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記憶査定師の憂鬱なビジネス【一次選考通過作品】

記憶査定師の憂鬱なビジネス【一次選考通過作品】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 「では、ビジネスをはじめましょうか」

 

 君崎裕司は、なるべく相手をリラックスさせようと身をかがめ、笑顔を浮かべてゆっくりと言った。

 

 「今回、売って頂けるというのはどんなものでしょう?」

 

 君崎のオフィスを訪れた男は、ソファで視線を落としたまま、こわばった表情を崩さずに答えた。

 

 「当然、記憶ですよ、私の」

 

 「その記憶の内容を、お聞きしたいのですが、、、」

 

 男は視線を上げると、一息にいった。

 

 「私が、妻を殺したときの記憶です」

 

□□□其の一:記憶の価値

 

 君崎はゆっくり姿勢を直すと、自分のオフィス内を見まわした。相変わらず狭い部屋だ。飾り気のないガラステーブルを挟んで、2人掛けソファと、1人掛けソファが2つ。周りには、ビジネスドキュメントを収納したHDDラックがぽつんと据えつけてあるだけだ。せっかく、記憶売買のために君崎オフィスを訪れてくれたクライアントには、少し圧迫感があるかもしれない。そんなことを彼は、日頃から気にかけていた。

 

 「あー、ひかり君、お客様に紅茶を入れて、、、それでは、まずは、取引の内容を確認しますね。」

 

 奥の方にいるアシスタントに声をかけると、君崎は、普段通りの説明をはじめた。

 

 「もう随分昔になりますが、2056年の規制緩和以来、記憶の売買が自由化されたのはご存じの通りです。誰でも、脳内――正確にいうなら側頭葉の記憶領域ですが――に貯めた記憶を販売できるようになった。ただここで、買取業者に生じた問題は、一般人の記憶がどのくらいの市場価値を持つのか分からないということです」

 

 男はおとなしく、君崎の話に耳を傾けている。

 

 「そこで我々、記憶査定師の登場です。査定師がいないと、記憶マーケットは典型的な『レモンの市場』になってしまう。レモンの市場とは、売り手は商品について熟知しているが、買い手がその価値をまったく分からないマーケットのたとえです。これを『情報の非対称性』というのですが、、、こうした市場では、どうしても売り手がいいかげんで、不良品ばかり出回ってしまう」

 

 君崎は、相手の反応を確認するように、一言一言区切りながら話した。

 

 「すなわち、くだらない記憶ばかりが市場に出回ってしまうのです。本当に価値ある記憶とは、たとえば何かの大会で優勝したとか、危機一髪のスリリングな体験をしたとかですが、これが、レモンの市場には出てこない。ああ、そうそう、レモンといえば、うちで顧客にお出ししているレモンティーはマルセイユから取り寄せた、ちょっとしたこだわり品で、、、」

 

 「先生、紅茶パックって戸棚にしまったんじゃなかったでしたっけ?」

 

 アシスタントの、ひかり、と呼ばれた女性がパタパタと走ってやってきた。20代後半、身長は女性にしては高く、170センチ程あるスレンダーな体形だ。

 

 「いつもの戸棚の、右奥のクッキー箱の向こうにしまったでしょ。たしかまだ8パック残っているはずだから」

 

 「ああ、ここですか、、、あ、確かに8パックあります! さすが、先生! 相変わらずの記憶力ですね」

 

 「いや、君の記憶力が悪いんだよ、、、ねえ」

 

 君崎は顧客のほうを振り返ると、にっこりほほ笑んだ。男はぎこちなく、愛想笑いをかえした。

 

 「とにかく、私が記憶査定師として、あなたの記憶の価値を、確かめさせていただければと思うんです。ここは狭いですが、電子設備も揃っているし、私もそれなりの経験がある。ぜひ、その記憶の内容についてお教え願えますか」

 

 男は落ち着きなく目を泳がせていたが、君崎の喉元あたりに目線を定めると、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

 「妻は、半年前に亡くなったんです。交通事故で。私が運転していました、、、助手席で意識がなくなって、、、私が殺したようなものだ、、、」

 

 君崎は、注意深く男の仕草を観察していた。君崎の場合、話の内容は、放っておいても記憶できた。君崎は幼少時から、異常記憶の傾向があった。彼は見聞きしたことを、何事も忘れない。いや、『忘れられない』と言った方が良かった。だから、クライアントの話も無意識に、全てを記憶できた。

 

 「その日、私は確か、酒に酔っていました。それでなぜ運転したのか、、、妻は助手席にいて、私を信頼し切っていたのに、、、確か私は、ハンドルをきりそこなったような気がします。」

 

 一般論として、交通事故の記憶は、ビジネスになる。君崎はぼんやり考えた。BtoCでいえば、交通教習所で「事故映像」を流す需要はあるし、CtoCでは、物好きなマニアがいる。ただし、あまりに凄惨な映像だと、ロシアあたりの、ややグレーなマーケットに流す必要はあるが。

 

 「記憶を売るということは、その記憶があなたから失われるということです。ここはいいですか。あなたは対価を引換に、記憶をなくすのです」

 

 君崎が、静かに念を押した。

 

 「私が記憶を売りたいのは、お金の為ではありません。むしろ、私はこの記憶を忘れてしまいたいのです。あの日以来、私はずっと悪夢にうなされてきました。妻は、きっと私を恨んでいるに違いありません。」

 

 男は次第に、声を詰まらせながら続けた。

 

 「私は夢の中で、いつも妻に謝るのです。何度も何度も謝るのですが、妻の表情は見えません。おそらく、怒りに満ちた表情をしていると思います。実のところ、あの日、妻が助手席で、私の腕の中で息絶えるとき、、、どんな表情をしていたか、私を憎んでどのような言葉を言ったのかも、、、それすら、思い出せないのです。これが、私の記憶です」

 

 「なるほど、大体分かりました、一旦ヒアリングは終了です。それでは隣の映像室に行って、記憶映像の取り出しに入りましょうか。」

 

 君崎は穏やかにいうと、ソファから腰をあげた。隣の部屋には、新型の非侵襲的な記憶取出装置が設置してあった。今年に入ってこれを使うのは、14回目かな。君崎は一人、頭の中で数えていた。

 

□□□其の二:甦る記憶

 

 「さあ、お疲れ様でした。どうぞ、紅茶でも飲みながら話を聞いて下さい」

 

 君崎は、さっき電極を取り外したばかりの額を、しきりにさすっている男をちらと見やりると、ノートパッドを操作しつつ言った。

 

 「まず、取り扱わせて頂く映像の、基礎情報をね、きちんとタグ付けしていかないといけないのです。あなたは今から半年前の事故といいましたが、確か9月3日に、エアートラックの暴走による玉突き事故がありました。その記憶を手掛かりに調べたのですが、ここの被害者欄に、あなたの奥様の名前がありますね」

 

 「ああ、そうだ、9月3日、そのぐらいだった」

 

 男は思い出すように言った。

 

 「半年前の事故を、覚えていたのですか? 凄いですね、、、」

 

 「それで、確認したいのですが、この事故は空陸両用型エアートラックの運転手が、飲酒して前方の車両に次々と追突したというものです。ここで把握すべきは、あなたは飲酒運転をしていないということです。ちなみに、事故発生の少し前の記憶映像を見ても、あなたが飲酒しているところは確認できません」

 

 男は少し、驚いたような表情をした。

 

 「私は、酒に酔っていたのではなかったのですか」

 

 「記憶は、嘘をつく。」

 

 君崎は慎重に、男の表情を確認しながら言った。

 

 「あなたは自責の念にかられて、何度も夢を見た。夢で事故を再現していくうちに、いくつか記憶違いをしています。まず、先ほども言ったように、あなたは飲酒をしていない。」

 

 君崎はゆっくり、冷静なトーンを保ちながら続けた。

 

 「ハンドルを切りそこなったといいましたね? それも間違いだ。あなたは運転ミスをしていない。ただ、大型トラックに後方から追突されただけなのです。完全に、運転不能の状態でした――つまり、奥様の死亡事故で、あなたに責任は何もなかった」

 

 男は目を見開いて、君崎を見つめた。

 

 「あなたは、彼女があなたを恨んでいるはずだとおっしゃいましたね? それも記憶違いです」

 

 君崎はゆっくりノートパッドを操作すると、黙ってノートパッドの動画映像を男に示した。

 

 「彼女はあなたを恨んでなんかいない。これが、その証拠となる映像です」

 

 「ボリュームをあげてくれ!」

 

 男がソファから跳ね起きながら叫んだ。君崎が示す映像の中では、頭から血を流した女性が、男性の腕に抱きかかえられながら何事か伝えようとしていた。

 

 「、、、りがとう」

 

 君崎がゆっくりと、ボリュームをあげた。

 

 「、、、大丈夫よ、あなた、、、今まで本当に、、、ありがとう」

 

 画面いっぱいに映し出された女性が、スクリーンに向かって示したのは、切ない笑顔だった。きれいな笑顔だった。別れを自覚しながら、それでも相手につらさを与えないよう精一杯の努力を見せた、愛情のこもった笑顔だった。

 

 君崎は、男が拳を握りしめているのを見つめながら、動画の再生を停止すると、言った。

 

 「これが、あなたが思い出せないと言った、彼女の最期のセリフです。」

 

□□□其の三:ビジネス成立と、レモンティー

 

 「あの人、満足そうでしたね」

 

 アシスタントのひかりが、ガラス越しに去りゆく男の背中を見ながら、君崎に声をかけた。

 

 「まあ、商品の価格というのは、需給バランス次第で変わるものだから。特に記憶なんてものは、プライシングが完全に主観に左右されるからね。彼にとっては、何十万円、難百万円の価値があったと思うよ。それを5万円で、買い戻せたわけだから」

 

 「でも『自分の記憶を、売った直後に自分で買い戻す』なんてことになるとは、あの人も思ってなかったでしょうね。先生は最初から、こういう風に話を持っていくつもりだったんですか?」

 

 君崎はゆっくりとソファに腰掛けると、少しだけひかりの方に顔を向けて返事をした。

 

 「まあ、ちょっとだけ心が痛まないわけじゃないけどね。そういう意味では、憂鬱なビジネスだな。でも、彼が喜んで選択したわけだから、いいんじゃない。」

 

 「先生って、わりと悪人ですよね」

 

 「君のそのセリフ、僕が記憶しているだけで5回目かな」

 

 君崎は気楽な表情で、テーブルの上のレモンティーを飲み干した。

 

(投稿者:はむまる)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。