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誰でも売れるんだ【一次選考通過作品】

誰でも売れるんだ【一次選考通過作品】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 一張羅のコートのボタンを一番上まで止めて、マフラーまで巻いているのに、本当に寒い。心も寒いのでよけいに寒い。

 「今年は、冬の風が身にしみるぜ」

 気取った独り言でおどけてみせようとしたが、次々と襲ってくる不安を紛らわせることはできなかった。

 それまでの10年間、電気器具の卸売会社の営業部長だった。肩書きだけで営業は俺一人。知人が社長の小さな会社で、電球だとか延長コードだとか、そんなものを扱っていた。

 いくつも商売を変えてきたが、ずっと営業だった。最初は子供用の百科事典の販売だった。これで鍛えられた。その後、どこの会社でも1番の営業成績だった。

 電気器具の卸売でも、半年でエリアのすべての小売店に納入できるようになった。電球や延長コードなんかで新規参入する余地があるのかって? 簡単だよ。売り込むんじゃなくて、店主と仲良くなることを考えたらいい。

 そのうち、ちょっと置いてみるかい、なんて話になる。いきなり大きなスペースを欲張っちゃいけない。ただ、場所についてはたとえばレジの近くなどとわがままを言ってみる。レジの周りに意外と売れてなさそうなのが置いてあったりするだろう? それをどけてもらって、用意してきたポップと一緒に置いてもらう。

 実績を作るための商品だ。当然格安だよ。だいたい街の家電屋なんて工夫してないところが多い。ちょっとしたポップで売れたりするんだ。一度実績ができたら、だんだん無理を聞いてくれるようになる。そのとき大事なのは必ず店のための、つまり売上と利益が出る提案をするんだ。置き方や見せ方の工夫で実際に売れてしまうからね。

 その際には、ほかのお店ではこうやって売れてましたって、写真を見せながら紹介するんだ。いやあ、デジカメって本当に便利だよね。営業マンは、絶対に持ってないとダメだ。

 こうなると経営コンサルタントみたいなもんで、営業マンという扱いではなく、店主のパートナーみたいに思われるようになる。そうなったら、一気にスペースが取れるんだよ。一店当たり最低3ヵ月は、かかるけど、コツコツやっていれば誰にでもできるよ。

 多少のコツもある。ただ、コツよりももっと大事なのは、本気で店の役に立ちたいとか本気で店主を好きになるとか、そっちのほうだ。

 言ってみれば簡単なことなんだけど、こんなことをやる営業マンが他にいないんで、一人勝ちできたんだ。

 こういうまっとうな商売を10年続けて、それなりに繁盛してたんだけど、大型量販店ができたのが痛かった。

 取引先が、バタバタとつぶれたんだ。いくら営業の腕があっても、売り先がないんじゃどうしようもない。社長があきらめて会社をたたんでしまった。

 それで48歳で失業者になったってわけだ。

 この年まで営業一筋の人間に、ハローワークは冷たいよ。何か資格はあるのって聞かれても、こっちは高卒だ。家が貧乏で大学にいけなかったんじゃなくて、本当に勉強が苦手だったんだ。資格なんてあるわけがない。まあ、なかなか難しいとは思うけど、気を落とさないでがんばって、だと。こちらは正月を越せるかどうかの瀬戸際なのに。

 女房殿が、どんと構えてくれているのだけが救いだった。でも、仕事が見つかる気配はまったくない。

 まっすぐ帰るつもりになれず、関内駅のほうに歩いてきてしまった。心がさみしいので、人が多いほうに来てしまったのだろう。

 大きな電気屋があった。俺の仕事を奪った量販店とは違うけど、なんとなく心がざわついた。ここで働かせろとどなりこんでやろうか。

 いや、それはさすがに大人げないと思いなおしたとき、携帯電話の売場が目についた。かわいい子がにこやかに案内している。携帯を買う気はなかったが、どうやってこの仕事にありついたのか聞いてみようという気になった。

 その辺は、営業で身につけたテクニックがある。簡単に聞き出すことができた。派遣会社に登録したんだそうだ。なるほど、その手があったか。

 

 翌日。派遣会社に行ってみた。若い人中心であなたみたいなベテランは来ないんだけど、まあ登録するだけならタダですから、なんてつれない返事。書類を書いた後、きょろきょろと見回していると、マイラインの販売員の募集のビラが目についた。

 「それはこれから配るやつなんです」と派遣会社の担当者。

 「つかぬことを聞くけれど、こういうのってベテランの管理者が必要なんじゃないの?」

 「いやあ。とりあえず採用して、売れなければ交替なんで、特にそんな人は要りません」

 何だよ、使い捨てか――俺は、ちょっとムカっとしたが、笑顔は崩さなかった。

 「でもさあ、クレームとかもあるんでしょ? そういう若い子だけで対応できるのかな?」

 「まあ、何とかなってますから。じゃあ、仕事があったらまた連絡しますので」

 けっきょく追い返されてしまった。

 

 ところが3日後。どうやら本当にトラブルがあったらしく、プレイング・マネージャーで来てくれないかという電話があった。何でもジャブは打っておくもんだ。これも営業で学んだことだけど。

 職場に行ってみたら、若い女の子ばっかりだった。まるでハーレムだ。どうしてもにやけてしまう。

 ところが、誰も相手にしてくれないんだ。まあ、25歳ぐらい年が離れているもんなあ。こっちも正直、話題なんてないし。

 しかたがないんで、クレームがあったらとにかく僕に回すんだよ、とだけ言って、営業の作戦を考えることにした。

 会社から手渡された資料は、マイラインの技術資料。まあ、素人でもじっくり読めば分かるようにやさしく書いてあるんだけど、とにかく分厚い。お客に何か聞かれたら、これをめくって説明しろってことなんだろうけど、こんなもので売れるわけがない。

 たまたまチャイムを鳴らした家が、マイラインを検討していて、そこにタイミング良く現れました――なんてことでないと売れないはずだ。だから、人数を集めて、とにかく回ってこいという。

 一定の割合でそういうお客もいるだろうから、まったく売れないということはない。でも100軒中99軒は門前払いだ。そのうちに必ず心が折れる。我慢強い子で3ヵ月ぐらいというところか。でも、替えはいくらでもいる。完全歩合制なので、雇っているほうはほとんど腹が痛まない。

 ひでえ話だ。

 マイラインは始まったばかりのサービスで各社力を入れている。いろんな会社の営業マンがやってくる。お客のほうからすれば、またかという話なので、門残払い率はもっと高いかもしれない。

 俺はこんなものを使わずに売れる。とりあえず今日はツール作りだ。明日から回ることにしよう。

 

 最初の3日はいろいろとテストをするつもりだったので、たいして売れなかった。最初にテストして、ツールを改良するんだ。そのおかげで4日目には数本、5日目からは毎日10本前後契約が取れるようになった。

 壁に成績表が張り出してある。それまでは月に50本前後の契約でトップだったのが、10日で抜き去ってしまった。これがプロと素人の差というもんだ。どうだ、リストラされたおっさんだと思って馬鹿にしてただろうけど、惚れなおしたか? いや、そんなにモーションかけられても困っちゃう......。

 夕方戻ってきて、日報を書きながら、そんな妄想をしていたら、成績表を見ていた女の子が突然泣き出してしまったんだ。

 女の子の名前はさゆりちゃん。目のクリクリしたかわいい子だ。いちおうマネージャなので名前を覚えていたんで、下心があったわけじゃないよ。女房殿以外興味ないんだ、本当は。それに、怖いしね。

 そのとき真っ先に思ったのは、これはやばい、ということだった。というのは、そのとき俺はさゆりちゃんと事務所で二人きりだったんだ。ここで誰かが戻ってきたら、セクハラ疑惑は免れまい。

 俺は慌ててさゆりちゃんのところへ行き、「僕でよかったら相談に乗るよ」とささやいた。

 今考えたら、それこそやばい対応だったかもしれない。ラッキーなことに、さゆりちゃんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに泣きやんで、「マネージャー、本当に相談に乗ってくれますか?」と言ったんだ。ホッとしたよ。応接室に移動して、さゆりちゃんの話を聞くことになった。

 さゆりちゃんの悩みは何となく察しはついていた。彼女、ぜんぜん売れてなかったから。

 「私、クビになるわけにいかないんです」初めて見せる真剣な顔だった。明るいだけの子と思ってたんだで意外だった。

 「どうして?」

 「弟が病気で入院したんです。それで男性と同じだけお金をくれる仕事を探したんです。

 でも、全然売れなくって。このままじゃクビです」

 「がんばってれば、そのうち売れるさ」

 「あのぉ~、正直、変なおじさんだって、吉田さんのことをそう思ってたんです。でも、いきなり売れ始めて。こんな人がきちゃったら、私だけじゃなくて、みんないらなくなっちゃうって心配してます。やっぱり才能なんでしょうか?」

 「才能なんか関係ないよ。やり方があるんだよ。でも、ここで教えてもらってるやり方じゃあ、とにかくたくさん飛び込んで、あとは運。正直、売れないやり方なんだ」

 「そうなんですか~。私でも売れるやり方があるんですか?」

 「うん。さゆりちゃんでも絶対に売れるやり方だ。そうだ。良かったら、明日僕と一緒に回ろう。後ろで見ていたら分かるよ」

 

 俺のやり方は本当に誰でもできるやり方だったんだ。15枚ぐらいでマイラインの歴史を紹介する資料を作っただけ。しかも、字はほとんどない。字があるとお客は、こちらの話を聞かずに読んじゃうからね。それだとお客をリードできない。たくみに主導権を取り続けることが営業の最大のコツなんだよ。

 俺たちは、先日さゆりちゃんが行って全滅した50戸ぐらいのマンションに行った。

 インターフォンのあるマンションだった。とりあえず101号室からチャイムを鳴らす。

 「恐れ入ります。日本××××の吉田と申します。マイラインの説明にまいりました」

 「営業でしょう? 間に合ってるわ」

 「ああ。やっぱりしつこい営業マンが来ているみたいですね。私もあれって大嫌いなんですよ。マイラインって最近騒がれているけど、ご理解なさっている方が少ないんですよね。それで、ご説明に回るというのが私の仕事なんです。お時間は5分だけです。売り込みはいたしません。ご理解なさったうえで、お客様がお選びになればいいと思うんです。そのお手伝いにまいった次第で」

 「そうなの? じゃあ、本当に5分だけよ」

 「ありがとうございます」

 自動ドアが、すぅーっと開いた。さゆりちゃんは魔法でも見たような顔だ。すでに契約している家庭も多いので、なかなかこうはいかないのだけど、今日はついてる。

 俺は、電話の歴史の説明を始めた。前島密という郵便事業を始めた人が、電話事業も始めたなんてところから始まる。お客もさゆりちゃんもキョトンとしている。普通の営業マンはマイラインの意味と利点から説明し始めるのだけど、それじゃあ売り込みだとすぐ分かる。こういう意外性が大事なんだ。

 その証拠に、最初はキョトンとしていたお客もさゆりちゃんもすぐに興味を持ち始めた。

 「へぇ~。そういうことなの。勉強になったわ」 5分どころか10分を少し超えたが、お客は感心してこう言った。

 「はい。それでね、マイラインが普及すれば、もっと電話代が下がって、みなさんお得になるんですよ」

 「そうみたいね」

 「一つ、みんなのためにご協力いただけないですかね? というか、もう日本のため。別にうちじゃなくてもいいんです。マイラインの営業につれなくしないでやってください」

 「おおげさねえ」と言いながら、お客は笑っている。

 俺は最後の図を見せながら、クロージングに入った。図といっても横浜を中心とした簡単な地図。

 「ちなみに、お宅ですと、どこにかけることが多いんですか?」

 「東京に主人の実家と娘の下宿があるんで、そっちかしら」

 「おお!それはラッキーです。うちは特に東京が安くなるんです」

 東京が安くなるのは本当だけど、実はどこにかけてもどの会社でも大差ないんだ。なので、答えに関係なく同じことを言うわけ。ギリギリの嘘。

 「そうなの? じゃあ、契約しようかしら」

 「ありがとうございます。では、こちらに住所とお名前と印鑑をお願いします」

 結局その日の午前中で、このマンションだけで5件成約。昼ご飯を食べながら、さゆりちゃんがしきりと感心して、褒めてくれるので面映ゆい限りだった。若い人にこんなに尊敬されたのは久しぶりのことだ。正直、さゆりちゃんがいたからちょっと張り切ったのもあったんだけど。

 「あの~、これなら私にもできそうです」

 「そうかい。じゃあ、午後はさゆりちゃんがやってみなよ。助け舟は出すけど、契約は全部さゆりちゃんのものでいいよ」

 「え~。ありがとうございます!」

 すっかり明るい子にもどったさゆりちゃんは、午後6件成約した。今月中旬までで4件しか取れてなかったんで、最初は自分でも信じられない様子だった。夕方にはすっかり自信を取り戻してた。いい笑顔だったよ。

 翌日からが大変だった。さゆりちゃんが突然売れ始めたので、ほかの子たちから次々と何があったのか聞かれたんだ。さゆりちゃんが簡単に白状しちゃうもんだから、女の子たちが殺到。毎日1人ずつ同行して歩くことになったんだよ。モテるのも辛いよね。

 

 私は、ずっと吉田和人の話に耳を傾けていた。さっきまで横浜の商工会議所での彼の講座に参加していた。終わってから、ぜひその話を私のクライアントにも聞かせてほしいとお願いしたところ、快く承諾してくれた。その後、昔話になったのだった。クライアントという言葉でお分かりだろうが、私はいくつかの企業のコンサルタントをやっている。どの会社も営業マンが自信を失っている。

 「これが10年前の話。それから口コミで広まっちゃって、営業を教えてくれって言う人が次々とメールをくれるようになったんだ。俺は俺で、若い人たちを使い捨てにする派遣会社に相当腹を立ててたんで、だったら彼らの力になってやろうと思ったんだ。ところがあまりに問い合わせが来るんで、さすがに面倒になって」

 それで、メルマガを始めたんだと言う。

 「これにノウハウは書いてるから読んでって。あっという間に登録が1000通を超えたんで、営業を教える講師になろうと思ったんだ。それから7年間、猛勉強」

 「7年間?」

 「そう。何でも1万時間勉強したら1人前になるって聞いて、早起きして1日4時間勉強したの。それで7年間でだいたい1万時間。講師のほうは100回やれば1人前になると聞いたので、それもやった。そうそう。今日がちょうど100回目だったんだよ。川森さん、いいタイミングで来てくれた。99回めだったら、声をかけてもらえなかったもしれない」吉田はそう言って笑った。

 「ちなみにその後、さゆりちゃんはどうなったんですか?」

 「あきらめていた就職活動を再開して、中堅の商社に潜り込んだよ。ときどき葉書をくれるんだけど、今期もトップの成績でしたって嬉しそうに書いてくれてる」

 それを読みたびに勇気をもらうんだ――そう言って、吉田はハンカチを取り出して、目にのあたりにあてた。「汗っかきなんだ」と言い訳しながら。

(投稿者:森川滋之)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。