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「ご静聴ありがとうございました」はやめませんか?
»2012年3月23日
開米のリアリスト思考室
「ご静聴ありがとうございました」はやめませんか?
社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。
当ブログ「開米のリアリスト思考室」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/kaimai_mizuhiro/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
こんにちは。文書化支援コンサルタントの開米瑞浩です。
一昨日の話ですが、こんな記事を読みました。
そうなんですよねえ。
研修をやっていると、講師のほうから軽い質問を投げて会場から返答をもらいたいケースがよくあります。
講師「ここの○○ですけど何だか分かります・・・・?」
会場の誰か「スタック、ですか?」
講師「そう! それそれ、スタックですよね」
という感じのやりとりをポンポンやりながら話を進めたいわけです。講師としては。
でも、控えめな人が多いとなかなかこれが成立しません。誰でもすぐにわかるような簡単な質問を振ってもなかなか答えてくれない。もちろん、その心理的ハードルが下がるように講師としてはいろいろな手を尽くすわけですが、なんにしても一筋縄ではいかない。
ところが、あるとき私がやっている企業研修で受講者の半分近くが中国人だったことがあり、そのときは様相一変です。なんのためらいもなく、よく喋ってくれる。
普段は2~30人ぐらいの受講者の9割が日本人なのですが、一度、クライアントの会社の中国法人から10人ぐらいまとめて受講者が来たんですよね。日本語はわかるから大丈夫、とは聞いていましたが、それでも実際どうかはやってみなければわかりませんから、少し心配はしていました。
それがいざやってみたら、講師の質問に中国人はすぐに答えてくれるのに日本人からはあまり声が出ない。心配無用、どころかかえってやりやすかったことがあります。
そんなわけで今日の提案。
「本日はご静聴ありがとうございました」という締めの言葉を使うの、やめませんか?
あるとき私が友人のセミナー準備を手伝っていたときのこと、リハーサルを聞いていたら最後にこのセリフが出たわけです。
開米:「ご静聴」されるとやりにくくない?
友人:・・・やりにくいね
開米:でしょ。じゃあそのセリフ削ろうよ
友人:そうか、そうだね。削るわ。
「ご静聴ありがとうございました」というセリフ、「みんな最後にそう言っているから」というだけの理由で深く考えずに「前例にならって」使っているだけのケースが多そうです。実際にこのセリフを使う例が10例あったら7、8例ぐらいはそうなのではないでしょうか。 調査したわけじゃないのでただのカンで言ってますが。
聞き手の態度としても「ご静聴」すること自体がいついかなるときも良いマナーになるわけじゃありません。
卒業式の来賓スピーチだったら「ご静聴」が求められる場合もありますが、ビジネス・プレゼンテーションやセミナーの場合は「ご静聴」されるとスピーカーにとってはやりにくいことが多いし、聞く側にとっても学びになりにくいんですよね。
そういう「ご静聴」主義を打破するために、まずは「ご静聴ありがとうございました」という締め台詞をいつもいつも習慣的に使ってしまうのはやめたいものです。(本当にご静聴して欲しいときに使うのはかまいませんけど)
ああ、いっぺんやってみたい。
「本日はナイスツッコミありがとうございました」という締め台詞で終わるセミナーを(笑)
(なお、「静聴」と「清聴」は微妙に意味が違うようですが、意味が違うこと自体ほとんど知られていないので私もいちいち区別しません)
一昨日の話ですが、こんな記事を読みました。
金を払って人に会う米国人、タダでも会わない日本人
日本でワークショップを開き、冒頭に『なんでも質問をどうぞ』と言ったら、なかなか質問が出ないでしょう。『金を払ったのに何も教えてくれなかった』とクレームが来る危険すらあります。日本人は他人の事例を聞くのは大好きですが自分のことはあまり言いませんし。
そうなんですよねえ。
研修をやっていると、講師のほうから軽い質問を投げて会場から返答をもらいたいケースがよくあります。
講師「ここの○○ですけど何だか分かります・・・・?」
会場の誰か「スタック、ですか?」
講師「そう! それそれ、スタックですよね」
という感じのやりとりをポンポンやりながら話を進めたいわけです。講師としては。
でも、控えめな人が多いとなかなかこれが成立しません。誰でもすぐにわかるような簡単な質問を振ってもなかなか答えてくれない。もちろん、その心理的ハードルが下がるように講師としてはいろいろな手を尽くすわけですが、なんにしても一筋縄ではいかない。
ところが、あるとき私がやっている企業研修で受講者の半分近くが中国人だったことがあり、そのときは様相一変です。なんのためらいもなく、よく喋ってくれる。
普段は2~30人ぐらいの受講者の9割が日本人なのですが、一度、クライアントの会社の中国法人から10人ぐらいまとめて受講者が来たんですよね。日本語はわかるから大丈夫、とは聞いていましたが、それでも実際どうかはやってみなければわかりませんから、少し心配はしていました。
それがいざやってみたら、講師の質問に中国人はすぐに答えてくれるのに日本人からはあまり声が出ない。心配無用、どころかかえってやりやすかったことがあります。
そんなわけで今日の提案。
「本日はご静聴ありがとうございました」という締めの言葉を使うの、やめませんか?
あるとき私が友人のセミナー準備を手伝っていたときのこと、リハーサルを聞いていたら最後にこのセリフが出たわけです。
開米:「ご静聴」されるとやりにくくない?
友人:・・・やりにくいね
開米:でしょ。じゃあそのセリフ削ろうよ
友人:そうか、そうだね。削るわ。
「ご静聴ありがとうございました」というセリフ、「みんな最後にそう言っているから」というだけの理由で深く考えずに「前例にならって」使っているだけのケースが多そうです。実際にこのセリフを使う例が10例あったら7、8例ぐらいはそうなのではないでしょうか。 調査したわけじゃないのでただのカンで言ってますが。
聞き手の態度としても「ご静聴」すること自体がいついかなるときも良いマナーになるわけじゃありません。
卒業式の来賓スピーチだったら「ご静聴」が求められる場合もありますが、ビジネス・プレゼンテーションやセミナーの場合は「ご静聴」されるとスピーカーにとってはやりにくいことが多いし、聞く側にとっても学びになりにくいんですよね。
そういう「ご静聴」主義を打破するために、まずは「ご静聴ありがとうございました」という締め台詞をいつもいつも習慣的に使ってしまうのはやめたいものです。(本当にご静聴して欲しいときに使うのはかまいませんけど)
ああ、いっぺんやってみたい。
「本日はナイスツッコミありがとうございました」という締め台詞で終わるセミナーを(笑)
(なお、「静聴」と「清聴」は微妙に意味が違うようですが、意味が違うこと自体ほとんど知られていないので私もいちいち区別しません)