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川縁でおはよう【一次選考通過作品】

川縁でおはよう【一次選考通過作品】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 目覚めるとベッドは草むらだった。

 頭が痛く、気分が悪い。身体が思うように動かない。辺りは薄暗いしなんだこりゃ、一体俺はどうした......と目を細めていると、すぐに昨夜の接待を思い出した。

 東京から営業が取引先の部長を連れてくるというので、マーケティング担当兼製品企画担当の俺はビジネス戦略を説明する要員として同席を依頼された。当たり前のように夜付きで、比較的若手、一人暮らしという俺は途中で抜けるチャンスも得られず二軒目、三軒目と連れ回された。

 俺の勤務する本社は地方都市だ。車社会なので終電などという概念もない。顧客も週末の出張先とあって翌日のことを気にせず子どものように感情を解放していた。喜んでいただけたのなら何よりだが、できれば巻き込まれたくはなかった。

 しかし別段、日が変わって数時間飲むのは客が来れば珍しいことでもない。

 さて昨日は最後どんな状態だったっけ......記憶の隅を探ってみる。

 料亭、キャバクラ、カラオケスナックと掛け持ちして最終的には茶漬け屋に辿り着いたのをなんとか思い出した。地元では有名なその茶漬け屋は基本的に定額食い放題で、七杯完食すると店の壁に色紙を貼ってもらえる。既に俺はそれを何度も書いていたが、その話を聞いた先方の部長が「是非見せてくれ、若い奴の食いっぷりを」などと言ったので、既に脳味噌がアルコール漬けになっていた俺は後先考えず平らげた。

 ようやく解放されたときには吐きそうだった。それが飲み過ぎのせいなのか食い過ぎのせいなのか最早解らず、しかしタクシーに乗ったら確実にゲロるということを判断できる程度にはまだ頭が回っていた。

 家までは徒歩30分程度だ。街で飲んだ後歩いて帰るのも珍しくはなかったので、俺はふらつく足取りで川のほうへ向かった。街中を通る川沿いを下っていくのがいつもの帰り道だった。

 そこまで思って、そうかつまりここは川縁だ、と認識した。

 歩いて歩いて、途中で「少し一休み」と思ったのだろう。ゴミのように転がりながらそのまま朝まで過ごすのは初めてではない。

 典型的な二日酔いの症状に、すぐ起き上がれそうにはなかったので、俺はさらに眠る前のことを思い返すことにした。

 会社は俺が新卒で入社する一年前から、8年連続で赤字続きだ。その前は10数年一度も赤字がなかったというから、外から見れば「寿命だよ」と言われても仕方ない状況だ。

 古株と話すと「昔は良かった」とか「ボーナス3ヶ月分は出てたんだけど」とかいう話を聞くが、生憎良かったころを知らない俺たちの世代にはピンと来ない。そもそもボーナスなんてものを貰ったことがない。

 逆に、この会社が黒字になるイメージが湧かない。ずっとこのままなんじゃないか、という気すらしてくる(それは日本経済全体に対してもそう思うのだが)。

 同期のメンバーで入社以降時々集まって飲むのが恒例化しているが、最初の数年は「なんとかなるさ」とか「まずは仕事を覚えて少しでも役に立つんだ」と言っていた人間も、徐々に愚痴るようになってきた。

 「給料が安過ぎてやってらんねえよ」

 「仕事はどんどん増えるくせに、もっと残業を減らせっておかしいんじゃないの?」

 「やらない奴はさっさと定時で帰るから、やる奴に仕事が溜まる。人に仕事が付いちゃってるのに待遇に差はないよね......」

 数年前はどうやってこの会社を良くしていこう、という会話をしていたはずなのに、今や会社の悪いところを挙げていく会になってしまった。割り切って趣味に生きる人間も出てきたし、辞めた人間もいる。

 俺が入社以来ずっと身近な目標としてきた、同期の出世頭である柱谷も一年前に見切りを付けた。

 「もう限界だよ。この会社は取捨選択ができてない。他社は力を入れる事業にリソースを集中させて切るところは切ってるのに、うちは全てのやってることに対して『今いる人員で勝て』と指示する。まるで米中と同時に戦って勝とうとした旧日本軍だ。根性でなんとかなることとならないことがあるだろう?」

 悟った目の柱谷を引き留める言葉が俺には見つからなかった。現場ではどうしょうもない、経営が悪い、と結論付けてしまえば、確かに役員にならない限り自分たちには手が出せないだろう。指揮官を見限って野に下るのは正しい選択肢のようにも思えた。

 だけど俺は同じ選択をしようとは思えなかった。会社の悪口を言うのも経営が悪いと決めつけるのも何か言い訳をしているような気がしていた。

 そのくせどうして自分がここに居続けているのかは説明できない。ただ、あるとき同期の平泉とやり取りした会話が、頭の片隅に残っている。

 「お前はどうして愚痴も言わなきゃ辞めもしないんだ? マーケティングとか企画部門なんて、色々な部署からの風当たりも強いだろ?」

 確かに、と笑ってしまった。情報を集約して戦略に関わる自分のところには、色々な立場の人間から多種多様なリクエストやクレームが届く。

 「どうしてそこまでやる?」

 解らなかった。心底悩むような顔をした俺に、平泉はなおも訊いてくる。

 「この会社が好きなのか?」

 ノーだった。

 「何かこだわる理由があるのか? どうしてもここでやりたいこととか」

 ノーだった。

 「社長になるつもりなのか?」

 ノーだった。出世を具体的に狙ったことはなかった。

 そりゃあ、と気が付けば口が勝手に動いていた。

 「俺だって不満はいくらでもある。はっきり言って、この会社はクソだ」

 皆の愚痴が間違っているとは思ったことがない。

 酒の入った平泉が大袈裟に頷く。「そうだろそうだろ」仲間を見る目だった。

 「けどそれと、自分が頑張らないことには何の因果関係もない」

 そんな風に思っていたのか。

 ......と、思ったのは俺自身だ。

 平泉は解るけど解らない、というような複雑な表情になっていた。俺は自分の言葉の意味を後から噛み締めた。

 俺の人生は俺のものだ。今いる環境が悪いからと言って、自分の人間性まで悪くする必要はない。会社がクソでも俺はクソになりたくない。

 それが俺の思いの全てだった。

 要は単なる負けず嫌いだったのか......と思えば、気持ちは幾分かすっきりしていた。


 だけどそれも、もう大分前の話だ。

 数時間前、酔っ払って川沿いの草むらに倒れ込み「少し休もう」と思ったときの俺は「くそったれ」と思っていなかったか?

 会社に対する不満に心が侵されてはいなかったか?

 かつて自分の吐いた言葉が綺麗事だと思ってはいなかったか?

 こんな状況で頑張り続けるのがばからしい、と感じてはいなかったか? 負けそうではなかったか?

 深い傷口に巻いた包帯へ血液が滲んでくるような速度で、段々病んできているのかもしれない。

 身体に、心に疲れが蓄積する。気持ちが萎える。抗うための何かが磨り減っていく。

 だけど悔しい。そうなることはとても悔しい。まだそう思える。

 どうすりゃいいんだよ、と俺は転がったまま、まだ暗い空を眺めた。

 ふと思い付いてケータイを見ると、時刻はまだ五時過ぎだった。実はそんなに長い時間寝ていたわけでもないようだ。

 道理でさっきから全く誰も通らないわけだ。もっとも、結構背の高い草の中に転がっているので、人が来ても気付かれずに素通りされそうだが。

 俺はケータイを持った手を力無く横たえた。

 バイブの振動を感じたのはそのタイミングだ。

 ケータイを顔の前に戻し、とっさに開く。

 同期で同じ部署に所属している森山比奈子からのメールだった。

 『お疲れ。無事帰った?』

 たったそれだけの短いメッセージだった。

 確かに昨日、接待へ行く前に森山には苦笑気味に「無事帰れることを祈っててくれ」と軽口を叩いた。

 だけどこの時刻、しかも土曜日だぞ?

 先程までの葛藤が嘘のようにかき消え、妙に可笑しい気分になって俺は喉を鳴らす。

 他人から見て怪しいのは十分承知していたが、声を立てて笑いながら寝返りを打つ。頭を地面につき、肘をつき、手をついた。頭痛も吐き気も無視して上体を起こす。膝を立て、足に力を込めて前屈みながら立ち上がる。ふらつきながら、ほら、立ち上がれたじゃねえか、と誰に向けてか解らないが思っていた。

 握り締めたままだったケータイに、画面を見ないでメッセージを打ち込み返信する。

 ポケットにしまって右足を踏み出した。

 打ち間違ってなければ、送信したメッセージにはこう書いてあるだろう。

 『おはよう。今から帰る in 川縁』

 まだ俺は、かろうじて歩けそうだった。

(投稿者:桜庭三軒)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。