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子供、派遣します【一次選考通過作品】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
子供、派遣します【一次選考通過作品】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
「聡おじさん、僕と一緒に起業しない?」
「は?」
「だから~、僕と一緒に起業しない?って言ってるの。」
自分が起業をするなんて夢にも考えていかなった。しかし、この会話をキッカケに私は起業する事になる。
最初に話を聞いた時には、絶対にこの会社は上手くいくはずが無いと思っていた。なんせ、提案してくれたのは、まだ小学5年生の子供だったんだから・・・
俺に起業をもちかけてきたのは拓也という甥っ子だった。その時の俺は大学卒業後、社内SEを10年勤めていたが、うつ病となり、休職を繰り返した結果、退職。自宅で療養していた半年後、体調も良くなりつつあり、そろそろ仕事を探さなければと思っていた時だった。
拓也は実家のすぐ近くに住んでいる兄夫婦の一人っ子。多少生意気なところはあるが、話しが上手く面白い甥っ子で、贔屓目に見てもすごくかわいい顔をしていて、子役になろうと思えばなれるんじゃないかと思ってしまう子だった。
その拓也が、実家にしょっちゅう来ては、一緒に買い物や映画、遊園地などに連れて行かされた。拓也にしてみれば、財布代わり、口うるさくない保護者を求めてたいのだろう。こっちとしても、時間は有り余るほどあったし、友人や元同僚と会うと働いていない事への後ろめたさを感じる為、子供と居る方が気楽で楽しかった。高いものをねだる子でも無かったので、お金もそれほどかからなかったし。
そして、いつものように拓也が家にやってきて、今日はどこに連れて行けと言われるんだろうと思っていたら、起業の話をされたわけだ。
「起業って、、、お前、会社を作るって言ってるのか?」
「そうだよ。それ以外の意味無いじゃん。いいアイデアがあるんだよね~。でも僕だけじゃ出来ないし、大人の力が必要だからさ。聡おじさんは暇そうだし、ちょうどいいかなと思って」
暇そうだとは言ってくれるよ・・と思いながら、確かに暇な私としてはどんな面白いことを言ってくるんだろうという期待もあったので、
「いいアイデアってなんだよ。アイデアの内容次第によっては、協力するよ。」
と返したら、説明が始まった。
「僕、子供を色々な会社に派遣する会社を作りたいんだよねえ~」
「派遣?派遣ってお前意味分かって言っているのか?」
「そりゃ、そうだよ。色々な会社に子供を派遣して、子供はそこで"お手伝い"をしてお小遣いを稼ぐのさ。僕達は派遣した会社からお金をもらう。」
聞いた時には
「お前なあ、知らないかもしれないけども大人だって仕事がない時代なんだぞ。子供にお手伝いしてもらいたい会社なんてあるわけないだろ。」
「あるよ。お祭りとかの屋台で、たまに店長の子供らしき人が大声でいらっしゃいませ~と言っているお店に、大人が「かわいい、かわいい」って言って、お客が集まってくるってあるじゃない。かわいい子供にひかれて、お客が寄ってくるって結構多いと思うんだよ。」
「まあ、たしかにそうかもしれんけど、詳しくは知らないがたぶん法律とかがあって、子供を働かせるなんて出来ないと思うぞ。」
「でもドラマとかCM見ていたら、子役って一杯出ているよね。あれだってお仕事でしょ?親が会社と契約すれば、それも問題ないと思うよ」
「うーーん。」
恥ずかしながら、この時点で俺は反論する言葉が出てこなくなってしまった。言っている事がもっともらしく聞こえてしまったからだ。
「子供は僕が探してくるよ。親だってお金が入るし、子供だってお小遣いが手に入る。最近、不景気でお小遣い減っている友達多いんだよね~。やりたいってやつ、一杯いると思うよ。」
だんだん、拓也の言葉に魅了されてきた俺は、
「そうだな。やってみるか。」
と答えてしまっていた。小学5年生の言葉を信じ込むってどれだけ馬鹿なんだよと思われるだろうが、仕事を探さなきゃいけないという焦りを抱えていたから、すばらしいアイデアに聞こえてしまった。
また、この拓也という子供の説明は、すっと大人を信じ込ませる不思議な力があった。以後、この力に助けられていく事になる。
この話を実現するにあたって、まずは両親や兄夫婦に相談したところ、
「子供を商売のダシに使うなんて!」
「そんな商売が本当に流行ると思っているのか!」
「子供を働かせるなんて、幼児虐待と思われないか!」
と、予想していた通り、強く反対された。
ただ、説明していく内に、「ありえない!」と思われていた強い反発が少しずつやわらいでいき、最終的には協力まではいかないけども、「まあ、別にやってみれば」というトーンには変わっていった。それは、この後に拓也が連れてきた子供の親に説明した時も同じであった。
しかし、これは俺の説明が上手かったわけではない。その説明の場に拓也もいたからだ。
私が納得されたように、他の大人達も自然とすっと納得されてしまっていたのだ。
派遣する子供は最初の説明の通り、拓也が見つけてきてくれた。どの子も見た目がかわいく、いわゆる「大人受け」する子達ばかり。どうやってこんな子達を集めたんだ?聞いたら、自分が通っている学校でスカウトをしたり、SNSを使って探したらしい。何から何まで小学5年生におんぶに抱っこだったわけだ。
会社を起こしてからは、拓也を引き連れて、営業を開始した。社内SEだった俺には営業活動の経験なんてなく、正直嫌で嫌でしょうがなかったのだが、拓也に背中を押され、電話帳やネットで会社を探し、手当たり次第に訪問した。
こんな飛び入りの営業で上手くいくはずないだろうと思っていたのだが、これまた拓也の不思議な力によって、それでは試しに呼んでみましょうと言ってくれる会社を早々に見つける事が出来た。
最初の仕事は、お祭りの屋台での売り子だった。拓也と友人の子供1人が、一生懸命に焼き鳥の売り子をしてくれた。人が多い中でも子供の甲高い声はよく響くし、子供が売り子をしているので、気になって見に来てくれる人が多数いた。結果、大繁盛し、雇ってくれた会社も大満足していた。
その様を見ていた私は、起業までしておいて、本当に仕事になるのかと半信半疑だったが、その効果に驚きと自信を感じていた。また、友人の子供の親も心配で見にきていたのだが、自分の子供が一生懸命に働く様に感動すら覚えて、私に感謝の言葉を述べてくれた。
今までのSE生活では、頼まれた仕事をこなし、出来て当たり前という風潮だった為、行なった仕事で顧客から感謝されるという事は、非常に新鮮で快感だった。
「顧客からも喜ばれ、従業員たる子供や親にも感謝されるっていうのは理想的な仕事なのではないか。」
この最初の仕事の成功から、私は自信を持つ事が出来てより営業活動にも力が入った。
お祭りやイベントでの呼び込みの仕事は非常に多く入った。やはり私も含めた、むさ苦しいおっさんからすすめられるよりも、かわいい子供からすすめられた方がついつい購入してしまうようだ。
子供服売り場からのモデルの仕事もあった。売り場に販売している子供服を着てもらう。孫に服をプレゼントしたい祖父母からすると、かわいい子供が実際に着ているのを見ると、イメージが湧きやすいらしく、普通に販売しているよりも売り上げが違うと好評だった。
地元テレビ局やケーブルテレビ局からの子役としての仕事も来た。大手プロダクションに依頼するとお金が高いという事からまわってきたらしい。
ゲーム会社からのゲームのモニターをやって欲しいという依頼もあった。通常のモニター募集だと、高校生以上の人になってしまい、子供の声がわからないかららしい。
断った仕事もある。病院や老人ホームから、慰労の為に来て欲しいという依頼もあったが、慰労を仕事としてしまうと、会社としてのイメージが悪くなるかもしれないと指摘され、断った。その指摘をしてきたのが拓也なのが恥ずかしいところだが・・・・
色々な会社に多数の子供を派遣した。顧客からは満足され、働いた子供も小遣いをもらえて喜び、また親にしても子供の働く姿をみて喜ぶ(かつお金がもらえる)という事で、会社は好評が好評を呼ぶ形になっていき、あっという間に1年の月日が流れた。この頃には、既に収入もSE時代を超えるようになっていた。
「この調子でいけば、更に事業を拡大していき、大金持ちになれるかもしれないなあ~」
なんて、妄想をいだきつつあった。
そんなある日、いつも派遣を受け入れてくれていた、イベント会社を訪問した際に、
「残念ですが、次回のイベントでの参加は結構です。」
と断られてしまった。ここ数回のイベントでは連続して参加させてもらっていたので、なぜ急に止めたのだろうと不思議に多い、無理を言って理由を聞いたところ、
「別の会社から、お話をいただきまして、次回はその会社を試してみようと思います。」
同業他社が存在するなんて、夢にも思っていなかった為、驚愕した。あわててネットで調べて見ると、子役などが所属している事で有名な大手芸能事務所が新規事業として参加していた事を知った。
とある事業が人気となれば、ライバル会社が増えてくるのは当たり前の話。その当たり前の話に当時の私は気がついていなかった。自分達だけの事業と思い込んでいた為に、他社の傾向なんて調べる事すらしていなかった。
拓也の力により、大人受けする子供が在籍していたとは言え、芸能事務所に所属するような子達には、やはり見た目では見劣りしてしまう。また、うちに在籍していた人気のある子達も芸能事務所で同じ事をやっていると聞きつけ、そちらに移籍してしまうという事態も出てきた。
人の取り合いになれば、資産の無いうちに勝ち目は無かった。人気があった子供達は取られ、派遣先の会社もまた多くが、芸能事務所に流れていってしまった。私はこの状況になんら対策を考えられなかった。それでも、うちの会社を使ってくれる常連客は残っていたので、この顧客と仕事を続けていけば、まだまだ会社としてはやっていけると思っていた。
しかし、その3ヶ月後に会社のトドメをさされる事態が発生した。
「聡おじさん、僕、会社をやめるよ。もうすぐ僕も中学生だしね。中学生になったら、子供の特権を武器に出来なくなるから、潮時かなあって。聡おじさんはこの後もがんばってもらっていいからね。」
この言葉で私は会社を倒産させる事を決意した。
もちろん、拓也が抜けてからも継続する方法はあったかもしれないが、考えれば考える程、派遣する子供の確保も営業も自分一人では無理だと思えた。
こうして、倒産手続きをし、私の社長生活は1年4ヶ月で終了した。
その後、就職活動をして、なんとかSEの仕事を見つける事が出来た。働けるありがたさを感じてはいる。しかし、以前、サラリーマンをしていた時には無かった、
(社長をまたやってみたい!)
という思いが強く湧き出るようになった。
(自分一人では何も出来なかったじゃないか)
(実際の社長は拓也でお前はお飾りの社長だったじゃないか)
と言う事は理解出来ている。しかし、それでもやっぱり、一国の主だった事は格別な思いだった。また、社長になってみたいという思いは募る。しかし、起業について、さしたるアイデアは湧いてこない。
(俺にはやっぱりサラリーマン生活が向いているって事だろうな・・・。社長は一瞬の夢だったんだから、変な気持ちを起こさないようにしよう。)
そんな事を思いながら、サービス残業をしていたある日、携帯にメールが届いた。中学生になった拓也からのメールだった。
「聡おじさん、起業してみない?新しいアイデアが浮かんだんだけど」
私は、走って会社のトイレの個室に入り、拓也に電話をした。
(投稿者:笠原悟史)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。