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悲しい地歴【一次選考通過作品】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
悲しい地歴【一次選考通過作品】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
―近所でおばさんが夜な夜な庭を壊している―
この噂を最初に聞いたのは、地元商店街が主催した夏祭りの打ち上げ会場だった。小さな公園で顔なじみの商店主らと酒を交わしていた時にぽんと耳に入ってきた程度だったが、真の真夜中に中年女性が髪を振り乱して何か固いもの、つるはしか何かで庭を一心不乱に壊している様子を思い浮かべ、あまりの不気味さから脳が勝手に記憶してしまった。翌朝になってもまだ頭にイメージがへばりついていたから、その話を母親にしゃべると、おばさんの正体が「伊藤さん」であると知れた。「最近夫を亡くしたから、ショックのあまり神経を病んだ」というのが町内のご婦人方の結論だそうだ。どうやら伊藤さんはあまり好かれていないらしい。
単なる噂が伊藤さんという実体をもったことで、下世話な根性に火がついた。何か理由があるならぜひ知りたい。
町内の事情通に話を聞こうと、祖父の代から不動産屋をやっている幼なじみの須藤を訪ねた。不動産屋は人付き合いが命だから、町内のいろんなところに顔を出し世話をやいているおかげで自然と情報が集まる。須藤も例外ではなく、アメフトで鍛えた屈強な身体とそれに匹敵するほど屈強な顔面に反して面倒見がいいと評判だ。案の定予想は的中し、謎の行動の詳細がつかめた。夫を亡くして悲しみに暮れていた伊藤さんは、ある日突然丹精込めて育てた庭を壊し駐車場を作ったそうだ。
「未亡人になって生活に不安を感じたのかな。しかし突然だ、やはりショックが大きかったのかな」
「いや、どうもあれは相続税対策らしい」
「庭を壊すと相続税が安くなるのか?」
「詳しくは知らねえが、税理士の指示らしいぞ。まあ、300坪はあるから税金もたんまりとられるだろう」
「なんだ、不動産屋のくせに不動産のことを知らないのか」
「そう言うな、税金のことはよくわからん。気になるなら詳しいやつに聞いてみるよ」
それきり話題は他へそれ、しばらく雑談してから店を出たが、もやもやした気分は残っていた。そこで、もちはもち屋と家業の顧問税理士を訪ねてみることにした。事務所には幸い山口といううち担当の若い税理士がいたので疑問をぶつけてみたが、「相続のことはよくわからない」と言われてしまった。
「税理士が税金のことを知らなくてどうする」
山口はしきりにめがねの位置を直しながら必死に弁解した。
「相続は不動産がからんでくるので、うかつに手を出せないんですよ。相続業務ができる税理士は全体の1割もいないんじゃないですかね。でも、この辺りの路線価からいえば相続税評価額は2億はするでしょうね。税率4割として、8千万は相続税でとられますよ」
結局ここでも期待した回答は得られず、専門家に聞いてみるといわれて早々に退散した。
その夜、あてがついたと二人が報告してきたのが同一人物だったので、これも何かの縁だし商売のタネになればと3人揃って話を聞きにいく約束をした。
駅前にある雑居ビルの一室に「萩原不動産鑑定事務所」はあった。二人によれば、不動産屋にない税金の知識と、税理士にない不動産の知識の両方を備えている珍しい人なのだそうだ。萩原鑑定士によれば、相続税の規定には「広大地」というものがあり、今回の件はきっとそれに関係があるとのことだ。伊藤家は北と南で道路に接しているのだが、このままでは広大地が適用されないので、この内北側の庭を潰して駐車場に変えることで南側だけに接道する細長い土地を作りだし、無理やり適用を狙ったのではないか、という見解だった。うまくいくと評価額が9千万円も下がり、納める税金が3、4千万円も浮くそうだ。ちょっと庭を壊してこんなに得をするなら誰だってそうするだろう。感心して話を聞いていると、渋い顔で「ただね」とつぶやき、「きっとうまくいかないよ」と予言めいた言葉を付け足した。どういうことかと質問しても、「あとは結果が出てからにしましょう」と言って逃げられてしまった。
それからしばらくは成り行きを気にしていたのだが、こちらも暇ばかりしていられない。忙しく日々を過ごしているうちにすっかり頭から飛んでしまい、気づけば季節が一巡していた。ある日何気なく伊藤家の前を通りかかったら、そこにはかつての邸宅はどこにもなく、むきだしの地面と「好評分譲中」ののぼりが風にはためいているだけだった。しかも、立て看板をよくみてみると、「事業主須藤不動産」と書いてある。我が目を疑いながらその足で須藤を訪ねると、強面に似つかわしくない恵比須顔を貼りつけ「お前のおかげで大分儲けられそうだ」とのたまわった。何でも、即席広大地セミナーの翌日に萩原鑑定士が訪ねてきて、「あの広大地対策は失敗する。税務署に否認されてから慌てて売りに出すに違いないから準備をしておくように」と助言され、事実その通りになったのだそうだ。相手は売り急いでいたから随分安く買い叩けたらしい。そういえば、あの時もうまくいかないだろうと言っていたのを思い出した。なぜ1年も前に税務署の判断がわかっていたのだろうか。
怪訝そうな表情から察し、須藤がにわかに講釈をたれだした。
相続税は死亡時の現況で評価をするのだが、実際に税務職員が現地を確認するのは死後しばらくたってから行われる税務調査の時で、タイムラグが存在するらしい。そこで、過去を遡って現場を確認できないことをいいことに、死亡後からでも十分対策が可能だとアドバイスをする税理士が出てくるそうだ。つまり、今回のケースで言うと、本来なら広大地が適用できない土地をいじり、後出しで適用可能な土地を作りだしたのだ。税務調査に入られるのは3、4件に1件程度の割合だから、こなければ丸儲けという寸法だ。しかしそこは相手もプロ、当然管轄内にある大きな土地の動向には絶えず目を光らせている。例の土地にも分筆がされていないだの、固都税の地目が宅地だのと指摘をしてきたのだが、どれも決定的な証拠にはならなかった。このままうまく逃げ切れるかという矢先、ひょんなところから嘘がばれた。G社のストリートビューに以前の姿が残っていたのだ。しかも撮影時点は相続時点の直前というから、信憑性は高い。職員は周辺住民への聞き取り調査を行い、ついに相続人の嘘を見破り否認を突きつけたのだ。
須藤の得意気な顔には腹が立ったが、事情は飲み込めた。しかし、なぜ萩原鑑定士はあの時点で失敗するとわかったのだろうか。税務調査にさえ入られなければ露呈することもなかっただろうに。
意外なことにその答えは「聞いたことのない税理士がやったから」だという。相続業界というのは精通者が少なく、実績のある専門家なら大概名前を知っているのだそうだ。事実、その税理士は仕事ほしさに「できる」と言ったものの、相続の経験がなかった。実績のある税理士はもっとうまいやり方をするものらしい。結局、税理士は直後に行方をくらましてしまい、残された伊藤さんは、不足の税額はもちろん、延滞税に加え、悪質な行為とみなされて重加算税まで納付するはめとなり、支払いに窮したところを須藤にパクリといかれたのだ。
須藤不動産を辞去した私は、少し遠回りをして元伊藤家に寄った。そこには、数組の家族連れがチラシを片手に分譲地を見学していた。幸せそうな彼らを横目で眺め、複雑な気持ちで帰路についたの。
(投稿者:不動岳)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。