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シゴトとコイとグローバル【一次選考通過作品】

シゴトとコイとグローバル【一次選考通過作品】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 久しぶりの日本は、特に代わり映えしなかった。

 普通に大学を卒業し、会社勤めを始めてから10年余り。このままで良いのだろうかと、なんとなく危機感を憶えて、会社の海外研修に応募した。

 けれど、たかだか1年の海外研修で何かが変わる事を期待するのが間違いなのかもしれない。帰って来てから普通の日常に戻るのに大した時間はかからなかった。

 ただ、向こうで何人かの友人ができたのは良かった。ずっとメールはブラックベリーでやりとりしていたのだが、帰国時に支店に返してしまった。日本で配られた携帯は、ふたつ折の数字ボタンしかついていないものだったので、なんとなく使いやすそうなアイフォンを買った。

 しばらくは向こうの友人と、メールで近況を報告しあった。けれど中野のマンションと会社を往復するだけの日常では書く事も無くなってしまい、だんだんメールソフトを起動する頻度は減っていった。

 ある日、見慣れ無いアドレスからメールが送付されて来た。そこには友人からFacebookに招待されていると記載されている。ザッカーなんたらという若く優秀なアメリカ人が起ち上げたサービスという事は知っていたが、今までは利用していなかった。だが会社の同僚に聞くと、遠くの友人と連絡を取り合うのには便利そうだったので、とりあえず利用を始めた。

 しばらくは遠くの友人の近況を見たり、コメントを書いたりしていたが、友達が10人を超えたくらいから飽きてしまい、そのまま放っておく状態が続いていた。

 退屈な日常が等速直線運動のように過ぎて行く...

 ちょうど1ヶ月くらいたったある日、久しぶりにフェイスブックに友達リクエストが入った。

 カサイ ワカコ...

 しばらく誰かわからなかったが、何度か呟いているうちに、真夏の小学校の教室の匂いに包まれた。

 確か前から何番目かの右隅の方に彼女は座っており、私は左後ろの方から、ぼうっと彼女を見ていたのを憶えている。授業中たまに私の視線に彼女が気づき目が合うと、恥ずかしそうに俯き、微笑んでくれた。今思い出しても少し胸が締め付けられる。
そのときは気づいていなかったが、あれがきっと私の初恋だったのだと思う。

 彼女の基本情報を見てもほとんど記載が無いし、フェイスブック上の友達もまだいないみたいだった。けれど出身地のみ記載があり、それは私の出身地と同じだった。多少の違和感は憶えたが、懐かしさの方が上回り、承認ボタンを押した後メッセージを送った。

 それから彼女とのメッセージのやりとりが始まった。なんとなくお互いのウォールに書き込む事はせず、メッセージの行だけが増えて行く。もう20年以上前の事なのに、彼女は小学生時代をよく覚えており、私が覚えていないエピソードも沢山教えてくれた。
私は近況などを報告していたが、いつメッセージを書き込んでもすぐに返信があり、反応も良いものばかりだった。

 以前とは違い、なんとなく生活に張りが出来たような、気分が良い状態が続いていた。

 ただ、彼女の近況について尋ねると返信が無かったり、別の話題になる事が多かった。もしかしたら、すでに結婚でもしていて、ご主人には内緒でフェイスブックを楽しんでいるのかもしれない。そう思うと、何か秘密を共有しているような、ちょっと悪い事をしているような気分で楽しかった。

 自然と仕事にも積極的な姿勢が出るようになり、そうなると興味を覚える事も多くなる。仕事が面白くなるのと比例して忙しくなって、充実した毎日が過ぎて行き、少しずつ彼女への返信が遅くなり始めた。一方的に彼女からのメッセージは届くが、なんとなく違和感を憶える事が多くなった。

 私が居酒屋で同僚と飲んでいるとアイフォンが震え、

 「あまり飲み過ぎないでね!(^-^)/」

 仕事を終えて帰って来て、疲れて家のドアを開けると、

 「お疲れさま。明日も頑張ってね!o(^▽^)o」

 仕事でミスをして上司に叱られた後、

 「大丈夫。失敗は成功の母!( T_T)\(^-^ )」

 そのうち、彼女から会いたいというメッセージが入った。ちょうどその頃、私はあるプロジェクトのリーダーに抜擢され、土日の無い物凄く忙しい毎日を送っていたので、なかなか時間がとれないままになっていた。

 一方的な彼女からのメッセージは続く。

 なんで時間がとれないの?仕事って本当?彼女でも出来たんじゃないの?この間一緒にご飯食べてた人は誰?あーいうのが好みなの?なんか変わったね?ねぇ本当に時間とれないの?あの女は誰?会いたいよ?あーいうのが好みなの?ねぇ会いたいよ...

 気味の悪さより彼女の精神状態が心配になった。だが電話番号を尋ねると、パタっと返信が止まる。そして、またしばらくすると、同じようなメッセージが届き始める。

 その日、なんとか仕事を早く切り上げると自宅のマンションに急ぎ、エレベーターに乗ると、一番上にある、押し慣れた⑧のボタンを押した。

 家に入るとクローゼットを引っ掻き回し、小学校の卒業アルバムを見つけると、彼女の自宅に電話をかける。現在使われていないというメッセージが流れる。

 住所録の上から順に電話をすると、何人目かで友人に電話が繋がった。かなり久しぶりな事もあり、長い挨拶の後、私はこう切り出した。

 「ほら、一緒のクラスにカサイって女の子いたろう?カサイ ワカコ。あの子、今どうしてるか知ってる?」

 古い友人は、短い沈黙を挟み、静かに語り出した。

 「あ~、そっかぁ、オマエしばらく海外に行ってたんだったな...あの子、オマエの事なぁ...」

 途端、アイフォンが震えだし、急に電波が悪くなったようにノイズが入り始める。

 「ワカコちゃんねぇ、ザァ~、近くに住んでたん、ザァ~、なんか両親とか亡くなっ、ザァ~、だったみたい、ザァ~、借金とか、ザァ~、んで半年くらい前、ザァ~、サツしちゃったんだ...ツーー、ツーー、ツーー...」

 ドンドンドンドンッ、ドンドンドンドンッ!

 通話が切れた刹那、マンションのベランダの無い窓が、物凄い勢いで叩かれ始めた。

 アイフォンは震え続け、通知を知らせるアイコン上の赤い数字が増え続ける。

 アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ、アイニキタヨ...

 一瞬、少し焦ったがすぐに冷静さを取り戻した。私はこれまでオカルトを信じなかったし、今も信じていない。

 これまで起こった事を時系列に頭の中で並べ、違和感を憶えた部分に蛍光ペンでマークする。何が起こったのか、だいたい想像はついたが、いくつか腑に落ちない点が残ったので、蛍光ペンでマークした部分を後ろから確認する事にした。

 まずブラインドを上げ、窓を開けて周りを見渡す。残念だが大人になったワカコは、そこには居ない。拭いた事の無い窓だが、上の方の汚れが薄くなっている。誰かが何かで叩いたのは確かなようだ。

 頭の中で一行削る。

 続いてドアの外に出て、通常は出入り禁止になっている非常階段へ向かう。鍵に被された透明のプラスチックを外し、鍵を回してドアを開けて耳を済ました。雑踏の音以外は何も聞こえない。ひとつ上の屋上へ出た。周りはビルに囲まれていて景色は悪い。私の部屋の真上を横切り、下を伺う。すぐ下に部屋から明かりが漏れている。鉄柵を越えて足を伸ばせば、窓に届かない距離でも無いように思える。

 オートロックも無い古いマンションの屋上に部外者が勝手に入った場合、不法侵入と言うのだろうか?窓ガラスも割れて無いし、器物損壊にもあたらないだろう。

 もう一行削除。

 私は部屋に戻ると、固定電話を取り上げ、先ほどの旧友の番号をプッシュした。

 「あ~、イシヤマ?さっきはスマン、こっちの電波が悪くって。で、なんで俺が海外に行ってたのを知ってたんだ?」

 「あぁ、ワカコちゃんが亡くなったとき、一応オマエに知らそうと思って...ほら、初恋のうえに両想いだったんだろ、オマエら?でも携帯の番号知らないから実家に...」

 私は実家にブラックベリーの番号を連絡するのを忘れていた。ただ、就職したときに名刺を母親に渡していたので、会社の直通番号を幼馴染のイシヤマに教えたらしい。

 彼は聞いた番号に電話し、私に取り次ぐように会社の同僚に伝えたが、海外研修に行っているから取り次ぐ事が出来ないと断られたらしい。

 段々と当時の怒りがぶり返し始めたらしいイシヤマは、それから一気に捲し立てた。

 「じゃぁって言うんで、海外の連絡先かメールアドレス教えろって言ったら、本当に同級生かもわからないのに、それは無理だって...

 小学校の名前やオマエとの思い出とかを一生懸命に喋ってさ、最後にはワカコちゃんの名前まで出して、初恋の人が亡くなったのに、アンタ鬼かっ!ってソイツに言ってやったんだよ。

 そうしたら、会社で連絡して本人から連絡させるから、名前と連絡先を教えろって。
何か腹立ったけど、まぁしょうがないから、オマエからの連絡を待つ事にしたんだ...って、やっと電話してきたと思ったら、一体なんなんだよ!」

 そんな連絡は来ていなかった...

 イシヤマには何かの手違いでメッセージを受け取れず、連絡が出来なかった事を謝罪した。そして少し面倒な事に巻き込まれているので、再度連絡する事を約束し、電話を切った。

 蛍光ペンで引いたいくつかのラインを一気に消す。

 プロジェクトのリーダーに抜擢されたタイミングでエスカレートした内容、まるで私の行動を見ているかのようにタイミングの良いメッセージ、私がフェイスブックを始めた事を知っている人間...

 私はもう一度電話を取り上げると、最近では唯一となった暗記している番号をプッシュした。

 「俺だけどさぁ、ドーキちゃんってまだいる?」

 疲れた声で電話に出た会社の後輩が応える。

 「あぁ、先輩の同期さんでしたら、今日は珍しく早く帰りましたよ。先輩が帰った少し後くらいっすかねぇ?いつも朝は一番早く来て、夜は一番遅くまで頑張ってるのに、なんか思い詰めた表情で...

 プロジェクトも佳境なのに大丈夫かなって、みんなと話してたんすよ...」

 私は後輩に同期の明日の予定を確認してもらい、礼を言って電話を切った。そして、蛍光ペンでマークした最後のラインを削除した後、新たに一行書き加えた。

 「こんな下らないイタズラを実行した動機は何だ?」


 翌朝、いつもより早く起きると、朝食も摂らずに会社へ向かった。ビルの一階にあるコンビニで缶コーヒーを2本買い、自分と同期のデスクがあるフロアへエレベーターで上がる。

 行き先を示す白板には何も書かれていなかったようだが、今日ソイツが会社に来るかどうかわからないままオフィスのドアを開ける。フロアを見渡すと私のデスクの近くで一人だけPCに向かっている姿が見えた。

 おはよう、と声をかけると、顔はPCに向けたまま首だけコクっと動かしソイツは応える。私は自分のデスクに鞄を置くと、缶コーヒー2本片手にソイツのデスクに近寄り、1本を目の前に置いた。

 「なぁ、オマエってフェイスブックのアカウント、いくつも持ってんの?」

 キーボードを打つ指が止まり、ディスプレイを見詰めたまま呟く。

 「そんなの一個に決まってんじゃん...」

 一瞬、ソイツが右方向に視線を移したのを見逃さなかった。

 仕事上の嫉妬ほど無意味なものは無い。きっと私が先にリーダーになったのを妬み、足を引っ張ろうとでも思ったのだろう。それにしても少しイタズラが過ぎるし、もし私が昨夜の出来事を得体の知れないものの仕業と信じていたら、本当に仕事に支障が出たかも知れない。ここは、きちんと問い詰めて罪を認めさせ、謝罪させた上で、お互い仕事に専念すべきだ。

 「ちょっとオマエのアイフォン見せて...」

 その瞬間、ソイツは私の方を向き、しばらくジッと目を見詰めると、視線を下に落として力の無い笑みを浮かべた。

 いつか見た光景...頭の中で記憶が交錯する。


 ...私の海外研修が決まった時だ。ソイツは私のところに一番に来て、笑顔でおめでとうと言い、他にも激励の言葉をたくさんかけてくれた。私は照れもあったが、まぁ決まったのもタマタマだから、1年遊んで来ると応えた。

 そのあとだ。ソイツは私の目をジッと見詰めた後、下に視線を落とし、力の抜けたような笑顔を浮かべた。

 よくよく考えると、それまでダラダラと過ごした会社生活で危機感を憶え、新たな行動を起こせたのはソイツのおかげだった。国内の仕事しか経験の無い部署で、早くからグローバルへの対応を主張し、自らも通常業務を怠る事無く語学力向上に努めていた。入社以来、TOEICの点数も常に私よりもかなり上だったはずだ。

 海外研修にも私より前から応募しており、そのたびに運悪く選考から漏れていたが、腐る事無くチャレンジを続けていた。去年、一緒に応募しようと誘ってくれたのもソイツだった。

 結局、選ばれたのは私で、そこで不公平を感じて腐ってもおかしくないのにもかかわらず、逆に、頑張れ!留守は自分に任せておけと、激励してくれたのだ。

 そんな奴に対して、「1年遊んで来る」と言った私の無神経さは、一体何なのだ!逆の立場だったら、手をあげていたかも知れない。

 ソイツの常軌を逸した行動を誘発したのは、他ならぬ私自身だったのか?

 私は一気に缶コーヒーを空けると、勇気を振り絞って、こう切り出した。

 「実は今の仕事の進め方で相談があるんだ。正直、オマエの力を貸して欲しい。会社で話すのもナンだから、今夜、時間空けてくんねぇかな?」

 長い沈黙の後に小さく頷いたのを見て、新人の頃に二人で良く行った飲み屋の名前と、開始の時間を伝え、自分のデスクに戻りPCを起ち上げた。

 パートナーのオフィスでの打ち合わせが伸び、約束の時間を少し過ぎて飲み屋に到着すると、すでに同期は席に座り、飲み物も頼まずにイラついた仕草で煙草を吹かしていた。

 私も席に座り生ビールを二つ注文すると、煙草に火を点け深く息を吸い込んでから、こう切り出した。

 「実は、オマエも勘付いてると思うんだけど、俺、ずっと定時も土日も無くて、正直擦り切れ直前なんだ。なんとかプロジェクト全体はオンスケで進んでるけど、UIの英語版部分が、そろそろ火を吹きそうでな。今もパートナーのところで大喧嘩してきたとこなんだ...」

 同期はキョトンとしている。まさか本当に仕事の相談だったとは思わなかったみたいだ。構わず私は続ける。

 「で、相談なんだけど、UI部分をオマエにまとめて欲しいんだ。サービスの成否を決める重要なパートだから自分でって思ってたけど、正直オマエの方が適任だと感じてた...」

 同期の表情が明るくなるのが目に見えてわかった。それからは、ビールを片手にアーでもない、コーでも無いと仕事の話を続け、瞬く間に楽しい時間は過ぎて行った。

 店員の、もうそろそろ閉店の、と言う声で我に返り、伝票を持って立ち上がろうとすると、同期が私に向かって涙目で何かを話そうとしている。

 「あの、一連の件さぁ、実は...」

 ソイツが喋る言葉に上書きする形で、

 「頼むぜ、ドーキちゃんっ!あと俺、明日休むからっ~」

 そう言って、残り少なくなったビールジョッキを勢い良く相手のジョッキにぶつけた。

 その呼び方はヤメろだの後輩がタマに自分の事をドーキさんと呼んでいるのを聞いてムカつくだの急に休むとは何事だっ!だのとブツブツ言っていたが、構わず会計を済ませ、互いに別々の帰路に着いた。

* *

* *

 前日の酒が少し残っていたが、車の運転に支障が出る程では無かった。首都高を抜け、東へ向かう高速道路を1時間程度走ったところでサービスエリアに車を停め、一昨日の発信履歴から電話をかけた。

 「ハイっ、石山塗装店ですっ!」

 元気ハツラツな若い女性の声に圧倒されつつ、イシヤマの下の名前を伝えると、少し怪訝な感じで、少々お待ち下さいと言われた。電話の向こうで社長ぉ~と呼ぶ声が聞こえる。

 「ん?どうした、こんな朝っぱらから?しかし、いつもオマエはいつも突然だな...」

 私は、ある場所を訪ねたいので道を教えて欲しい旨を伝えると、今からイシヤマのペンキ屋へ来いと言われた。今日は仕事だろうから申し訳ないと伝えると、実家から引っ越したというペンキ屋の場所を一方的に伝えられ、電話を切られた。

 懐かしい風景を通り抜け、寂れた駅の近くに行くと、この地区には似合わない全面ガラス張りの綺麗なビルが現れた。まさかとは思ったが、高級車が無造作に停まっているロータリーに車を滑り込ませ、ビルの名前を確認する。

 「ISHIYAMA TOSO-TEN」

 受付の女性に自分の名前を告げると、程無くしてエレベーターからTシャツとGパン姿の恰幅のいいオッサンが降りて来た。

 「お~、久しぶり。で、オマエの車でイイか?」

 イシヤマが後部座席に乗ろうとするので、助手席へ促すと、おっとぉと言う声とともに車に乗り込み、シートを一番後ろまで下げ、背中を倒した。

 「とりあえず、真っ直ぐ...そこ右...」

 イシヤマの指示に従い運転しながら、合間を見て近況を尋ねた。

 長らく石山塗装店としてペンキ屋を続けて来た父親が5年程前に心筋梗塞で倒れ亡くなったので、急いで当時勤めていた会社を辞めて実家を継いだのだそうだ。

 イシヤマは、かねてからペンキ屋だけでは未来が無いと考えており、前職の人脈をフル活用して機能性塗料の開発を進め、いくつかの国で特許を取得した後、この地区にある大手企業の工場にサンプル出荷を始めていた。そして改良につぐ改良を続け、なんとか大量生産の目処がついたらしい。

 だが、時を同じくしてこの地区の経済を牛耳っていた工場は海外企業に買収され、別の地区の工場との統廃合を受け大幅なリストラが実施された。

 同級生のアイダやアキヤマ、イシイなども、この工場の従業員だったそうだが、別の地区に飛ばされたり、何とか転職したりで、この地区からは出て行ってしまった。

 ワカコの家は、この工場の従業員向けに飲み屋を営んでいたが、だんだんと経営が行き詰まり、悲劇の最期を迎えてしまったとの事だった。

 「あ~、そこの山をそのまま登ってって...」

 車を停めると素晴らしい風景だった。私はトランクから花束を出すと、先を歩くイシヤマの後を追った。

 石の掃除を終え、花を活けると、ひと束の線香に火を点けて台の上に載せる。そして、しばらく目を瞑り、手を合わせ続けた。

 せめてワカコが見晴らしの良いこの場所で、静かに眠り続ける事を祈るばかりだった。

 夏の強い日差しの中、一瞬、涼しい、けれど強い風が通り抜けた。

 墓地から少し離れ、見晴らしの良いところで柵に背中を預け、二人して煙草に火を点けた。深く吸い込んだ煙をゆっくり吐き出したあと、私はちょっとした疑問を口にした。

 「この墓は誰が?」

 「俺だ」

 「ワカコの借金って、どうにもならなかったのか?」

 「その時は金が無かった...」

 この地区の工場を皮切りに日本全国、そして世界へ打って出ようとした目論見は、海外企業による工場買収で脆くも崩れ去った。金というのは集めるのは物凄く大変だが、無くなるのはアッという間だ。イシヤマは必死の思いで新たな得意先探しに奔走したが、努力虚しく倒産寸前に追い込まれていた。ワカコが亡くなったのは、ちょうどその頃だった。

 「ヤバいとき何とか持ちこたえられたのは、多少なりとも塗装仕事があったからなんだ。あのビルが建ったり、高級車が来たのは、ここ3ヶ月の事さ。あの工場を買収した企業のおかげだ。皮肉にもワカコの墓を建ててやれたのも、そうだ。ただ、一社への依存は危険極まりないから、ビルや高級車で化粧して、別の海外大手数社と今も交渉を進めている。ここなら空港も近いしな...」

 工場のリストラ実施後、すぐにイシヤマの機能性塗料を使用した部品は開発される予定だったが、アメリカの大手金融機関の破綻を皮切りに未曾有の世界同時不況が起こり、計画は凍結された。しかし、新しいタイプの携帯電話がヒットした事により、次機種開発に合わせ計画は急遽再開され、結果、イシヤマは救われた。

 「もうちっと早く、コイツがヒットしてくれりゃあな...」

 私の方にアイフォンを向けながら、イシヤマは笑った。

 話を変えようとしたのか、彼は手にしたアイフォンをいじりながら、私にフェイスブックをやっているか聞いて来た。

 「もうフェイスブックは懲り懲りなんだ...」

 私はこれまでの経緯を全て話し終えると、イシヤマに対し自嘲気味に尋ねた。

 「仕事上の嫉妬とかって、本当にイヤだよな?」

 彼は、これ以上無いと言うくらいの大声で笑いながら、こう言い放った。

 「オマエって、決して頭は悪く無いけど、昔っから、ほんっとに鈍感な?両想いだった事を気付いてもらえなかったワカコちゃんも浮かばれないし、同期の彼女も複雑なオンナゴコロを、ここまで理解されないんじゃ浮かばれ無いよ...って、そっちの彼女は死んで無いか?

 それにしても、オマエが海外にいる時の連絡先教えるのを頑なに拒んだ、あのネェちゃんがねぇ?」

 頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。イシヤマの想像で全ての説明がつく。彼女は私に嫉妬したのでは無い...

 ワカコに嫉妬したのだ。ワカコの名を語ってのメッセージも、私を気遣ったり、励ましたりするものばかりだった。本当は、最初に会いたいと言った時点で私に全て告白して謝るつもりだったのかもしれない。けれど、なかなかハッキリとしない私のせいで、最後の趣味の悪いイタズラにまで発展したのかもしれない。それとも、擦り切れそうな私を休ませる為に仕組んだ...?

 胸が締め付けられる感触とともに、入社した当初の事を思い出す。良く一緒に飲みに行き、だんだん彼女に惹かれて行く自分の気持ちには気付いていた。しかし、仕事での関係を崩すのを恐れて次第に気持ちを抑えて行き、そのうち完全に忘れてしまった。

 私はイシヤマを会社の前で降ろすと、今度はゆっくり帰って来る事を約束し、ゆっくりと車を出した。

 しばらく手を振る彼の姿がバックミラーに写っていたが、中から呼びに来たらしいスーツ姿の社員に背中を押されるようにして、バックミラーから消えた。

 高速道路を東京方面に向かってしばらく車で走った後、適当なサービスエリアで車を停めた。そして彼女の名前をフェイスブックで検索し、友達リクエストを送った。

 彼女は承認してくれるだろうか?もし承認してくれたら、友達から始めてみようと思う。

* *
 *
* *

 残暑の厳しい秋があっという間に過ぎ去り、コート姿が街に目立ち始めた頃、我々のプロジェクトは盛大な解散式を行っていた。

 彼女がずっと温めていた斬新かつ合理的なアイディアが日の目を見た事で、停滞しつつあった利用者数を再び増加傾向に戻す事に成功した。特に、今まで上層部が懐疑的だった海外ユーザーの獲得に目処がついた事は、高い評価を受けた。

 会社からは、少なく無い額の報奨金が出た。しかし、この金をいつまでもとっておくと、次のプロジェクトが始まらない気がしたので、メンバー全員で、一晩で使い切る事を提案すると、誰ひとり反対するものはいなかった。

 年明けから新しいプロジェクトのリーダーとして彼女が海外に渡る事は、メンバーには、もう少し後で話す事にしよう。

 さすがに二次会くらいまでは皆で飲んでいたが、三次会、四次会となるにつれ人が少なくなって行き、最後に中野の店を出た時には彼女と二人になっていた。比較的意識はしっかりしているが、歩くのに難儀している彼女に肩を貸しながら、しょうがなく自宅へと向かった。新人の頃を思い出す。

 部屋に入り、いつもの癖でポケットの中身をテーブルに全て置くと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、ソファーに座った彼女に渡した。

 彼女は美味そうに喉を鳴らして半分程一気に飲むと、キャップも閉めずに私の方に差し出す。そのまま水をひと口飲み、ずっと気になっていた事を私が口にしようとすると、彼女はテーブルにアイフォンを置き、先に口を開いた。

 「ワカコさんとのやり取り、楽しんでたねぇ?でも最後の方、結構ビビってたでしょう~」

 彼女は、隣に座った私の鼻先に人差し指を向けながら顔を近づけてくる。以前なら怒ったかも知れないが、今は、出しにくい話題を先に振ってくれた事に心の中で感謝しつつ、笑いながら指を掴み、応じた。

 「ふざけんなよぉ...結構長く信じてたんだかんなっ!」

 彼女は掴まれていない方の手で、ゴメンの形を作って頭をペコリペコリとさせている。

 少しリラックスした状態になり、ベランダの無い方の窓を見ながら私は続けた。

 「でもさぁ、あの窓をドンドンやりながらメッセージ送るなんて、自分が恐かったんじゃねぇの?落ちたらどうすんの?」

 彼女がソファーの背に後頭部を乗せて応える。

 「え~、なんの話ぃ~?アタシここのマンション来るの10年振りなんですけどぉ...」

 そう言うと、彼女は寝息をたて始めた...

 ドンドンドンドンッ、ドンドンドンドンッ!

 いつか聞いたような音がし始めたと同時に、テーブルの上に置かれたアイフォンが震え始めた。

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(投稿者:NoZ)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。