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真夏に昔の夢をもう一度【一次選考通過作品】

真夏に昔の夢をもう一度【一次選考通過作品】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 最近、盛り上がってないなぁ。。。

 佐々木は、お盆の休暇中に自宅から外を見ながら、ふと思った。

 佐々木は今年で35歳、となりには妻も娘もいる、それなりの会社に勤めている普通のサラリーマンである。思い起こせば、これまでずっとレールの上に乗って「順調な世渡り」をしてきた。1浪して希望の大学へ行き、留年もせずに就職活動を勝ち抜いて、大きな会社に就職し、順調に係長まで昇進した。そして、数年前に結婚し、子供もいる。今のご時世では「勝ち組」といって良いかもしれない。

 ふと、佐々木が思ったのは、自分はこんなレールの上をずっと歩いていくのだろうか、ということである。昔を思い出し見ると、大学の頃はこんなことを考えていた。将来は、小さな会社でも興してみようかな、と。あれから15年。小心者の佐々木は、レールの上の安全な道を歩いてきた。油蝉の声に混ざって「人生一度きり」という声が、居間のテレビから聞こえてくる。

 佐々木は、流行に乗って昨年facebookを始めた。みんながやっているらしい、ということで始めたのだが、意外と大学時代・高校時代の同期が簡単に見つかった。10年、20年ぶりのインターネット上の再会で、みんなの状況が投稿から伝わってくる。みんないろんな道を歩んでいるんだなぁと。大学時代にサークルで仲が良かった佐藤は弁護士になったらしい。そして、高校時代に同じクラスだった足立はビジネスコンサルタントというカタカナ職業に就いたらしい。

 お盆の後半、高校時代のクラス会をすることになっていた。facebookでつながってから、企画が持ち上がり、20年ぶりに会うメンバーもいる。佐々木は、楽しみである反面、みんなが自分のことを覚えていてくれているか心配でもあった。

 クラス会の当日、足立を含む8人と再会した。高校からの20年間のブランクが嘘のようである。まるでつい1ヶ月前に会ったかのように、当時の仲間の和が復活した。家に帰るまでの記憶が飛ぶほど、たくさんお酒を飲んだ佐々木だが、足立から聞いた「新規事業立ち上げ」の話は頭から離れなかった。大学時代に夢見ていた「小さい会社を興す」の答えがあるように思えたからである。

 お盆休みが終わり、会社と家を往復する日常が戻ってきた。佐々木は、お盆にふと思い出した「会社を興す夢」をしばらく忘れていた。秋の日曜日、子供の相手をしながら、facebookを眺めていると、弁護士の佐藤がこんな書き込みをしていた。

 「知らない会社の採用ページに、自分の顔写真が無断で使われている。珍しいこともあるもんだ。自分自身が弁護士なので、当然しかるべき措置を取る。」

 佐々木は、ぼーっと「じゃあ、どうやって証拠を裁判所に出すんだろう」と考えていた。採用ページのスクリーンショットを印刷して証拠にするのだろうか。悪意がある相手が採用ページをすぐに消して、「そんな写真使っていませんよ、勝手に合成したスクリーンショットで言い掛かりをつけているのでしょ」と言われたらどう反論するのだろうか。

 とりとめもなく考えていたら、昔の見本市で「タイムスタンプ」というサービスがあることを思い出した。これは「デジタルコンテンツの存在日時の証明と改ざんされていないことの証明」ができるサービスで、特許となるアイディアを先に思いついたことを証明するためなどに使われる。でも、これだけでは、ある時点に訴えたい採用ページが存在したことを証明できない。ある時点で自作自演のねつ造ページにタイムスタンプを押したと言われて、反論しにくいからである。

 佐々木は、足立がクラス会で教えてくれたあるフレーズを思い出していた。「すぐに解決できない問題がビジネスチャンスに繋がる」 今回はまさにそんな感じがする。佐々木は携帯電話を取り出し、足立に連絡してみることにした。足立は仕事が楽しくて、独身ライフを満喫している。足立は佐々木の話に興味を持ったらしく、その日の夜、2人は近くの居酒屋に飲みに行くことにした。

 その夜、佐々木と足立は駅前の個室風居酒屋にいた。生ビールでの乾杯もそこそこに、佐々木は思いついたアイディアを具体化した「第三者ウェブ実在証明サービス」の基本アイディアを話し始めた。

 第三者ウェブ実在証明サービスは、「ある時点」に「あるURL(ウェブ上の場所)」に「あるコンテンツ」が掲載されていたことを他人のために証明するサービスである。主に訴訟で証拠として補助的に使われることを想定している。

 足立は、一緒に具体的なサービスの中身を議論する立場ではなく、ビジネスコンサルタントという立場でのアドバイスをすることにした。あくまでも、サービスを実現し、さらに会社として成り立つように、考えるべき項目や進め方の面で手伝うということである。

 足立は佐々木のアイディアを黙って頷きながら最後まで聞き、少し沈黙してから「いいね」と言った。「ちなみに、」と足立は続けた。「どのぐらい本気で考えているの」と問うた。佐々木は2,3分考えた後でこう言った。「会社を辞めて起業するリスクは取れない。でも、週末はすべての予定をキャンセルして取り組むつもりだ」と。実は佐々木は聞かれるまで考えていなかった。アイディアを具体化することしか、考える余裕がなかったからである。そして、もちろんこのために週末を全て使う覚悟もしていなかった。でも、足立の言葉に押されて、そのように宣言してしまったのだ。だめ押しに足立も「俺も週末の1日はこの話に付き合う。ちゃんとやる、という約束したからな。」と佐々木の逃げ道を塞いだ。

 この日、足立は佐々木に宿題を出した。「顧客は誰か」を考えることが宿題である。顧客とは実質的にサービスに対してお金を支払ってくれる人のことを指す。必ずしも会社がサービスを行う相手だとは限らない。子供のスイミングスクールは、子供に泳ぎ方を教えるサービスをするが、親が意志決定をしてお金を払ってくれる。民間の放送局は、視聴者に音声と画像を送るが、広告主がお金を払ってくれる。単なる趣味ではなく、ビジネスとして検討するのであれば、まずはじめに顧客を定義するのが定石である。

 佐々木は宿題の答えが出せずに悩んでいた。確かに「あったらいい」サービスかもしれない。でも、それにわざわざお金を払ってくれる人はどんな人だろうか。少なくとも、証拠のウェブ画面を記録するときに、有償のタイムスタンプを利用する必要がありそうだ。その費用に、自分のサービスの経費や適正利益を載せる程度の収入は必要だ。一般消費者がこのようなサービスにお金を払うことは考えにくい。このサービスが何の役に立つのか、一言で実感してもらえないからである。とすると、弁護士法人が顧客になりうるだろうか。一般消費者のトラブルを弁護士が聞き、弁護士が調査の一部としてサービスを利用するという構図がよいだろう。つまり、顧客は日本国内の街の弁護士だ。

 次の週末、同じ駅前の居酒屋に佐々木と足立は集合した。まず足立が言った。「まだ続ける気はあるよな」 多くのアイディアは、単なるアイディアで終わる。考えるという辛い作業は、何かと理由をつけて先送りされ、うやむやに消えてしまうことがほとんどである。「もちろん。宿題をやってきたから聞いてくれ。」と佐々木は返した。

 佐々木は宿題の答えを披露した。足立は頷いた。「じゃあ、」と足立はアドバイスを始めた。「次は、知り合いの弁護士の何人かにインタビューして、このサービスの需要があるか、お金を払う価値を感じるか、をヒアリングして実現性を評価しようか」そして、今度は足立が知り合いの弁護士との打ち合わせの場を設定することになった。

 2週間後、足立の知り合いの弁護士3人と飲み会をすることになった。佐々木は、乾杯からしばらく経つのに、足立が雑談だけで本題を切り出さないので、少し不安を感じていた。その雰囲気を感じた足立は、佐々木に耳打ちした。「アイスブレーク」という手法で、いきなり本題を切り出さず、差し障りのない話題で「まずは仲良くなる」ことに注力するのだ。そうしないと、本音の情報を引き出しにくいのだと。

 ようやく足立が本題を切り出した。しかも、改まった形ではなく、雑談のネタに続けるようにさりげなく。弁護士は面白そうに聞いていたが、ひとことつぶやいた。「そこまでしっかりした証拠がなくても、裁判所は事実関係を認めてくれることが多い。相手にやめさせるだけの目的なら、そこまで必要ないのでは。そして、そもそもそういう訴訟は日本では数が少ない」と。でも、訴訟大国である外国ならチャンスはあるのではないかと。

 足立は、後日、弁護士からのヒアリングの議事メモを作った。そして、再び佐々木に宿題を出した。「先日のヒアリングを受けて、顧客の定義を見直すこと」

 足立が進め方の提示や問題点の指摘し、それを佐々木が考えて答えを出す、ということを毎週繰り返した。そして、半年後、顧客の定義をはじめとし、収支の予測を含む事業計画、会社組織、出資者や協力者との調整が整った。週末起業のスモールスタートなので、会社組織や出資者といっても親族だけではあるが。会社の登記が終わった夜、佐々木と足立はささやかな慰労会を開催した。これからは、佐々木だけでやっていくことになる。

 佐々木が一番苦労したのは、勤務している会社の兼業禁止規定である。会社の人事部に相談したところ、最初は「規則だからダメ」と言われた。しかし、最後は会社の本業と関係なく、競合にもなり得ないという説得と熱意で、兼業申請が承認された。

 佐々木の会社は、やっと生まれたばかりである。日本語と英語で丁寧な説明ページをつくったおかげで、数ヵ月後には海外と日本を合わせて月に2,3件は受注できるようになった。次は、どのように会社を成長させていくか、そろそろ足立に相談しようと佐々木は思っている。

(投稿者:H.Ichikawa)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。