的反原発・脱原発議論や放射能への恐怖も一段落してきたころではあります。
そこで、そろそろ起きてくるはずの「認知的不協和」問題について書いておくことにしましょう。
まず、「福島第一原発事故にともなう放射能汚染」の深刻さと、「原子力発電の必要性」について、おおまかに2種類のスタンスがあるとします。
「問題なし」派
・現在の放射能レベルなら怖がる必要なし。
・原子力発電はエネルギー政策上必要なものだ。
「問題あり」派
・放射能はとにかく怖い。
・原子力発電はやめたほうがいい。
かなりおおざっぱですがこの「問題なし」派と「あり」派のどちらかに近いかで国民意識のスタンスを計ると、おそらく原発事故直後と、8ヶ月経過した今月ではこんな感じの差になっているのではないでしょうか。ただし、何か調査をしたデータがあって書いているのではなく下記のグラフはワタシの推測ですからあしからず。
要は、事故直後には「問題あり派」と、中間の「よくわからない」派で2つの山が出来ていて、「問題なし」派は激減していたのに対して、現在は「問題あり」派が減って「問題なし」派がかなり増えた状況ではないかと思われます。
事故直後にはちょうど下のグラフのHやIのスタンスであった人が、ある程度FやGに移り、一部はBCDにも移ってきているはずなんですね。
ちなみに私はBぐらいの考えです。
さてここで今後どうなるか、ですが、Jの人はおそらくごく一部を除いて今後も変わらないでしょう。それ以外のF~Iの位置の人は今後もっと「問題なし」寄りに移ってくる可能性があります。(私はそれを促進するためにこの原子力論考を書いています)。
ところが、特にHやIの人がそのスタンスを「問題なし」寄りに変えようとするときに、それを妨げる「心の働き」があります。それが、「認知的不協和」問題です。
以下、認知的不協和問題について簡単に説明しましょう。
ざっと以下の図のようになりますが、「事実」というのは、客観的に確認可能なものです。「私は1日40本のタバコを吸っています」これは数えることができますから客観的に確認可能です。「喫煙には健康リスクがあるとされている」これもWHOの勧告に出てますから客観的に確認可能です。
そういった「事実」を、「自分にとっての意味」として解釈したものが「認知」です。図中の認知A、認知Bをご覧ください。
人間は「事実」を「認知」しますが、時によって「複数の事実」についての「認知」が不愉快な対立=不協和を起こすことがあるわけです。認知Aと認知Bの組み合わせ(認知セット1)は、その不協和を起こしていますね。これが「認知的不協和」です。
認知的不協和を起こすとどうなるか? そこでよくあるのが、「事実の変更」ではなく「認知の変更」によって問題を先送りし、見て見ぬふりをしようとする行動です。
事実の変更:タバコをやめる
認知の変更:大した量は吸ってない(ヘビースモーカーじゃないよ)=認知C
認知Aを認知Cに変え、あるいは認知Bを認知Dに変えれば、「認知的不協和」は解消されますね。
もちろんそれは「認知的不協和」が解消されるだけで、事実が変わるわけではありません。問題は解決しないはずですが、人はしばしば「事実によってではなく、認知的不協和を解消する方向へ行動を取ろうとする」のです。
これが、認知的不協和問題。
原子力に関する態度について、「問題あり」という態度を強く取っていた(HやIのあたり)人は、「事実」を知る機会があれば本来「問題なし」のほうに移っていくはずです。
しかしそれが、つまり「自分のスタンスを『問題あり』から『問題なし』のほうに移動させること」が「認知的不協和」を引き起こす場合、無意識にそれを避けようとします。
具体的にはどういうことなのか、詳しくはまた明日。
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ
当初わき起こった急進的反原発・脱原発議論や放射能への恐怖も一段落してきたころではあります。
そこで、そろそろ起きてくるはずの「認知的不協和」問題について書いておくことにしましょう。
まず、「福島第一原発事故にともなう放射能汚染」の深刻さと、「原子力発電の必要性」について、おおまかに2種類のスタンスがあるとします。
「問題なし」派
・現在の放射能レベルなら怖がる必要なし。
・原子力発電はエネルギー政策上必要なものだ。
「問題あり」派
・放射能はとにかく怖い。
・原子力発電はやめたほうがいい。
かなりおおざっぱですがこの「問題なし」派と「あり」派のどちらかに近いかで国民意識のスタンスを計ると、おそらく原発事故直後と、8ヶ月経過した今月ではこんな感じの差になっているのではないでしょうか。ただし、何か調査をしたデータがあって書いているのではなく下記のグラフはワタシの推測ですからあしからず。
要は、事故直後には「問題あり派」と、中間の「よくわからない」派で2つの山が出来ていて、「問題なし」派は激減していたのに対して、現在は「問題あり」派が減って「問題なし」派がかなり増えた状況ではないかと思われます。
事故直後にはちょうど下のグラフのHやIのスタンスであった人が、ある程度FやGに移り、一部はBCDにも移ってきているはずなんですね。
ちなみに私はBぐらいの考えです。
さてここで今後どうなるか、ですが、Jの人はおそらくごく一部を除いて今後も変わらないでしょう。それ以外のF~Iの位置の人は今後もっと「問題なし」寄りに移ってくる可能性があります。(私はそれを促進するためにこの原子力論考を書いています)。
ところが、特にHやIの人がそのスタンスを「問題なし」寄りに変えようとするときに、それを妨げる「心の働き」があります。それが、「認知的不協和」問題です。
以下、認知的不協和問題について簡単に説明しましょう。
ざっと以下の図のようになりますが、「事実」というのは、客観的に確認可能なものです。「私は1日40本のタバコを吸っています」これは数えることができますから客観的に確認可能です。「喫煙には健康リスクがあるとされている」これもWHOの勧告に出てますから客観的に確認可能です。
そういった「事実」を、「自分にとっての意味」として解釈したものが「認知」です。図中の認知A、認知Bをご覧ください。
人間は「事実」を「認知」しますが、時によって「複数の事実」についての「認知」が不愉快な対立=不協和を起こすことがあるわけです。認知Aと認知Bの組み合わせ(認知セット1)は、その不協和を起こしていますね。これが「認知的不協和」です。
認知的不協和を起こすとどうなるか? そこでよくあるのが、「事実の変更」ではなく「認知の変更」によって問題を先送りし、見て見ぬふりをしようとする行動です。
事実の変更:タバコをやめる
認知の変更:大した量は吸ってない(ヘビースモーカーじゃないよ)=認知C
認知Aを認知Cに変え、あるいは認知Bを認知Dに変えれば、「認知的不協和」は解消されますね。
もちろんそれは「認知的不協和」が解消されるだけで、事実が変わるわけではありません。問題は解決しないはずですが、人はしばしば「事実によってではなく、認知的不協和を解消する方向へ行動を取ろうとする」のです。
これが、認知的不協和問題。
原子力に関する態度について、「問題あり」という態度を強く取っていた(HやIのあたり)人は、「事実」を知る機会があれば本来「問題なし」のほうに移っていくはずです。
しかしそれが、つまり「自分のスタンスを『問題あり』から『問題なし』のほうに移動させること」が「認知的不協和」を引き起こす場合、無意識にそれを避けようとします。
具体的にはどういうことなのか、詳しくはまた明日。
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
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