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失注【一次選考通過作品】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
失注【一次選考通過作品】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
「......それで、どのくらいの価格になるのかね?」
よしッ!
先方の購買担当がそう切り出した時、獲った、と確信した。
価格の話に入ったことで、この案件の契約締結は確実になったと思っていい。ここまでくるのに一年以上かかったが、手ごたえを実感すればその苦労も吹き飛ぶ。
俺は、隣に黙って座っている俺の上司......新任の部長をちらと見て、小さく口角を上げた。
突然、今日の交渉に同行すると言われた時はどうなるかと思ったが、特に波風を立てるでもなく大人しくしている。MBAだかMLBだか知らないが、海外の資格がすぐ実践で役立つほど、ニッポンの商習慣は甘くないんだ。そのまま黙って見てろ。
「そうですね、今はこのくらいの価格での提供を考えています」
「うーん、それだと少し弊社の予算をオーバーするね......」
「導入による効率化で、御社の現在の作業負荷の40%が削減できますので妥当かと」
「いやぁ、しかし予算が......」
「そうですね、では......○Xを除いてこのくらいまでであれば......」
交渉を続けるうち、金額はどんどん下がっていく。しかしこの業界、定価なんてあって無いようなもの。原価と利益率から割り出した最低ラインさえ守ればいいんだ。
いつもこの会社の購買担当は厳しい。こっちのぎりぎりを知り尽くして、正にそこをついてくる。今回もそうだった。
「せめて、このくらいにならんかね?」
最後の最後に提示された金額は、ぴったりこちらの最低ライン。
「はぁ......まぁ......御社とはお付き合いも長いですし......」
(ゼスチャーだが)しぶしぶO.K.を出そうとしたその時。
「申し訳ありませんが、その価格では販売しかねます」
俺の横から、突然そう声が聞こえた。
慌てて部長を見る。おいおい、なんてことを言い始めるんだ!
案の定、先方の購買担当は固まってしまっている。ここが落としどころだと先方も心得ていたようだ。
「......弊社としても、この金額でなければ購入は難しいと考えていますが?」
やっとのことで先方が口にした言葉は、殺し文句。
『この件は大目にみてよ』。購買担当の目はそう言っていた。
しかし、部長は落ち着いた表情で言い放った。
「......そうですか、残念です。では、この話はなかったことに」
俺は、目の前が真っ暗になった。
帰り道。その部長に強引に誘われ、俺は今、部長と二人、安居酒屋で向かい合って座っている。
「乾杯」
ビールを喉に流し込むが、ちっとも美味しくない。
「そんなに不服か」
「......いえ......」
あからさま顔に出てるのは自分でも分かる。だが、言葉以外で取り繕うような余裕は、今の俺にはなかった。
「......課長に怒られちゃうなぁ......」
ケレンミを込めて独りごちる。あてつけだ。
「そんなことはさせない。これは、私が判断したことだ」
部長は空になったジョッキを机の上に置きながらそう言った。
しかし、重要顧客の大きな案件を失注したのは事実だ。あの課長が何を言うか......。
しばらくは話すこともなく、二人黙したまま。気まずい空気が流れる。
このままか、と思った時、つと、部長が口火を切った。
「キミは、自分をどう評価している?」
───急にそんなことを聞かれても、困る。
「......営業成績は悪くないと思っています」
謙遜してそう言ったが、売り上げは社内トップだ。黒字化にも貢献していると自負している。
「そうだな、売り上げは、な」
意味深な言葉を吐きつつ、部長はジョッキを一度煽った。
そして一言。
「実は、君の利益率は社内最低なんだ」
「え......?」
『最低』という言葉にどきりとした。
ということは、あいつもあいつも、利益率は俺よりも高いってことか......?
いや、あいつらは俺に比べてそもそも売り上げが小さいんだ。それに。
「お言葉ですが、社内で決められた最低利益率は守っているはずです」
「そうだな、それは本当にすごいことだと思う」
部長はたいして賞賛するでもなく、そんな言葉を吐いた。
俺の中に苛立ちが芽生える。
「会社全体を見るとな、」
「?」
「『大口だが利益率が低い案件』をいくつか切るだけで、全体の利益率は飛躍的に上がるんだ」
「───結局、金ですか」
俺は視線を逸らしながらそう呟いた。
部長は、俺の苦労を知らない。どれだけ身を削って案件を受注するのか、その努力を知らないからそんなことを言えるんだ。
「キミは企業の目的って何だと思う?」
急に話題を変えられて、面食らった。
すぐに、MBA持ちの言いそうなことだ、と気づく。俺だって、一通りのビジネス書くらい読んでる。
「......顧客の創造、ですか?」
「教科書どおりの回答だな」
部長は軽く笑っただけだった。
「ドラッガーはそう言ってるな。だけど、私は、それは目的ではなくて手段の一つに過ぎないと思っている」
意外な言葉に、つい興が乗った。
「じゃぁ、金儲けですか?」
「それも、手段だ」
「株主への利益還元?」
「それも、手段だろう」
「では......」
答えに窮した俺に、部長はこう言った。
「人が集い、金を集め、企業に何をさせたいのか、ということさ」
目に力がこもる。
「私は、企業の目的は、『企業理念の実現』だと思っている」
「は......」
意表を突かれて、言葉が続かない。
そんな話、聞いたことがない。
呆気にとられる俺を置いて、部長は続ける。
「世の中には『顧客を作らない企業』ってのもあるんだ。ドラッガーはそれは企業じゃないと言うだろうが、でも、その企業だって企業理念の実現のために立ち上げられたんだろう。
金儲けしない企業があったっていい。『最多の顧客に最大の便利を与えるため』なら、金儲けは手段であって目的じゃないだろう?
企業活動を永続するかどうかだって問題じゃない。『X月X日までにXXを達成する』という企業理念ならね。
企業ってのはつまり、一つのプロジェクトなんだ」
そこまで一気に話して、部長はまたジョッキを一度煽った。
「キミは、ウチの会社の企業理念を知っているか?」
またしても虚を突かれ、俺は回答に窮する。
「えーと......」
しばらく考えてみるが、何だったか、思い出せない。
「そうだな、普通は覚えてないよな」
部長はまた小さく笑った。
「正解は、『革新的なソフトウェアで顧客業務を革新し続ける』だ」
ああ、そんなのを確か入社式に聞いたような......。
「仮にソフトウェアという概念が陳腐化したら、この企業理念には意味が無くなってしまうだろうね」
「それだと理念の意味がないのでは? もっと抽象的な方が......」
俺の言葉に、部長は首を振った。
「いや、これでいいんだよ。企業理念は、具体的な活動を規定するものだ。もし意味がなくなったのなら、その会社は社会にとって不要だということさ。新たな企業理念を定めるか、さっさと店じまいしたほうがいい」
自社の不要論を語る彼に、どきりとした。そういう視点で会社を眺めたことはなかったからだ。
「──実際、開発はよくやってると思う。他社とは違う、『革新的なソフトウェア』を作ってると思うよ。だから、われわれ営業の仕事は、『顧客業務を革新し続ける』ための提案、ということだ」
黙って聞いているしかない。
『売り上げを上げろ!』
前任の部長はそれしか言わなかった。売れば褒められ、売れなければ怒鳴られた。利益率や、その後ろにある会社の事情、ましてや企業理念なんて、考える必要すらなかった。
「利益率を問題にしたのはなぜだか分かるか?」
これには明確に答えられる。
「顧客業務を革新『し続ける』ため、ですか?」
「そうだ。ウチの利益がカツカツなのはキミも知っての通りだ。今のままじゃ現状維持すら危うい。だから、早めに手を打たないといけなかった。今回は、その第一歩なんだ」
それはわかる。しかし......。
「しかし、あの会社との取引額は非常に大きいですよ。あれを失っては......」
「あの会社との取引は今後も続ける。今回の目的は、あの購買担当に一度お灸を据えることだ。こっちの手の内を全部知ってるようじゃ、対等な取引はできないからね」
そこで部長は、俺の方へとまっすぐ向き直る。
「無理なら断ることも必要だ。そういう緊張感があって、初めてビジネスは成り立つ。なぁなぁでやっていると、いつか足元をすくわれる......」
まるで、自分に言い聞かせるように。真剣な瞳でそう言った。
それから、部長は深々と頭を下げた。
「今回は、すまなかった。トップセールスマンのキミに貧乏くじを引かせてしまって、本当に申し訳ないと思っている」
「いえ......」
面食らって、俺はそれしか言えなかった。
今まで、俺に頭を下げた上司は居なかった。
こっちが下げることはあっても、向こうが下げることは決してなかった。それは会社という階層社会のルールだと思っていた。
「でも、本当に必要なことなんだ。そして、それができるのは今しかない」
部長はまた真摯な眼差しで俺を見た。
それは『階層社会のルール』とは別の、何か別の。
───情熱。
この人は、本当に、会社のこと、俺のことを考えて......。
MBAとやらは、こんなことまで身につけているのか。
いや、......きっとこれは資格云々の話じゃなく、
部長の、彼自身の人柄、なのだろう。
この人に、学びたいと思った。
「......今回は失注しましたけど、」
その情熱のいくばかりかを、俺も持ちたい、と思った。
「うん?」
そう思ったら、自然に口をついて言葉が出た。
「他の案件について、相談していいですか?」
今日初めて、部長が微笑んだ。
「もちろん。それが私の仕事だからね」
(投稿者:KAICHO)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。