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サラリーマン・横田縦雄の失敗【一次選考通過作】

サラリーマン・横田縦雄の失敗【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 「さて、どうするか......」

 横田縦雄は、自宅である賃貸アパートの一室で寝巻き姿のままノートパソコンを前にして悩んでいた。

 縦雄はチェアーの腰掛けに寄りかかり、伸びをした。

 小さなデスクの上には、食べかけのコンビニ弁当と缶ビールが置かれている。周りには本や雑誌が積み上げられ、今にも崩れそうである。

 デスクの真ん中には、その粗雑な生活とは似つかわしくないほど綺麗に磨かれたノートパソコンがある。5年前に縦雄が初めてのボーナスで買った、Let's note LIGHTである。

 

 縦雄は、今年で28歳になる、大手自動車部品メーカーの営業担当の平凡なサラリーマンである。

 縦雄が新卒で今の会社に入社してすぐの頃は景気が良く、給料も新卒の割にはそれなりに貰えていたので、20万円以上するパソコンと付属品をボーナス一括で買っても、まだ余裕があった。

 それが、その年の9月に起こったリーマンショックを期にボーナスを大幅に減らされ、リーマンショック以前並に会社の業績が回復してきた今でもボーナスが増えることはなく、雀の涙ほどのボーナスしかもらえていない。

 だが、縦雄の会社はボーナスを支給してくれるだけでも、周りに比べればましな方かもしれない。

 縦雄の大学の同期の中には、ボーナスを全くもらったことがない者、ボーナスどころか基本給まで減らされたままの者、リストラに遭った者など、30歳手前にしてサラリーマン人生の坂道を下っている者が多数いる。


 「さて、どうするか......」

 

 縦雄が悩んでいるのは、今後の人生についてではない。

 かといって、自宅に帰ってきてまで仕事のことで思い悩むほど殊勝な男でもない。

 とあるビジネス情報サイトで募集されていた、ビジネスをテーマとした短編小説コンテストに応募する小説を書こうとして悩んでいるのである。

 

 だが、縦雄が悩んでいるのは小説の内容についてではない。

 小説の内容については、いつか書こうと温めてきた案がいくつかある。

 縦雄は読書家であり、大学生の頃から社会人になった今に至るまで、1週間に1冊以上の本を読み続けている。

 大学生の頃は自分で短編小説を書いたことも何度かあり、コンテストへ応募したこともあったが、賞にはかすりもしなかったことから、ここ数年は自分で小説を書いてはいない。

 

 しかし社会人になってからは、たまに小説の題材を思い付くとメモに書き留めるようにしてきたため、小説の題材には事欠かない。

 今回は、その数多の題材の中から、これはという題材を頭の中で練りに練ってきたものを書くため、かなりの傑作になる予定である。

 自分の書いた小説が大賞を獲り、それを期に脱サラし、小説家として食べていく妄想プランもできている。

 そのくらい、縦雄には自信があった。


 

 「さて、どうするか......」

 

 パソコンとにらみ合ってから、一時間を経過しようとしているが、縦雄は小説をまだ一文字も書き始められないでいた。

 それは、小説を「縦」で書くか「横」で書くか悩んでいたからであった。

 

 日本の多くの小説は、縦書きである。

 小説だけではなく、新書もビジネス書も、マンガの吹き出しも、ほとんどが縦書きである。

 むしろ、本来は日本語の文章は全て縦書きのはずである。

 だが、欧米の横書きの文化が伝来して以来、日本でも横書きの文章が多くなってきた。殊にインターネットが普及してからは顕著である。

 縦雄自身も、大学生の頃に書いた小説こそ縦書きだったが、メールやブログで書く文章は全て横書きである。

 特に社会人になってから、ビジネス文章は全て横書きで書くため、横書き文化が身体に染みついている。

 

 小説なのだから縦書きだろう、という発想は安易すぎる。

 最近はネット小説が数多く出ていることもあり、横書きの小説も増えてきている。

 そうでなくとも、普段、横書きでブログやmixiの日記を書いている縦雄は、わざわざ縦書きで小説を書くよりも、いつも通り横書きの文章で小説を書く方が、良いものが書けそうな気がしていた。

 

 縦雄は今、パソコンのMicrosoft Wordの画面に向かっているが、何も設定を変えていないため、「文字列の方向」はWordのデフォルト設定である「横書き」で画面が映し出されている。

 このまま「横書き」で書き出せば、いつも通りの文章を書き始められるはずである。


 

 「さて、どうするか......」

 

 縦雄は横書きに惹かれる一方で、縦書きの方が良い気もしていた。

 

 縦雄は仕事でSWOT分析やロジックツリーなどのフレームワークを用いることがあるので、思考が枠組みに規定されることをよく知っている。

 フレームワークに規定されているものはMECEに、漏れなく重複なく洗い出すことができるが、そもそも規定されていないものは、発想の外に弾かれてしまう。

 

 日本人である縦雄は、日本語で思考している。日本語の本来の姿である縦書きで思考しないと、出てこない発想があるかもしれない。

 

 また、縦書きの文章は、普段の生活やビジネスの場でも増えてきている。

 近年流行の電子書籍は紙の本のレイアウトをそのまま電子化しているため、縦書きの場合が多い。

 

 IT業界でも、縦書き文章を目にする機会が出てきた。

 最近では、総務省と民間企業が、次世代のインターネットブラウザに適用される縦書きレイアウトの国際標準化に向けて検討を進めているらしい。

 縦書きレイアウトは、日本を中心に中国や韓国、台湾、モンゴルなどでも使われているという。

 

 縦雄は生まれてこの方、ずっと日本で生まれ育ってきた。

 彼は、日本の文化を守れ、だとか、尖閣諸島は日本のものだ、とかいうことを声高に叫ぶ人間ではないが、何となく日本の文化に誇りを持っていたし、日本語で文章を書くには、縦書きがふさわしいかもしれないという気がしていた。


 

 「さて、どうするか......」

 

 今回、応募するコンテストはプロ・アマ問わず応募可能であるという。

 縦雄は、プロの小説家ではなく、サラリーマンである。

 プロと同じ土俵で戦うことは得策ではない。

 サラリーマンには、サラリーマンの戦い方がある。

 純粋に良い作品を作るプロダクトアウトの発想ではなく、マーケットインの発想で小説を書く方が自分には向いている。

 

 今回、応募する賞の審査員は5名。

 大きく分けて編集者が3名、著作家が2名である。

 全ての審査員に気に入られる小説を書くことは難しい。

 ターゲットを絞り、特定の顧客の心を掴む商品を提供することは、商品開発の基本である。


 

 「さて、どうするか......」

 

 編集者3名は、IT系の雑誌やビジネス書の編集をしている方が多い。

 普段、関わっているビジネス系の文章とは違った純文学系の文章で攻めれば、そのギャップが目に留まり、有利に働くかもしれない。

 

 著作家のうちの1人も、IT系やマーケティングの書籍を出している方である。

 ブログなど、ネット上に文章を発信していることが多く、メールマガジンも発行している方なので、あえてそれらとは異なる文章形式のものを見せることで、内容以外の点でも記憶に残せるかもしれない。

 

 厄介なのは、もう1人の著作家である。会計士らしいが、自身は会計士を主人公としたミステリ小説を出しており、歴史についての本も出版しているらしい。

 自身でブログを書いているので横書きの文章に慣れ親しんでいる反面、小説や新書を何冊も出版しており、読書家でもあるようなので、縦書きの文章にも普段から触れているだろう。

 彼には、「縦書き」と「横書き」のギャップで攻める手は通用しないかもしれない。

 

 だが、しかし。

 ここは、他の審査員へのギャップ作戦が通用しなかった場合も考えて、あえて彼の好きな歴史もので、とことん攻める手でいこうと、縦雄は決めた。

 形式よりも、中身で勝負である。

 

 縦雄は、長年アイディアを書き込んできたRHODIAのメモ帳から、使えそうなアイディアを別の紙に書き出し、その中からいくつかを結びつける。

 ビジネスをテーマとしつつ、舞台は石器時代で、書きぶりは純文学。

 書式は、縦書き。

 

 縦雄はマウスに触れ、Word画面の「ページレイアウト」から「文字列の方向」をクリックし、設定を「横書き」から「縦書き」へ変更した。


 

 「さて、書き始めるか......」

 

 縦雄は再びチェアーの腰掛けに寄りかかり、伸びをした。

 ふと壁に目をやり時計を見ると、既に深夜1時をまわっている。

 明日も6時30分には起床し、9時までに会社へ行かなければならない。

 縦雄は、このまま小説を書き始めようかとも思ったが、今日は縦書きか横書きかを決めたことだし、内容の軸も決まっている。

 あとは頭の中にあるものを形にするだけなので、明日またパソコンに向かうこととし、食べかけのコンビニ弁当を掻き込んでから歯を磨き、ベッドに向かった。


 

 「さて、どうするか......」

 

 翌日、縦雄は会社で朝から忙殺されていた。

 先週末に客先に納品した製品に不具合が発見され、縦雄は一日中その状況を把握することと対応策の立案に追われていた。

 ただでさえ不具合によるトラブルには時間を割かれるが、よりによって今回のトラブルはクライアントの海外生産拠点であるベトナム工場で発生したという。

 今回のトラブルは深刻らしく、上司から現地で確認して来いという指示があり、一週間の出張命令が下される。

 

 縦雄は翌日から、製品設計担当者とともにベトナムへ向かった。

 書きかけ(というか、まだ書き始めていないが)の小説を、自宅のパソコンに残したまま......。

 

 結局、縦雄は小説を書き始めることがないまま、とあるビジネス情報サイトで募集されていた短編小説コンテストの締め切り日をベトナムにて迎えてしまった。


 

 「さて、どうするか......」

 

 と、悩んでも、締め切りが来てしまったものは仕方がない。

 縦雄は次回のコンテストまでには小説を書き始めようと思いつつも、その後もそれに手を付けることはなかった。

 いつか小説家になりたいという漠然とした夢は叶うことなく、横田縦雄はサラリーマン人生を平凡に続けるのであった。

 

 いくら着想や構想が良くても、それを形にしなければビジネスは前に進まない。

 縦雄に限らず、「縦書き」か「横書き」か、ということを議論することに終始している人たちはそこかしこにいる。

 

 ただ、横田縦雄の場合は、無理に小説家にならずにサラリーマンとして生きていく方が幸せなのかもしれないが......。


 

 なお、この文章は「横書き」で書いている。

 

(投稿者:渡辺恵士朗)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。