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原子力論考(35)振り上げた拳を下ろすのは難しい

原子力論考(35)振り上げた拳を下ろすのは難しい

開米 瑞浩

社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。

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久しぶりの原子力論考です。

今日は手短に書きます。

震災がれき受け入れ難航、住民交渉で反対根強く

どうにも気が滅入るような話です。

恥をさらすようですが、数十年前の自分の体験を書いておきましょう。

もう30年近く前のことです。当時私が在籍していた高校で、どんな経緯だったかはもはや忘れたものの、生徒会長の不信任案が出たことがありました。(実際には生徒会長という役職名ではありませんでしたが、わかりやすいようにこう呼ぶことにします)

とにかく何かの事件をきっかけに会長が糾弾される成り行きになり、全生徒を集めた総会の場で不信任動議が出るということになったわけです。

恥ずかしながら私はその不信任動議に賛成してしまいました。
恥ずかしながら、という理由は、その動議の内容をきちんと考えてこれは不信任に値する、と判断しての行動ではなかったからです。

今思うと「何も考えていなかった」に近いですね。不信任動議の提出者がこれだけ激烈に会長を非難するのなら・・・・ほら、非のないところに煙りはなんとかって言うじゃん? みたいな。

こういう心理が痴漢冤罪を生むのでしょう。

幸い、その不信任動議は否決されました。それでも賛成者が3~4割ぐらいはいました。そのうちの少なからぬ割合は、私と同じく「過激な主張をするアクティビスト」にコロリと影響された者だったのではないかと思います。

この事件はそれで収束し、私は自分が馬鹿なことをしてしまったことに気がつきました。その他大勢の中の1人でしかありませんでしたが、馬鹿をやったのは事実ですし、当時の生徒会長にはすまなく思っていますが謝ることができませんでした。

喧嘩を止めるのが、始めるよりも難しい、という場合はよくあります。特に、感情的に相手の人格否定にまで踏み込んでしまうとそうなります。放射能問題に関して「危険性を厳しく訴え」続けていると、実は危険じゃないんだよという科学的な情報を受け入れることもできなくなります。

震災がれきの放射性物質なんぞ誤差の範囲である、ということを認めてしまうと、それに対して強硬な反対運動を展開した自分はいったい何だったのか、自分こそ責められるべき不道徳者であるということになってしまうからです。

だから、反対運動を、相手の人格否定にまで踏み込んでやってしまうと、それが間違いであったとしてもそれを訂正する機会を自ら無くしてしまい、やむを得ずより過激に反対運動を継続せざるを得なくなります。怖いのは本人がそれを自覚していないことです。

そういう姿を私はこの数十年見てきました。かつて反政府運動が過激化し、市民の支持を失い極左過激派となっていった道同様、反原発運動も最終的には過激化し、影響力を失い縮小するでしょう。

ただ、強硬な反対派は少数でも行政をゆがめるものです。なんとかしてそれを防ぐ手立ては打っていかなければなりません。



(手短と言いつつずいぶん長くなりました)


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