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社会への欄干【一次選考通過作品】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
社会への欄干【一次選考通過作品】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
社会人のハナっからマドギワだった。
新卒での配属先は<資料室>。社員向けの図書の貸し出し、資料のリサーチサービスをする部署だった。
日本橋の老朽ビルにある業界リサーチ会社である。「大手の一角」と自称するが三百名程の陣容。その一階の受付の後ろの社員向けの資料書棚には業界資料や会社リスト、新聞縮刷版、業界雑誌、紳士録、そして会社が刊行する本や雑誌が並んでいた。業界や企業の調査をするリサーチャーが資料の閲覧や借り出しをする。
ジョブローテーションやミスをしでかした社員、もう定年のオジイならわかる。だが期待の星の新入社員が、内勤のマドギワ部署への配属なのである。
辞令にはふたつ仕事があった。まず「資料室の仕事」。資料室長のH女史は理知的なスキのない女性で、ファンデーションにもスキがなかった。彼女の下には中央線沿線の地主のボンボンがいた。彼らについて図書室の仕事(貸し出し業務、製本や事典の修理、地下書庫の資料探索や整理...)をする。これが半分。
もうひとつは資料室の奥の「特命リサーチャー付き」。いちおう調査業務である。ところが特命とは名ばかりで、マドギワのふたりの、その手下だった。
焦げた皮膚の浅黒いA部長は、堅い巻き毛、チェインの遠近両用メガネ、ちびた鉛筆に大学ノートを丸めて歩く、まさに調査ゴロである。彼の唯一の部下は小太りのIさんで、どう見ても百科事典のセールスマン。いつもでっかいアタッシュケースを下げる彼は、彼女がいないのに3DKマンションを先物買いした。このふたりに付く「リサーチャー見習い」の仕事がもう半分である。
他の新卒は優秀なリサーチャーがゴロゴロいる部署に配属されていた。企業をコンサルするキラビやかな部長もいる。ある本部長がとりわけスマートで、マーケティングジャーゴンをふりまいて風のように去ってゆく。「ニッチ」という用語も彼から教わった。知的な興奮があった。
一方ぼくは地下書庫の資料整理に、調査ゴロと百科事典セールスマンのおしゃべりに耳を澄ます日々なのである。
落ち込むなと励ます同期もいたが、励ましは意外な場所に効いてきた。五月頃、会社のトイレの鏡の前で前髪をかきわけると、オデコが広がっていた。どうしたんだろうおれ...。
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このまま朽ち果てるのか...
この会社へは新聞広告の新卒追加募集を見て応募した。OB訪問や集団面接もなく、業界誌を作る会社かまあいいかと、行きがかり上入りましたーそんなものだった。だからいつでも「ヤーメタ」はあり。
だがヒタイギワを気にしつつも「チクショウ、どうせなら資料室の本を隅々まで知ってやろう、誰よりも資料に詳しくなろう」と考えた。
資料リストのノートを作りだした。どの資料にどんなことが書いてあるか、その資料はどんな使われ方をするのか、メモした。自社で刊行した本の売上数と内容を見比べた。この本は売れ、この本は売れなかった。その理由はなんだろう?突きつめると、売れた本にはふたつのパターンがあった。
「技術や商品テーマが時流に乗っていた」と「情報が網羅されていた」。
当時はインターネットのカケラもない時代で、情報収集といえば新聞を何紙も読んでハサミでスクラップを作る時代だ。だから「網羅・一覧」はニーズがあった。
さっそく新刊書の企画書を書いた。スルっと通った。日経新聞や業界紙誌のありとあらゆる「新規事業」の記事を集め、ひたすら要約する。業種別・分野別に読める編集をした。出来あがったのが『新規事業総覧』。目立つように真っ赤なコート紙に金文字のタイトル。他資料より分厚いのもお得感があった。
マドギワの新入社員がゼロから作った本はちょろかったが、予想外に売れた。
給料の二十倍以上を売上げて、ひそかに胸を張った。
それでも「マドギワから栄転せよ」という辞令はなかった。その代わりにA部長が「ちょっと」とぼくを呼んだ。競馬の予想屋のごとく耳に鉛筆をさし、赤い本をパラパラとめくりながらボソボソと言った。
「この本持ってサ、新規事業のリサーチを取る営業をしてみたら?」
一理あった。新規事業総覧には、大手企業の新規事業話が網羅されている。「X社が新技術で商品化」「Y社がα社を買収して◯◯分野へ進出」「Z社は遊休土地の有効活用」という報道で「そのあと」がフォローされていない。新規事業をやろうとしても「やり方がわからない」「やったが止まった」という企業はザラだ。そういうところに「市場調査からやりませんか」と勧めるのだ。何しろ営業リストはすでに本に網羅されている。
一張羅の背広をバン!と着てぼくは外周りを始めた。
暗い資料室の外は明るく広かった。日本橋、京橋、丸の内、新橋...と企業集積をねらって訪ねだした。百科事典セールスマンになってアタッシュに本を詰めて歩き出した。
だがぼくはどちらかと言えば引っ込み思案のオクテである。しかもノーアポの飛び込み。一流企業の受付で「◯◯新規事業室に取り次いでください」がなかなか言えない。受付をスルーして部署に行くと追っ払らわれる。
ある総合商社のトイレで、営業するかしないか何十分も悩んで座ったこともあった。秋冬物の背広は汗と冷や汗でぐっしょりになった。
やっぱりおれは向いていないのか...めげそう...。
++++++++++
夏の背中を秋の風が押し出した頃、同期入社の唯一の女性H嬢から電話があった。
「明日、お昼を一緒にできませんか?」
...もちろん。ぼくはナマ唾をのんだ。
聡明で明るくて清楚な美人。なぜこんな会社にまぎれこんでしまったのか。同期の<エリートたち>が争奪戦を繰り広げていたので、蚊帳の外を自覚していた。なぜぼくに...?
翌日。日本橋の旧市街にある木造二階建ての蕎麦屋。彼女は二階でもいいですか?と店の人に訊ねた。どうぞと丁寧に言われて上がると、広い座敷にはぼくらだけ。向かいあった。
「あたし辞めることにしました。鎌倉のベーカリーで働きます」
へえ...。ぼくは驚いたがムリもないとも思った。H嬢は業界筋の調査ウーマンより鎌倉のベーカリーの方が似合う。彼女のパンなら食べてみたい。でもなぜぼくに最初に伝えてくれたの?
「他の人とはちがうと思ったの」
いざ鎌倉。
何もかも捨てて、鎌倉に彼女を追ってゆこう。蕎麦湯を注ぐ手がカチカチ震えた。ふたりでベーカリーを営む情景が蕎麦ツユの中に浮かんだ。
ぼくらは立ち上がると、引き戸が開け放たれた窓際に立った。H嬢と並んで外の通りを眺めた。足は正座のせいで痺れていたので、年季の入った木の欄干をぎゅっと握りしめた。ほんとうは彼女の手を握りたかった。一緒に向こう側に行きたかった。だがその瞬間は、蝉が落ちるように、あっさりと過ぎた。
秋が歩道を覆いだした頃、ある大手建設会社の新規事業室から仕事を受注した。飛び込み訪問で「新規事業のお手伝いをします」と伝えて提案の機会をもらった。A部長とI社員の指導を受けながら書いた提案書に予算がついた。会社にとっても新規口座の開設という金星で、同期入社の中でもトップを切った受注だった。
そのときたぶんぼくは社会人になった。
あの欄干は「逃げるなら今、こっち」「いや脇目を振るな社会人になれ」という境目だったのだろうか。
あれ以来、あっち(女)へふらふら、こっち(仕事)へふらふらして社会人を続けている自分を見ると、象徴的な一瞬だったと思う次第である。
(投稿者:ゴードン郷)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。