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悲しいけど俺ITエンジニアなのよね【一次選考通過作】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
悲しいけど俺ITエンジニアなのよね【一次選考通過作】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
刺すほどの冷気が、俺の体を包む。
まだ残暑が厳しいこの季節、電車の冷房が効いているのはありがたいが、効きすぎるというのもどうかと思いながら空いている席に座る。
今頃、会社では古き良き時代の名残のラジオ体操(そして誰もやらない)が館内放送で流れている頃だろう。このまま直帰できるタイミングだ――まあ、それを狙っているのだが。
ここからデータセンター最寄りの駅までは30分、格好の読書タイムだ。俺は読みかけの文庫版「天下騒乱―鍵屋之辻―」の上巻をめくり視線を走らせる。
自分の仕事――ITエンジニアといえば聞こえはいいが――要は社内の情報システム部門からすればまったく仕事には関係ない本だが、技術系の文献は嫌でも読んでいるし、なによりも俺は小説の方が好きだ。同じくらいに技術系やビジネス本も読むが、理系ほど文学作品でも読まないと頭が偏ってしまう。
読み進めるとなかなか面白い。徳川幕府の宰相・土井利勝が天下泰平の世のために敢えて悪となす――あらすじに書かれていた部分を少し過ぎたが、この時代にもこんなに全体を考えるリーダーがいたとは。
今の政治家にも見習ってもらいたいね。いや、会社の経営陣にも。
細かい数字やデータをやたらと求める癖に、結局は自分の部署の「人の」状態も把握しきれていない中間管理職にも。
残業制限させるかと思えば、残業や休日出勤は代休に振替指示したりと、学生時代の数学で習った「叩いて、さする」方法で帳尻を合わせて「残業前月比○○%削減」とは恐れ入る。
そんなことをしているから、メンタル休職が後を絶たないのだ。
かくいう俺もそうだったが――
俺はいちど壊れてしまった
TCO最適化、ラインの管理費削減という鳴り物入りで始まった社内サーバの統合プロジェクト。
要は各部門のサーバを「召し上げて」、情報システム部門で管理するサーバに統合する(というか利用させる)というものだった。
考え方は間違っていないが、それに必要なリソースが実質度外視されていた。社内スタッフだからどうでもいいというのだろうか。
何十とある部門をなだめすかし、サーバを召し上げた分はこちらで相応の環境を用意する。自分は主にファイルサーバ担当であったが、これが意外と難敵だった。
アプリと違いルーキーでも大丈夫だろう、という判断で若手の俺があてがわれたが、データ容量はもちろん、アクセス権一つとっても部門で運用方針が違う。
運用方針などは社内で統一することでなんとかなったが、「俺」のリソースと時間を最も取られたのはデータ移行だった。
移行用のツールなどはあるわけもなく、慣れない手つきでバッチファイルでネットワーク越し。しかも業務時間帯に元のサーバに影響出さないために移行は夜中か土日がメインだ。数日で移行できるデータなどあるわけもなく、分割してコピーした後に最後の土日などで差分を一括コピーして旧サーバ停止、情報システム部のサーバへ切替え、と1台ならともかくこれが何十台となる。
それが毎週のこととなると――
バッチを組んでいるとはいえ、定期的に移行状況を見るために自宅から社内にリモート接続して確認するが、これが意外とストレスとなった。落ち着いて休んでいられず、どこかに遊びに行くのもはばかれるからだ。
その上、このような監視程度では勤務時間に加算してよいのかどうかもグレーのままで、結局タダ働き同然となった。この時ほど「リモートでどこでも仕事ができます」という謳い文句が「リモートで24時間どこにいても仕事をしろ」という悪魔の文言に見えたことはない。
その上、ただでさえ忙しいのに「ISMS管理」「環境管理」「労組役員」など、暇人に回しても良いような雑用を兼務させられる始末だ。本来の仕事以外に「管理するための管理」のような雑用ばかりを。
それが2年以上も続けば――壊れる、ということを俺自身はもちろん誰も気づかないのは人間が退化したせいなのだろうか。
統合が完了した翌週から、俺は会社に行けなくなった。
この統合プロジェクト半ばから続いていた不眠症が悪化したのだ。
何をしても寝つけず、ふらふらの状態で会社に行く準備をしても体が震える。
風邪かと思ってありあまる有給で1日2日休んだところでどうにもならず1週間。
たまたまその時期に配属になった上長からの薦めでメンタルクリニックへ通院。
結果は、予想通り「うつ病」と診断された。
『......次は――、――、』
本能的に駅名を聞いて目が覚めた。
いつの間にか寝ていたようだ。
何とか手から滑り落ちずにすんでいた文庫を鞄に詰め、ちょうど開いたドアへと向かう。
データセンター最寄り駅とはなっているが、決して近いわけではない。
駅からさらにバスで10分はかかる。幸い、バスの本数は多いので待ちぼうけを食らうことも少ないが。
勤務先の最寄り駅よりもはるかにこちらの方は活気があり店も多い。大学が近くにあるせいもあるだろう。
これだけ飲み屋が多ければ、帰りはより取り見取りだな。
それが目的でデータセンターに来るわけではないが、それくらいの役得はあってもいい。
ちょうど停留所に来ていたバスに乗り込む。
――こんな住宅地に最新のデータセンターがあるなんて、周辺の住民は知らないだろうな。
流れる景色を眺めながら、『そもそもデータセンターは詳しい場所は公開しないだろう』とセルフ突っ込みをいれる。到着まで5分程度。
休職中は、ひたすら寝ていた。
とにかく休むこと、それだけ念押しで医者に言われて、うつ病の薬やら睡眠導入剤をもらって引きこもり生活だった。
医者は「好きなことやりなさい」とは言ったが、傷病手当で収入が激減して遊びにいくもあったもんじゃない。
幸い貯金があったのでなんとかなったが、結局は寝て飯食って好きな本を読んでの繰り返しだったような気がする。半日以上も爆睡したのも久しぶりだった。
おかげで考える余裕もできた。
そう、ITエンジニアという仕事についても。
「こんにちは、お疲れ様です。静脈認証の登録をお願いします」
すでに顔なじみとなったデータセンター入館受付のおば...いや、お姉さまが愛想よく挨拶をする。
「今日もお一人で?」
「そうなんですよ、誰も来たがらなくて」
「大変ですね」
「いやー、会社でずっと画面見てるよりは、こうやって外に出る方が気分転換になっていいんですけどね」
「そうですね。あ、保守の方も先ほど入館されて中でお待ちしてますので」
「ありがとうございます」
へえ、なかなかに融通が利くね、今回の保守の人は。
携帯電話やUSBメモリなど、情報漏えいにつながるような物品はすべてロッカーに預け、それ以外の筆記具などの最低限のものを透明ケースに入れて、ゲート横の係員に預ける。
ここはまるでSFのようだ。
手荷物検査の設備は、それこそ空港のものと同じだが入館者が通るルートはSFじみている――といっても一昔前のだが。
映画「ザ・フライ」にでも出てきたようなスキャン装置に入り、全身をスキャンされる。
手荷物を受け取り、IDカードと静脈認証で一度に一人しか通れない頑丈なゲートをくぐる。
監視カメラがやんわりと睨みをきかせる前を通り、時折通る『火の鳥』に出てくる『ロビタ』のようなガードマンロボに道をお譲り申し上げ、ようやくマシンルームだ。
「あ、本日の保守を担当します......」
へえ、こいつは驚いた、というか驚くのも失礼か。
20代と思われる女性が今日の保守エンジニアだった。優秀ならどの分野でも男女の区別がない、そういうところはIT業界は少しだけ進んでいるのかもしれない。
こちらから概要を説明し、さっそく保守の女性が作業に取り掛かる。
正直、今日の仕事は簡単だ。
開発系のサーバでアラート発生、メモリ障害のための交換。ただそれだけだ。
本番ではないので平日に止めても文句も言われず、作業はベンダーの保守エンジニア。
俺は立ち会うだけ。
正直、これだけのために来るのは会社としては人的リソースの無駄遣いだと思う。
しかし、そのような事も考慮せず、ただ「契約料が高いから」という理由でデータセンターの一次保守受付サービスを受けないのは考えが足りない。
このデータセンターにサーバが何台あり、年間の故障率と、その都度社員が対応する工数と出張費を考えればどちらが安いか。
情報処理関係の試験を頻繁に受けるようしつこくフォローする中間管理職に、その考えはないのかね。
静電防止バンドを手首につけて作業を始める保守エンジニアを見ながら、俺はそう思った。
会社に復帰したのは、リハビリ期間も含めて1年半後だった。
休職していた間、業務上で大きな問題は何もなかった。
別に俺が不要な人間であったわけではなく、良い意味で強制的に「仕事の共有化」が進んだわけだ。
自分が「抱え込む性格」であったことも災いしていたが、それと同時に共有化を誰も進めてこなかったのだ――口先だけで。
強制的に環境が変化するか、外からの圧力がくるか。
どうも日本というのは黒船の時から何も変わっていないらしい。
土井利勝が見たらどう思うのかね。
復帰してから、俺は良い意味で「不要な仕事をしない」ようにした。
もともと兼任していた仕事は、それこそ複数のメンバーで兼任できるものだった。
メインの仕事も、休職中に代わりに担当していたメンバーと共有できるようになった。
もしかしたら休職あがりの俺に対して遠慮があったのかもしれないが、定時に退社しても誰も文句は言わない。
もちろん、定時までに仕事を終わらせるように工夫したのは当然だが、そもそも前だって定時にあがってよかった状況だったのかもしれない。自分で抱え込まなければ。
「作業終了しました。ご確認をいただけますか」
我に返り、サーバの起動状態・アプリの起動状態を確認する。
まあ、問題があるわけもなく、保守エンジニアの報告書にサインをして共にマシンルームを後にする。
「......この仕事長いんですか?」
「えっ、あ、いえまだ1年です」
俺に問いに、少し戸惑いながらも返す。
「ですが、きちんと教育も受けてますし、何度も現場には出ていますので...」
ベテランでないことにいちゃもんでもつけられるとでも思ったのか、そのように弁明する。
「仕事楽しいですか?」
「そうですね、色んな所にもいけますし」
「そうすか」
「ええ、楽しいです」
いいね、若いってのは。それに「色んな所にいける」って正直に言うところも。
彼女達は、俺のような道を辿るのか。
いや、あまり辿らせたくはないな。
入館とは逆順で各プロセスというか、イニシエーションとまで思えるくらいに淡々と退館手続きを済ませた。
後はバスに乗り、駅まで行って......せっかくだからどこか新しい店でも開拓しようか。
安くて軽く呑めるような。
前払いでバス料金を電子マネーで支払い、奥の席へ。
バスだと酔うので本は読まない。
すでに薄暗くなった外を眺めながら頬杖をつく。
『ええ、楽しいです』
俺もあのエンジニアと同じ年の頃は、楽しかったのかも。少なくとも、楽しもうとする余裕はあったのかも。
いや、夢というなら、もっと昔――
マイコンって凄いな。
計算とかできるし、プログラム入れればいろんなことができる。
俺も欲しいな。
何とか中学の入学祝にマイコン買ってもらった。
貧乏だから、テレビにつなぐ安いタイプだ。
この雑誌のプログラムを打ち込めば、色んな計算だってできる。
......syntax error
うーん、どこ打ち間違えたかな。
おっ、やった、動いた!!
自腹で新しいパソコンを買ったけど、結局ゲームばっかりだな。
あ、でもこのプログラムなら俺にも打てるかも。
長いな、これ...
へー、この研究室はMacがあるのか。電子メールも学生全員にあるのか。
結局、情報学科でなくてもどこにでもあるんだな。
よし、久しぶりに思い出しながらやるか。
新入社員のうちから全員一人1台PCがあるのか。
プラント系の仕事だけど、結局今はITの時代なんだな。
このドキュメントをワークフローに流して......
なんだこれ、すっごく遅い。
え、先輩、なんでしょうか?
「使い物にならないからプリントアウトして流せ」って。
はあ......
「おかんただいま」
「あ、お帰り、お父さん、お兄ちゃん帰ってきたで」
「おう、仕事順調か? コンピューターの仕事に変わったってきいたけどどないや?」
「まあぼちぼち。覚えることも多いし、コンピュータのお守りもせなあかんし」
「そういやお兄ちゃん、昔ようやってたな、得意やろ」
「昔とえらいちゃうわ。すぐエラーなるし」
「ほうか。なんや、コンピューターって、人様が楽するためのもんちゃうんか」
「......お客さん、駅につきましたよ。車庫に入りますので......」
「あっ、すんません」
また寝てしまったようだ。
半分、実家の方便が入ったイントネーションでバスを飛び下りる。
駅前では、仕事帰りのサラリーマンを呼び込もうと、居酒屋の客引きがあちらこちらで声を張り上げている。
胸にかすかな振動を感じた。
「おう、久しぶり」
スマートフォンには同期、といっても別部署でたまにしか合わない奴の名前が映し出されていた。
『今大丈夫か』
「いいよ、今帰り。呑みの誘いか」
『いや、違う。大事な話。実は......』
――死んだ?
突然の訃報だった。
数少ない同期入社、その中でも紅一点の『あの娘』が急死した。
一番頑張っていた彼女が。
一番優秀だった彼女がが。
一番夢を語っていた彼女が。
そして、失って初めて気が付いた。
俺の憧れでもあった彼女が。
葬儀は、あっけないほど淡々と終わった。
なぜか涙は出なかった。
恐ろしいものだ。同期は10名といないのに、全員が揃ったのは新人研修依頼これが初めてだった。
そして、永久に最初で最後の。
「よう、ちょっといいか」
俺に連絡してきた同期が声をかけてきた。
「ああ」
「実はな......」
自殺。
当初は事故と聞いていたが、葬儀では伏せられていたらしい。
俺にそれを伝えた同期も偶然それを知った。
金融系のシステム構築プロジェクトに携わっていたとは聞いた。
当たり前のようにITは24時間年中無休で使用できると思っている人々。
その裏には、24時間以上年中無休以上に陰で支える人たちがいる。
金融系になれば、そのシビアさはより過酷なものとなる。
彼女はそのプロジェクトのデスマーチに巻き込まれた。
無能な経営者、マネジメントしないプロジェクトマネージャ。その下で彼女を含む「ITエンジニア」達は捨て駒のようにこき使われ続けてきた。
新しい「3K」のお手本のような環境で働き続け、それでも追い付かない場合は「サービス残業」ならぬ「サービス休日出勤」を繰り返し、何とか立て直そうとした彼女。
しかし。
――戦略の失敗は、戦術では取り戻せない
戦時中の日本の、そして戦後から今まで繰り返されてきた日本の悪習の理のままにプロジェクトが破たんする寸前。
彼女は自ら命を絶った。
ストレス、不眠、理解のない上司との人間関係、真面目すぎる責任感。
プロジェクトの破綻を見越したのだろうか。
もう少し、持ちこたえていれば。
いや、もう少し誰かが気づいてやれれば。
ほんの少しでも、誰かが支えてやれれば。
何故か、データセンターでの女性保守エンジニアの顔が浮かぶ。
まだ夢と希望にあふれた顔が。
そして、それが失望と疲労に変わる顔が。
今も世界中の至る所でITは稼働している。24時間休みなく。
その裏で、それ以上にITエンジニアが陰で苦役を課せられている。
誰にも気づかれることなく、誰もがそれを当たり前のように受け入れている。
俺達が、そして死んだ彼女も子供の頃夢見ていたITの世界とは程遠く。
失ってしまって初めて気づくものもある、か。
以前読んだ本に、少し似たような話があったな。テーマは原発だったか。確か『天空の――』
俺はその本を取り出した。
「こんにちは、お疲れ様です。静脈認証の登録をお願いします」
いつもと同じやりとり、いつもと変わらぬ顔ぶれ。
「こんにちは」
「今週も保守ですか。大変ですね」
「いや、今日は別件で」
「いつもお疲れ様です」
「ここで24時間働くのも大変だと思いますよ。交代制とはいえ」
「そうですね、守秘義務もあるのであまり仕事内容も家の人に言えないし、わかってもらえなくて大変ですよ。大事な仕事なのに」
「......そうですね、でも」
「はい?」
俺はその時どんな表情をしていたのだろうか。
「そのうちわかりますよ。失ってしまえば――大事なものほど」
(投稿者:akind)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。