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記者に社内報の記事が書けるかと聞かれたら、即答します。
書けない。絶対に。と。
文章力がすごくなくても社内広報は務まる
最近、毎日新聞特任編集委員の近藤勝重さんが書いた「書くことが思いつかない人のための文章教室」を読みました。社内報をやっていると他人に文章の書き方を教える機会が多いので、なるべく文章について書かれた本を読むようにしています。
僕は10年以上前から、人より多くの文章を書いていますし、記者時代は短いながらも先輩にしごかれました。それでも文章力に自信があるかというと、そんなことはないわけで。このブログも書いては消し、書いては消しの繰り返しです。
社内報の記事に行き詰まったりすると、先輩ならもっと早くイケてる記事にするんだろうなあとか考えるわけです。誰もいない深夜のオフィスで。自分にもっと文章力があればと悩む日々。でも、ちゃんと社内広報やってますよ。
社内報にジャーナリズムはいらない
僕が記者を辞めて社内報担当になったとき、上司からは「社内報にジャーナリズムはいらないから」と言われた記憶があります。さすがに社内の不正を自分が暴いてやろうみたいな考えはなかったけれど、"会社"というものが情報をオープンにしないことへの反発はありました。
せっかく記者経験があるんだから、それを生かして社内の情報流通を加速させようと。会社を見える化しようと思いました。それ自体は間違ってないのですが、今だから分かること。それは、社内広報に"正しい"とか"正義"とか、そういう胸が熱くなるようなジャーナリズム精神は不要だということ。
先日、前職の先輩たちに会って「今は社内報をやってるんですよー。社内報もそれはそれで大変なんです」と話したら「文字起こしして全文掲載とかどんどんやっちゃえばいいじゃない」と言われて、やっぱ記者に社内報の記事は書けないなーと思いました。どんなに文章力がすごい記者でも、どんなに取材力がすごい記者でも、社内広報に求められているものを理解できていなかったら「社内報の記事」は書けません。
社内報は広報にしか務まらない
社内報の記事に必要なのは、とにかく全社視点。書く人は会社のあらゆることを理解していないといけません。経営状況、短期から長期の戦略、創業から今までの歴史、経営陣の想い、キャラクター、いま考えてること、社員の不満、社員の想い、モチベーション、活躍してる人、頑張ってる人、もっと評価されるべき人、社内報に求められていること、社外の目、社員の家族が考えてること、などなど挙げればキリがない。
その全てを内包して、いま、何を誰に伝えるべきで、何を伝えるべきではないかを考えます。会社のためになること、社員がどうすればモチベーションを高められるか、不満を解消できるか、蔭ながら売り上げに貢献できるかなどなど。
だから、文字起こししたものをそのまま全文掲載なんてあり得ないわけです。同じ文字起こしでも、会社の状況次第で編集後の内容はガラリと変わります。会社のこと、経営陣のこと、社員のことを本当に好きじゃなかったらできない仕事です。
伝えなければいけないことがたくさんある中で、季節に関するコラムとか風邪の予防の仕方とかオススメのレシピとかクロスワードパズルとか、今時そんなの載せてる社内報があったらディオ様ばりに「無駄無駄無駄無駄無駄無駄アァアッ」と言いたいです(作ってる人に)。
ちょっと前に某チェーン店系カフェの会社で社内報冊子のお話しを聞かせてもらったことがあります。素晴らしかった。一冊一冊どれも、何を伝えたいのか、何のためにその冊子が存在しているのかが明確で、担当者にこの企画の意味は? と聞けば、すべて納得いく説明が返ってくる。この人には到底勝てないと思いました。やっぱ社内報にとって文章力は価値を決める最大要因ではないなーと。
でも、その人も出版社出身。情報の出し方をシステム的、視覚的に理解しているという意味では、経験者が社内報をやるべきだと思います。思いだけでやってる社内報も見たことあるんですが、イケてるかイケてないかという点では、全然イケてなかった。
会社が好きなだけでは成り立たないし、文章力・取材力があるだけでも成り立たない。社内広報ってそんな仕事です。