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善意が悪意に飲み込まれるとき

善意が悪意に飲み込まれるとき

川乃 もりや

とあるところで、とあるコンビニのオーナーをしている、「川乃 もりや」です。事情により、匿名です。とあるコンビニの元社員が仕事や感じたことを、時にはコンビニの内情のあれこれをブログにしちゃいます。みなさんお付き合い下さい。

当ブログ「とあるコンビニオーナーの経営談議」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/kawarimonoya/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


 世の中に善意があふれれば、それは良い世の中となることでしょう。しかし、その善意を悪意を持って利用する人間がいることが、善意あふれる世の中を阻害しているのが事実です。
 話題となっている生活保護受給問題もそうです。生活保護の資金は、国民の善意の集まりです。法律化され、運用を自治体に委ねてはいますが、生活保護費は紛れもなく、国民の善意の集まりだと言えます。

 現在、受給制度にも不備があると思う。その中で大きな問題は受給を決めるラインだろうと筆者は考えている。
 扶養義務者の審査は、一律にライン決めをするのは難しい。今回のように、扶養義務者が明らかに高所得である場合は別だが、扶養範囲(現在では三親等が範囲;直系では祖父母、ひ孫、傍系では伯父伯母(叔父叔母)、甥姪まで)も含めて微妙なラインがそこにはある。
 また、働けるのに働かないで受給しようとする人もいる。これも、失業率が上昇してくれば、微妙なラインができる。
 それらラインを厳密に引くことは出来るのだろうか?

 筆者は難しいと考えている。どんなに厳密なラインを決めても、利用者が悪意を持って利用しようとすれば、必ず抜け道が出来てしまうからだ。だからこそ、受給者に善意がなければ、成り立たなくなるのだ。

 これは、生活保護問題以外でも言えることです。 

 このブログでも過去話題にした無断駐車問題。店舗営業における駐車場、スタート時は、単純に駐車場開放だったろう。しかし、そのシステムを悪用する人が出てきた。それにより、大型ショッピングセンターなどでは、時間による駐車料金回収を始めた。買い物をすれば、何時間無料とかだ。
 店の善意によって(経済活動における問題とセーフティーラインの生活保護受給問題とを、単純に比較するわけにはいかないが、根底にあるメンタルな部分は「フリーライダー問題」と同じように思える)、お客さんが便利に買い物が出来るようにと用意した駐車場が、悪意(無断使用する人)によって、本来買い物する人に善意が行き渡らなくなったからだ。先日も、当店駐車場を無断に使用して、現在その企業(誰もが知っている企業だ)と話し合いの最中だ。

 このように、善意を前提に作られたシステムというものは、悪意に対しての耐久性に脆い。と、いうより、悪意を想定してシステム作りをしていないことが多いのだ。
 法律的に問題がないとか、そういうことではない。善意で提供されているモノは、善意を持って利用しなければならないのだと、それがモラルというものだ。

 もう一つ、今回の件で考えたことは「権利」ということだ。

 受給する側の人が、生活保護受給を「権利」だと言っていることに、筆者は違和感を拭えないのです。確かに「権利」であるのは間違いがない。しかし、受給する側が「権利」と言うのはいかがなものだろうか。
 以前、「自己責任論」というブログを書いた。要約すると「自己責任という言葉は、自らのみ発せられる言葉だ」と、まとめた。
 今回は逆で、「権利」という言葉は、自ら発してはイケない言葉なのではないだろうか。

 2つの状況を想像して「権利」という言葉について考えてみてください。
◯「生活保護を受けるのはあたなの権利なんだから」
◯「生活保護を受けるのは私の権利なんだから」
それぞれのバックボーンについては読者各々で想像してもらいたいが、「あなた」と「私」この単語が違うだけで、印象がだいぶ違うように感じるのは筆者だけではないだろう。

 これは、筆者の経験則だが、「権利」を主張してくる人の多くは「義務」を果たしていない。今回も正当な権利のように言っているが、御存知の通り義務を果たしていない。

 最後に一つ、これはビジネス上でも使えるのだが、身内をかばう時には、かばいたい対象者のことは徹底的に叩いた方が良い。「彼はこういう思いでやったことなので許してください」などと、決して言うもんじゃない。その場合、どんな同情的背景があろうと、聞いてる方の怒りは収まらないものだ。
 言い訳は相手の意見を否定する行為だと肝に銘じるべきだ。批判が大きくならないうちに先手必勝で叩け。それが"かばう"というものだ。30年近く接客業をやってきた筆者の処世術である。