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郷にいては郷に従え【一次選考通過作品】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
郷にいては郷に従え【一次選考通過作品】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
「申し訳ありません。新しく作り直します!」
頭を深々と下げる大手コーヒーチェーン店の男性店員。もしかしたら、店長かもしれない。
私は呆気にとられ、そんなに頭を下げるほどのことでもないのにと思った。
オーストラリアに移住して10年以上経つ私が時々日本に帰ってくると逆カルチャーショックを受けることがよくある。
各国それぞれ独特の文化があるのは当然であるが、欧米の文化に近いオーストラリアと日本では根本的な考え方が違うと実感した。
私は移住して最初の7年は観光業に従事した。オーストラリアの現地企業で日本人従業員は私のみだった。私の職務は基本的に日本人観光客へのサービス業。もちろん他国の観光客もオージー従業員も一緒にいる。そんな中でまず最初に止めた日本的習慣は「お辞儀」だった。このお辞儀というものは他国の人たちから見ると不思議な振る舞いのようだ。思わず私が日本人観光客に向かって頭を下げると周りから奇妙な目で見られた。休憩中にはオージー従業員から「なんでお辞儀するの?」「しなきゃいけないの?」「お辞儀の深さに理由はあるの?」と異物を取り扱うかのような口調で質問された。郷にいては郷に従えと考え、オーストラリアで働く限り、日本人観光客への応対の際は丁寧な言葉のみで応対しお辞儀をきっぱりと止めることにした。
私の経験からすると、海外で仕事を円滑に進めるためや、企業間の取引、そして個人的なやり取りの際は、文化的な背景を理解し、見た目の態度だけではなく内面的にも違いを認識することが大切だと強調したい。例えば、日本では「お客様は神様」だが、オーストラリアでは「客も人間」である。お金を支払ったサービスに不満な際、日本では客が店員に怒鳴ったり、ふてぶてしい態度をとることがよくある。また、その社員個人の責任ではなく、その企業の他で発生した問題でも、とりあえず代表者である目の前の社員に謝らせるという態度をとる人が多い。海外で同じ態度を振る舞ってはいけない。オーストラリアで店員に怒鳴ったり、ふてぶてしい態度をとると「人間ができていない。馬鹿な人」という目で見られ、謝罪を得るどころか応対してもらえなくなる可能性が高い。これは人間対人間のやり取りなら、人間らしく振る舞い、相手を尊重して人として扱うべきという基本的な考えである。外交的に苦情を申し立てなければいけない。怒鳴りつけるなどもってのほかである。そして、苦情の原因が店員個人の責任でなければ「なぜ私が誤れなければいけないのか?私の間違いではない」とオージーは言う。客の苦情に同感して、一緒になって企業の文句を言う場合もある。
個人的な経験ではこんなことがあった。私とオージーの主人が今の家に引っ越してきて1年経つが、インターネット兼電話の接続に5か月もかかった。オーストラリア国内最大手の会社だが評判が悪く、その5か月の間、接続に関する問題が意味不明にひたすら発生し続けた。それでも、田舎に住んでいるため、他の会社ではつなぐことができず、苦情を丁寧に言い続けて、接続と同時に謝罪金を受け取った。やっとの接続後も毎月金額が大きく間違った請求書(過剰請求)が届くため、主人は毎月電話で苦情を申し立てる。苛立ちは明確だが、それでも主人は苦情の内容を毎回違う担当者に淡々と説明し、外交的に「君個人に怒っている訳ではないんだけど、いい加減なんとかしてほしい。詳細を修正してください」と指示する。今月も電話をかけた。いつもの苦情に付け加え今月は「毎月毎月こんなことに時間を費やすのはうんざりなんだ。請求書を訂正して、$200のクレジットを謝罪金としてもれえないかな?」と声に怒りを隠せないながらも穏やかに言った。そして、状況を理解した電話の向こうの担当者はすんなりと$200の謝罪金を承諾した。もし、ふてぶてしく怒鳴ったりなんてしたとしたら、違った結果だっただろう。
そして今その店長らしき男性が新しい抹茶オーレを持ってカウンターから出てきて、私の前でまた深々と頭を下げ「お待たせしました。本当に申し訳ございません」と言う。私も思わずつられて何年かぶりのお辞儀をし「わざわざご丁寧にありがとうございます」と答える。そしてまたまたその男性が頭を下げる。飲み物一つにこの男性は何回頭を下げただろう。主人が「なんて大袈裟なんだ」と英語で言うと同時に横にいた母が「これが日本よ」と日本語で言う。その通り、日本の接客業を目の当たりにした瞬間である。
私は現在オーストラリアで飲食業に従事する。田舎町にある有機栽培の乳製品を製造する企業経営の喫茶店である。この会社の乳製品が好きな人やこの地方を観光する人がはるばると何もない牧場の中にぽつんとある製造工場に併設されたこの喫茶店を訪れる。日本人観光客はほとんど来ない。
ふと思う。私が空港の大手コーヒーチェーン店の男性と同じ状況だったら、牧場の喫茶店でどう応対するだろう?
きっとこう言う「ごめんなさいね。注文受けた者がすでにシロップが入っていることをお伝えしなかったようですね。他の飲み物と交換しましょうか?それとも返金しましょうか?」。もちろん私は頭を下げないし、必要以上に謝ったりしない。そして客は気を悪くすることもなく、快く交換か返金を選ぶだけだろう。文化が違えば客が望む応対も違うものなのだ。
(投稿者:Brown 奈々)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。