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人生の魔法【一次選考通過作品】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
人生の魔法【一次選考通過作品】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
「俺がせっかく考えたのに、何でそうなるわけ?」
きつい口調で仁志に言われ、百合は立ち止る。仁志が面倒くさそうに振り返り、わざとらしく足をトントンと鳴らす。お昼過ぎ、日曜の歩行者天国を行く人たちが、二人を避け流れを変えて進む。
「ご、ごめん」
百合はシステムエンジニアリング会社に就職して二年と少し。仕事の進捗が悪くて、月曜祝日の明日、休日出勤しなければならないことを、仁志に告げた。そのあとのことだ。
「お前さあ、俺と仕事とどっちが大事なの?」
比べようなんてないが、それを言ってはまた怒らせてしまう。
「仁志だよ」
「だったら明日会社休めよ」
「だ、駄目だよ。今やってるシステム、あと少しで納期なんだから。本当、厳しいんだってば」
「ふーん。それってさあ......」
身がすくむ。仁志の目が怖い。後ずさった。仁志が口を開こうとしている。きっと反論できないように理屈で責めてくる。ただ謝り続ける自分の姿が思い浮かぶ。最近、いつもこんな感じだ。
「ごめんね! それじゃ」
百合は反転して駆け出した。背後から声がしたが、百合は立ち止らなかった。駅まで一気に駆けて、やってきた電車に逃げ込んだ。空いていた席に座り顔を伏せる。
携帯が震えている。仁志からの着信。百合は目をつむり、携帯の電源を切った。
鼓動が激しく打つ。アナウンスが聞こえた。顔を上げた。アパートとは反対の方角に進んでいる。しばらく窓外の景色を眺めたあと、百合は苦笑いを浮かべた。
――ばちが当ったんだ。
同僚たちは、殆どが休日出勤している。その後ろめたさを抱えながら百合は仁志と会った。結果がこれだ。仁志に会えば、少しは仕事のことを忘れられるかと思っていたが、全然そんなことはなかった。会話の最中も、あれもしなくちゃこれもしなくちゃと意識は逸れ、ただでさえ気難しい仁志を、余計に苛立たせただけだった。
列車が日陰に入り、窓に顔が映る。逃げ出してばかりいる女の顔があった。
アナウンスが会社の最寄り駅を告げている。ショルダーバッグを確かめると、社員証が入っていた。百合は席を立った。
社員証を認証装置に読み取らせ、テンキーでドアロックを解除する。ドアを押して、事務所に入った。刹那、なんだあ、と百合は思う。昨日の夜は、みな出てくるような話をしていたのに、中には数人しかいなかった。百合は肩に鞄をかけ直すと、自席に向かい歩いて行った。
「三村さん、来てたんですか」
「あら......」
パソコンに向かっていたチームのサブリーダー、三村芳子が顔を上げた。三村は少し驚いていたが、やがて微笑んだ。三村は三〇半ば、いつも落ちついていて、品のいい笑顔を見せてくれる先輩だった。
「百合ちゃん。今日は休みじゃなかったの」
「ええ、そうなんですけど」
そう言った瞬間だった。仁志の剣幕から逃げ出したことが思い出され、目が潤んだ。
「全然楽しくなくって......」
溢れる涙を抑えようとして、百合は顔を手で覆った。三村が立ち上がる気配がした。肩に手が触れた。
「ちょっと休もうか」
背をそっと押されて百合は歩きだす。三村が百合を連れて行ったのは、自販機の並ぶ休憩コーナーだった。三村は百合をスツールに腰かけさせると自販機に向かい、やがて紙コップを二つ手に戻って来た。
「そうかあ。彼氏怒っちゃったんだ。でも、かなり大人気ないね、その彼氏」
ブラックコーヒー入りの紙コップを手に、三村が微笑む。
「いえ、そんな。私が悪いんです」
「本当にそう思ってる?」
三村の真剣な顔に、百合は戸惑った。
「百合ちゃんって、進捗会議のときとかも、私が悪いんですって言うよね」
うなずいた。行程の遅れの理由を問われる度に、自分の能力が足りないのだと百合は頭を下げてきたのだ。能力が有れば、仕事を遅らせることも無いし、仁志を怒らせることだってなかったはずだ。
「だったら、どうしてその悪いところを直そうとしないの?」
三村が優しい笑みを浮かべた。百合はすぐに答えられなかった。漠然と何とかしたいと思ってはいたが、具体的に考えたことなど一度も無かった。何か答えなくてはという思いが、思わず口に出る。
「考えてはいるんです。プログラミング言語だって、OSだってもっと勉強しなくっちゃって思ってますし」
「またまた、そんな思いつきを言う」
三村が指先で、百合のおでこを軽く突いた。
「いい? あなたを育てるのも、あなたの能力を見定めて使うのも、私たち上に立つ者の仕事なんだから。あなたには悪いとこなんてこれっぽちもないのよ」
「でも、三村さんはそう言ってくれますが、足手まといになっているのは、私厭です。この前だって、三村さんは私のタスク引き受けてくれたじゃないですか。今日出ているのだって、そのせいなんでしょ? 私のせいなんですよね?」
三村の顔から微笑みが消えた。静かだがはっきりとした声が休憩室に響いた。
「これは覚えておいて。私は自分がそうしたいからしているの。あなたを助ける為に生きてなんかいないわ。私のせいってあなたは言うけど、そう思うのは、あなたが甘えているからだと思う。あなたは結局、私が悪いんですって言ってれば許されると思ってるの」
「そんな......」
反論しようとした。しかし脳裏に浮かんだのは、何かあるたび、許されるまで仁志に謝り続けてきた自分の姿だった。
「違う? 違うって言うなら、変わって見せなさい。私、今からあなたに魔法を教えてあげるから」
「ま、魔法ですか?」
「そうよ、魔法。それを使えば、あなたもきっと変われる」
穏やかに三村が微笑む。百合は三村に対する陰口を思いだした。いまでこそ結婚もし颯爽と仕事をこなしているが、かつては暗くて野暮ったく、まったく仕事のできない女だったと言うのだ。
「教えてください、その魔法」
三村がうなずいた。そして言った。
「今から手帳を買って来て。B5かA4の大きな奴」
「じゃあ、今日の一六時からで良い?」
「はい、お願いします」
自席に戻ると、百合は手帳を取りだしてTODO(やること)リストのページを開いた。三村さんにプログラムAのレビューを依頼する、と書かれた行を横線で消す。ついでに、その日消化したタスクを線で消してゆく。一つ消える度に、シューティングゲームで相手を打ち倒すような快感がある。
その後百合は、手帳の今日の予定を開いて、レビューの時間を割り当てた。三村にレビューしてもらうことで、プログラミングの腕もかなり上がった。おかげで、最近のレビューは三十分もかからない。他に空いている時間が三時間以上あるから、もう一本はコーディングを済ませられそうだ。となると、そのレビューと、レビューを依頼する作業が必要になる。作業自体は三村さんのパソコンを覗きながらやるから、会議室予約は必要ない――。
百合は思い浮かんだ仕事を、TODOリストに記入した。ざっとTODOリストを眺める。簡単なこと、面倒なこと、これまでこなしてきた沢山の仕事が一覧となって並んでいた。もちろん、消化できていない仕事も沢山あるが、百合はもう慌てなかった。三村が言ってくれた言葉を思い出す。
「一日は二四時間しかないよね。それはもう誰にも変えられないの。だから私たちにできるのは、やりたいこと、やらなくちゃいけないことをうまく捌いてその中に納めること。収まらなきゃ他の日に回すか、誰か他の人にやってもらう。ただそれだけよ」
三村から教えを受けたとき、タイムマネジメントが魔法だなんてと、百合は少しがっかりした。しかしそれは違った。
「人は時間に振り回されてばかりいるの。それはね、与えられた時間に安心して、自分でコントロールしようとしないから」
最近、人生とは選択の積み重ねなんだと百合は思う。限りある時間に何を割り当てるか。それは自分の価値観を問われているのと同じなのだ。自らが主体となって決めた時間の過ごし方。それがうまくいったとき感じるのは、例えようのない満足感だった。そんなときは、今この瞬間に地球が滅亡してもかまわないとさえ思ったりする。
時間を司るこの魔法は、人生を変える魔法だったのだ。そして魔法は、使えば使うほどうまくなる。
TODOリストの先頭の辺りには、未完のものが沢山あった。
「頭の中に溜め込んでいるから苦しくなるの。まずは、やりたいこと。やらなくちゃいけないことを全部書き出すこと。目にしてみれば、大したことじゃないのが殆どだから」
そう三村に言われて書いたものだ。未だ居残るタスクたち。百合はそれらのことをボスキャラと呼んでいる。
ボスキャラの一つに二重丸を付ける。午後二〇時と記す。ノートを閉じる。
二〇時ちょうど、仁志が待ち合わせのカフェに顔を出した。
既に待っていた百合は言った。
「わたしたち、終わりにしましょ」
――私の人生には、モラハラ男なんて要らない。
微笑む。これが終ったら、何も考えず、ゆっくりとお酒でも飲もう。今日一日はそれでお終い。迷いなんて一つもなかった。
何か言いたげに開きかけていた口を閉ざし、仁志がうなずいた。
心の中のTODOリストに、百合は静かに横線を引いた。
(投稿者:遠藤倉豆)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。