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風通しの良い会社【一次選考通過作品】

風通しの良い会社【一次選考通過作品】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 雄司は都内の中堅広告代理店に勤める会社員である。就職活動の際、不況の影響もあり何百社と応募しても大部分は書類選考すら通らない憂き目に遭っていた中、初めて内定を貰えたのがこの会社だった。創業20年目、社員の年齢構成は20代が中心で30代は少数、40代は数えるほどしかいないという歪さがやや気になったものの、会社説明会で夢と希望に満ち溢れた社長のスピーチに感銘を受け、唯一社員として活躍する自身の姿がイメージできた会社であった。条件は良くもなければ悪くもない。どちらかと言えば業界の水準よりはやや下回る程度であった。

 

 後に大手、準大手からの内定が出たが辞退し、敢えてこの会社を選んだ。周囲に話した「大きいところで歯車になるよりは、多少条件が悪くてもやり甲斐のあるところがいい」というのは表向きで、実際は会社説明会でのスピーチで社長から醸し出されるカリスマ性とベンチャースピリットに強烈に惹かれたというのが正直な理由だった。


 雄司は入社直後から寝食を忘れるほどガムシャラに働いた。配属された第三営業部では、多少の失敗はあったものの、折からの不況で他の営業部が苦戦する中、破竹の勢いで実績を上げ予算達成に大いに貢献した。二年目、三年目も結果を出し、入社前にイメージしていた自身の姿に着実に近付いていった。賃金は雀の涙ほどの定期昇給と社員一律50%カットされた賞与に甘んじていたが、雄司は「まだまだ給料のことを言える身分でない」と割り切っていた。それよりも、20代にして年々任せられる仕事が多くなり、その責任が増していくことに心を躍らせていた。

 

 この会社では「社長を囲む若手社員の会」なる酒席が四半期ごとに設けられる。参加を義務付けられているのは入社5年目以下でかつ20代の若手社員。社長は秘書一名を同席させるのみという殆ど丸腰の状態で会場に現れ、「この会における発言が外部に漏れることはなく決して業務に影響が出ることはない」という口癖のように発せられる言葉も若手社員の緊張と警戒心を解くのに十分な演出であった。

 

 若手社員からしてみれば普段は顔を合わせることさえ稀な雲の上の存在でもある社長と膝を交えて語る場があることは、思いを伝え、自身をアピールする絶好の機会である。この空気が多くの参加者の積極的な発言を生み、時に「かくあるべき」「かくあらねばならない」という激論の場へと変わっていった。

 

 雄司は会社のトップが若手社員の意見に耳を傾けてくれることに感動し、社長への尊敬の念をますます強めていった。

 

 酒が進んでくると次第に激論は不平不満を吐き出す場へと変質していく。

 

 「業績が停滞しているのは彼らの責任だ」という論理によって上司への不平不満が格好の酒の肴へと祭り上げられていくのだった。

 

 雄司も場の空気と酒の力も手伝ってか思いの丈を臆することなく発していた。「時に上司への批判も会社を思ってのことだ」と信じ切っていたのである。

 

 社長は会の始めは会話をリードする役割を担っていたものの、後半になると口数は減り若手社員が吐き出す不平不満を穏やかな表情でうっすらと笑みを浮かべ頷きながら聞き入っていた。

 

 雄司は若手社員の声を社長に届けられるこの会を心待ちにし、一見「風通しの良い社風」に満足していた。いつかはこの会社に貢献できる人材となることを目指して。社長から「さすがだ」という評価を受けられることを信じて。

 

 入社から5年目も期末を迎えつつあったある日、雄司は突然社長室に呼ばれると第二営業部の部長への昇進を告げられた。当時27歳、さほど大きい会社でないとは言え入社5年目にしての部長昇進は異例の大抜擢であった。

 

 「君の働きぶりは素晴らしい。これまでに出してきた実績も去ることながら高い志や精神態度、そして何より社への忠誠心は部長として相応しいと判断した。受けてくれるかね」

 

 突然の話に戸惑ったのはほんの一瞬であった。昇進は自分の働き振りが評価された証であり、「社長を囲む若手社員の会」で熱く語ってきた夢と志がいよいよ実現に向けての一歩を踏み出すことに大きな喜びを感じていた。

 

 「もちろんです。身に余る評価をいただき光栄です。謹んでお受けいたします」


 雄司が部長として配属された第二営業部は都内西部を管轄している。長く低迷が続いていたが、ここ数年は前任の部長であった稲川が辣腕を奮い回復基調が続いていた。雄司と前任の稲川とは直接の面識はなかったがいわゆる「切れ者」でやや強引なところがあるものの営業部内では絶大な信頼を勝ち取っていた。しかし、突然九州に戻って家業を継がなくてはならない事態が生じ、引継ぎをする時間さえも許されないまま会社を去ったと聞いた。そこで雄司に白羽の矢が立ったということらしい。

 

 雄司が部長に就任してからというもの雄司は「人を動かす者は自らが最も動いていなければならない」という信条の下、多くの部下と苦楽を共にすることで人心を掌握していった。この姿勢が功を奏してか第二営業部は回復基調どころか毎年前年比を大幅に上回る成長を果たし、社内における存在感を増していった。

 

 第二営業部の躍進は社内でも注目を集め、低迷しているところがあれば事業所や部署に関係なくそこに足を運んで建て直し、社内の営業研修でも講師として呼ばれるほどの評判を博するようになっていた。

 

 第二営業部は会社の主力となり、この名声は経済誌にも取り上げられ、雄司にはいつしか「カリスマ営業マン」の枕詞が付くようになっていた。

 

 雄司は自分がこれまでやってきたことに満足していた。この会社を選んだこと、この会社で活躍できることに誇りを感じていた。何の取柄もなかった学生が様々な困難と格闘しながらもここまで上りつめることができた感慨を強く噛み締め、これに甘んずることなく成長を志向していこうという決意を心に深く刻んでいた。

 

 その矢先であった。

 

 第二営業部を任されてから5年目の秋、雄司は「大事な話がある」と社長室に呼ばれた。

 

 社長室に入るとそこには重苦しい空気が漂い社長と「社長を囲む若手社員の会」の時に同席していた秘書が待ち構えていた。雄司は何やら良からぬ予感がしたものの、これだけの実績を上げてきたのだから賞賛こそされ糾弾される心当たりは全くなかった。

 

 しばらくの沈黙のあと、社長が口を開いた。

 

 「君の部下からの評判が恐ろしいほど悪い。もはや、私でもかばい切れないほど事態は深刻である。このまま放置しては会社の業績と評価に影響を及ぼしかねない。熟慮に熟慮を重ねた結果、部長を解任し総務部付に配属する」

 

 雄司には何が起きたのかすぐには理解できなかった。

 

 入社以来実績を上げ続け、少なからず会社に貢献してきた自負がある。全く見当違いの評価と降格人事が告げられたことに混乱を来し、はらわたが煮えくり返っていた。

 

 雄司は一度深呼吸をし、声を絞り出すように言った。

 

 「しゃ、社長、これはどういうことでしょうか...」

 

 すると社長は同席している秘書に命じ、A4ホチキス留めの書面を雄司に差し出させた。

 

 書面には、かつて「社長を囲む若手社員の会」で雄司たちが語っていた上司への不平不満と大して違わぬ部下の声が5枚に渡ってびっしりと印字されていた。

 

 どれも匿名で、「社長を囲む若手社員の会」に同席していた秘書がICレコーダーか何かに録音して文章に起こしたものと思われた。書かれていることは、真意が伝わっていないがために不平不満となっていたものが散見されるものの大部分は全く身に覚えのないことばかり。中にはでっち上げとしか考えられない部下への嫌がらせやセクハラの類も並べられていた。

 

 「これは事実ではありません。全く身に覚えがありません」

 

 「いや、分かるかね。相手がどう受け止めたが大事なのだよ。君がどれだけ部下の心を傷つけているか一目瞭然だ。本来なら懲戒処分ものだが、今回は温情措置ということで一からやり直しなさい」


 雄司が異動を命ぜられた総務部付は、本社オフィスの隅に席が設けられている。机の上にはパソコンはおろか何も置かれていない。雄司は総務部を訪れた際、そこに座っていた魂を抜かれたようにうつむき、いつの間にか去っていった中堅社員の姿を思い出した。

 

 思えば入社間もない頃、目覚しい活躍をしていた先輩社員の多くは会社を去っていた。誰に別れを告げることもなく、ひっそりと。後日社内に流布される噂話はその理由が転職や独立ならまだ良い方で、社内不倫や痴漢行為といった当人の尊厳をズタズタに引き裂くものも少なくなかった。

 

 雄司は、かの先輩たちがどのようにして追い込まれていったのかを理解し、そして今度は自分も同じ運命を辿ることを悟った。奈落の底に落ちるような絶望感の中、努めて平静を装おうとしているとき、心の声が雄司の耳元で何度も響いた。

 

 -お前の居場所はもうこの会社にはない

 

 雄司は会社説明会で聞いた社長のスピーチを思い出していた。夢と志を熱く語る社長の姿に自身の夢を重ね合わせた。それは10年という年月に渡る長い長い夢であり、夢から醒めるとそこにあるのは耐え難い屈辱的な処遇であった。

 

 雄司はその場で社長に退職の意思表示をした。

 

 「そうか、そこまでの決意なら致し方ない。残念だな」

 

 人生二度目の就職活動に奔走中のある日、何件目かの面接を控えて近くのコーヒーショップで時間を潰していると雄司の携帯電話が震えた。電話の主は前任の第二営業部の部長だった稲川であった。どのようにして雄司の電話番号を知ったのかは分からない。

 

 「聞いたよ、やっぱりこうなったか」

 

 「何のことですか?」

 

 「あれだよ!『社長を囲む若手社員の会』、あれはね、台頭してきた社員を追い出すための社長の手口なんだよ。オフレコと称して若手から社員を失脚させるネタを仕入れるためのね」

 

 「何でそんなことを?自分が社長に牙を?くとでも?」

 

 「会社にカリスマは二人要らないんだ。俺が食って掛かったらそう言われたよ。社長は自分以外の人間がチヤホヤされるのが我慢ならないんだよ。自分の地位を脅かすような奴は『社員の声』という武器を使って粛清する。それが社長のやり方さ。俺も君も『ハメられた』ってことだよ」

 

 「じゃあ、稲川さんが家業を継ぐために実家へ戻ったっていうのは嘘だったんですか」

 

 「もちろん。突然辞めて周りの社員が動揺するのを防ぐためのもっともらしい後付けの理由だよ。俺の親父は普通のサラリーマンだったし、現に俺は今も東京にいるしね」

 

 雄司は落胆を隠せなかった。雄司がかつて何よりも楽しみにし、誰よりも熱く語ってきた「社長と若手社員を囲む会」の真実、そしてその会によって会社を追われた自身の姿、また稲川や雄司と同じように台頭しては追われる人間が生まれることを思うと大きな絶望とも虚無とも言えぬ複雑な思いに襲われた。

 

 稲川は続けた。

 

 「でも良かったんじゃない。本当のことが分かってさ。もう10年経ってから同じ目に遭ってごらん。きっと立ち直れないぜ。今だったら『運が悪かった』と思えばやり直しが利くじゃない。残念な結果になったけど、仕事の経験は十分に積めたからね。俺もそうだったけどこれまでの経験は必ず武器になる。君ならきっとやれるよ」

 

 真実を知った以上、退職してからも雄司の脳裏を離れなかった「失脚させられた理由」について自問自答をする必要はなくなった。そう思うと未練がましい感情は吹き飛び、前へ進もうという意欲が沸々と湧き上がってくるのを感じた。

 

 雄司は、これまでの執着という重い鎧を脱ぎ捨て、吹っ切れたような爽快感に包まれていた。悔やんでも消せない過去は、逆に履歴書や職務経歴書を見栄えの良いものにし雄司の新しい挑戦を後押しする力となってくれることだろう。そう信じることで新たな一歩を踏み出せるのだ。いや、そう信じなければやってられない。

 

 -これで良かったんだ

 

 雄司は自分にそう言い聞かせて席を立った。

 

(投稿者:山口高尾)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。