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「掛け算の順番」を指導しても文章題ができるようにはなりません
»2011年12月25日
開米のリアリスト思考室
「掛け算の順番」を指導しても文章題ができるようにはなりません
社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。
当ブログ「開米のリアリスト思考室」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/kaimai_mizuhiro/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
前号で、「掛け算のメンタルモデルができるまで」という話を書きましたので、今度は「文章題を計算式に落として(立式して)解く」プロセスがどうあるべきか、について書きます。
■■
「出題文」を読んでその状況を理解すると「状況イメージ」が脳内にできます。
それを構造化して「構造可視化モデル」を脳内に作れれば、
そこから「計算式」を立式するのは簡単な作業。
あとは計算という単純作業で「答」が出ます。
(なお、このプロセスは 掛け算には順序がある」・・・なんて、ご冗談でしょう(2) に書いたものを下敷きに一部加筆してあります)
さてこのようなプロセスのうち、「立式」段階で「掛け算には順序がある。1あたりの数×いくつ分の順に書きなさい」というローカルルールを導入した指導が信じがたいほどはびこっているわけですが、そもそもこのローカルルールの目的は、意義は何なのでしょうか?
「掛け算には順序がある」派の先生は
順序に気をつけさせることで、(1)状況理解を促進させられる。
また、(2)状況理解が出来ているかどうかをチェックする手段にもなる
と考えているようです。
が、この考えにはいくつか大きな問題があります。
■式は状況を表すのに適したツールではない
黒木先生の論考に詳しいですが、「式」というツールはそもそも上記の図でいう「状況イメージ」を表すのにはまったく向いていません。向いていない道具を使って「状況理解」の程度を図ろう、促進しよう、というのはそもそも不可能です。ナイフを使って釘を打とうとするようなものです。
■「状況理解」は読解力の問題であって、かけ算の問題ではない
前項を別な面からいうとこうなります。「出題文」を読んで、それがどんな状況であるかという状況イメージを脳内に描く場面で必要なのは、読解力であって計算力ではないということです。読解力を確認するならそれに向いた手段を使うべきで、計算の道具である数式をその用途に使うのは「ナイフを使って釘を打とうとするようなもの」です。
確かに、「文章が意味する状況を読み取れず、文章題で討ち死にする子供が多い」のは事実ですが、数式に関するローカルルールでそれを解決しようなんてのは無理な話なんですよ。
じゃあどうすればいいのか? というと、こういう「文章を読んで状況を理解する力」つまりは「読解力」を確認したいなら、原理的には「状況イメージを絵(図)に描かせて、自分の口で説明させるべきである」ということです。
(きっと、「そんなことをさせたら時間がかかる。現実の小学校の教育現場では無理だ」というような反論があることでしょうが)
■重要なのは「構造化」の能力である
最後に、本当に重要なのは「構造化」の能力だと言うこと、ここがポイントです。図中の赤い★印をつけてるところですね。
「状況イメージ」を元にして、そこから不要な情報を捨象して単純化・抽象化した構造可視化モデルを作れるかどうか。
「構造可視化モデル」なんて書くと難しそうに見えますが、この掛け算の話の場合は図中にもあるように、要素をアレイ形式に並べたイメージを脳内に描けるかどうか、というそれだけです。きちんとトレーニングしさえすれば小2でも何の問題もなくできます。最初から脳内でやるのは難しいですが、実際に何回も書かせてみればいいだけです。
問題は、この「構造化」能力に関するトレーニングをやっていないということなんです。
これをやってさえいれば立式は簡単な作業ですし、割り算にも簡単に応用が効きます。
ところが、その重要な「構造化」のトレーニングをやっていない。
それをやらずに「立式」段階でおかしなローカルルールを強要することで、構造化能力ではなく状況理解能力を促進・チェックしようとして、当然の結果として失敗している。
それが、現在の算数教育の状況ということです。
「文章題ができない子供が続出する」のはあたりまえでしょう。
■結論:「掛け算の順番」にこだわる指導は有害である
結局、「掛け算には順番がある」というローカルルールにこだわっても実際には算数の力をつける上で何の役にも立たないばかりか有害であるということです。
にもかかわらずこういう指導が広汎にまかり通っている、というのは重大な問題です。この事態を放置しておくわけにはいきません。
まずは最大の責任者である文部科学省が率先して思い切った手を打つべきでしょう。
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「出題文」を読んでその状況を理解すると「状況イメージ」が脳内にできます。
それを構造化して「構造可視化モデル」を脳内に作れれば、
そこから「計算式」を立式するのは簡単な作業。
あとは計算という単純作業で「答」が出ます。
(なお、このプロセスは 掛け算には順序がある」・・・なんて、ご冗談でしょう(2) に書いたものを下敷きに一部加筆してあります)
さてこのようなプロセスのうち、「立式」段階で「掛け算には順序がある。1あたりの数×いくつ分の順に書きなさい」というローカルルールを導入した指導が信じがたいほどはびこっているわけですが、そもそもこのローカルルールの目的は、意義は何なのでしょうか?
「掛け算には順序がある」派の先生は
順序に気をつけさせることで、(1)状況理解を促進させられる。
また、(2)状況理解が出来ているかどうかをチェックする手段にもなる
と考えているようです。
が、この考えにはいくつか大きな問題があります。
■式は状況を表すのに適したツールではない
黒木先生の論考に詳しいですが、「式」というツールはそもそも上記の図でいう「状況イメージ」を表すのにはまったく向いていません。向いていない道具を使って「状況理解」の程度を図ろう、促進しよう、というのはそもそも不可能です。ナイフを使って釘を打とうとするようなものです。
■「状況理解」は読解力の問題であって、かけ算の問題ではない
前項を別な面からいうとこうなります。「出題文」を読んで、それがどんな状況であるかという状況イメージを脳内に描く場面で必要なのは、読解力であって計算力ではないということです。読解力を確認するならそれに向いた手段を使うべきで、計算の道具である数式をその用途に使うのは「ナイフを使って釘を打とうとするようなもの」です。
確かに、「文章が意味する状況を読み取れず、文章題で討ち死にする子供が多い」のは事実ですが、数式に関するローカルルールでそれを解決しようなんてのは無理な話なんですよ。
じゃあどうすればいいのか? というと、こういう「文章を読んで状況を理解する力」つまりは「読解力」を確認したいなら、原理的には「状況イメージを絵(図)に描かせて、自分の口で説明させるべきである」ということです。
(きっと、「そんなことをさせたら時間がかかる。現実の小学校の教育現場では無理だ」というような反論があることでしょうが)
■重要なのは「構造化」の能力である
最後に、本当に重要なのは「構造化」の能力だと言うこと、ここがポイントです。図中の赤い★印をつけてるところですね。
「状況イメージ」を元にして、そこから不要な情報を捨象して単純化・抽象化した構造可視化モデルを作れるかどうか。
「構造可視化モデル」なんて書くと難しそうに見えますが、この掛け算の話の場合は図中にもあるように、要素をアレイ形式に並べたイメージを脳内に描けるかどうか、というそれだけです。きちんとトレーニングしさえすれば小2でも何の問題もなくできます。最初から脳内でやるのは難しいですが、実際に何回も書かせてみればいいだけです。
問題は、この「構造化」能力に関するトレーニングをやっていないということなんです。
これをやってさえいれば立式は簡単な作業ですし、割り算にも簡単に応用が効きます。
ところが、その重要な「構造化」のトレーニングをやっていない。
それをやらずに「立式」段階でおかしなローカルルールを強要することで、構造化能力ではなく状況理解能力を促進・チェックしようとして、当然の結果として失敗している。
それが、現在の算数教育の状況ということです。
「文章題ができない子供が続出する」のはあたりまえでしょう。
■結論:「掛け算の順番」にこだわる指導は有害である
結局、「掛け算には順番がある」というローカルルールにこだわっても実際には算数の力をつける上で何の役にも立たないばかりか有害であるということです。
にもかかわらずこういう指導が広汎にまかり通っている、というのは重大な問題です。この事態を放置しておくわけにはいきません。
まずは最大の責任者である文部科学省が率先して思い切った手を打つべきでしょう。