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うまい話【一次選考通過作】

うまい話【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 FX(外国為替証拠金取引)のデイトレーダーになると言って会社をやめて半年が経つ。やめるまで順調だったトレードが、やめた途端に勝てなくなった。今までのは単なるまぐれだったと思えるほどだ。

 当面の生活費はトレード資金と別枠で確保しているのですぐに困ることはないが、さほど多くもない資金は減る一方だ。このままではジリ貧だという重圧が、日増しに強くなる。

 アルバイト先を探そうかと思い始めた頃、奇妙なメールが届いた。いや、正確にはメールではなくブログへのコメントだ。僕はトレード理論や相場見通しについてのブログを書いていて、結構人気がある。トレードの成績は秘密だ。

 そのブログに非公開コメントとして送られてきたのがこれだ。

 

  はじめまして。いつも楽しく拝見しております。

  本日は貴方様の技量を見込んで、

  私どもの事業にご参加いただきたく、

  連絡を差し上げました。

  決して損になる話ではございません。

  関心がおありでしたら、

  下記アドレスまでご連絡ください。

  株式会社○○○ 担当××

 

 聞いたこともない会社だ。ネットで検索してもそれらしい会社は見つからない。情報商材の販売なら相手にしないのだが、「技量を見込んで」「事業に参加」というのが気になった。うさんくささを感じながら、フリーのアドレスからメールを送ってみた。意外なことに、会社の資金を運用してほしいという話だった。

 

 何度かメールのやり取りをしてから、喫茶店で担当者と会った。遠方の会社だが、契約者は全国にいて担当者が出向いているという。

 「募集しているのは、利益の出せる外国為替のデイトレーダーです。会社の資金で取引をしていただき、報酬は利益の二分の一、毎月清算して銀行口座に振込みます。運用資金は、最初の一ヶ月は試用期間として100万円ですが、期間終了後に合格と判定されれば1000万円から始めていただきます。1ヶ月ごとに成績を査定し、資金枠を決定します。億単位の方もいらっしゃいます」

 「もちろん損失は当社の負担ですが、場合によっては契約終了となることもございます。いずれにしましても、そちらの負担は、パソコンを含めてご自分のネット環境を使用するという点だけです」

 担当の人はそう言った。投資銀行の自己売買と同じだが、それを在宅で行うことで、コストの削減と好きな時間にトレードできるというメリットがあるという。

 悪くない話だ。自宅に戻ってから、念のため会社の登記を確認してみた。今は遠方の法務局まで出向かなくても、誰でも、ネットで登記簿が閲覧できる。会社の登記簿なら手数料は380円だ。

 登記はすぐに見つかった。会社の目的欄には投資業とか外国為替取引とかいろいろ書いてある。別に変なところもないようだ。腹を決めて、渡された契約書にハンコを押し会社宛に送った。

 数日後、専用ソフトの入ったCD、ログインIDと取引パスワードが送られてきた。アクセスしてみると、本当に残高100万円の口座があった。何か不思議な感じがした。

 

 妙なもので、自分のカネで取引している時よりも力が入った。なにしろ1億円運用の登竜門だ。担当者の話では、査定は損益だけでなく、その内容も重視するという。まぐれ勝ちには安心して大金を任せられないということだろう。評価されるには「正しい」取引をする必要がある。

 僕の取引手法はいわゆるトレンドフォローというやつだ。相場のトレンドを見極め、その流れに乗る。「損切は早く利は伸ばせ」が鉄則だ。目の前の利益を失うのが怖くて少しの利益で手仕舞ってしまったり、損失を確定させるのがイヤでぐずぐずしているうちに傷を広げてしまうのは、一番ダメなこととされている。何もしないことに耐えられず、なんとなくポジションを持ったりするのも素人が--つまり僕が--よくやる失敗だ。

 自慢じゃないが、投資本は数え切れないくらい読んでいる。成功した人の言うことには共通点がある。「自己規律」「忍耐力」「損小利大」...。今まで、頭では分かっていてもできなかったことだが、他人に査定されるというのが大きなインセンティブになった。

 まず気分しだいのトレードを改め、トレードする時間帯を決めた。毎日、終わったら必ず結果を記録し、自分の取引ルールと照らし合わせて検証する。気になったチャートは保存する。失敗した原因を徹底的に考え、繰り返さないように紙に書いて壁に張る...。こんなに本気で取り組んだのは初めてだ。

 寝ても覚めてもトレードのことばかり考えている一ヶ月が終わったとき、口座残高は130万円に増えていた。運もあったと思うが、月に30パーセントの利益なんていままでなかったことだ。査定は合格し、運用資金は1000万円になった。そして、出した利益の半分、15万円が振り込まれた預金通帳を見て、はじめて現実感が生まれ、気持ちが浮き立った。

 資金が1000万円になってもトレードは順調だった。金額が大きいため慎重にはなったが、半月で利益は100万円近くになった。勝ち負けの波も徐々に安定してきた。このままいけばと、将来設計まで考え始めた。

 

 ところが、うきうきした気分で週末を過ごした翌週、月曜日の朝のことだ。突然警察から電話があった。会社の経営者が逮捕されたという。

 「えっ」と言って絶句した僕に、警察の人は一方的に言った。

 「逮捕容疑は国税法違反なんですが、調べてみるといろいろとやっていまして、そのうちの一つがあなたの契約した外国為替取引です。捜査のために証拠書類等を預からせて欲しいので、これから担当の者が伺います」

 なかば呆然とあいまいなやり取りを終えた僕は、あわてて口座の画面を開こうとしたが、アクセス不能になっていた。膝から力が抜けた。

 やってきた警察の人の話では、会社の資金を第三者に運用させることがすぐに違法とは言えないが、その資金は高利回りをうたい文句に一般から募集したものだそうで、トラブルが生まれているらしい。投資詐欺の一種だろうか。無許可無届でいろいろやっていて、詳細はまだ捜査中だという。

 「犯罪に加担したことになるんでしょうか」

 と聞く僕に、警察の人は、

 「いやあ、それはないでしょう。どちらかといえば被害者ですね。専用ソフトは、契約相手の個人情報も収集していたようですし」

 「個人情報の収集って...何のために」

 「さあ。いざという時には利用しようと思ってたんじゃないかな。なにしろ法令順守の意識の薄い会社みたいだから」
と言って笑った。

 天国から地獄に突き落とされた気分の中で「いざという時って、どんな時だよ」と思った。

 幸い、僕は使ってなかった古いパソコンを専用機にしてトレード以外に使っていなかったから、個人情報は無事だ。しかし、今月はあわよくば100万円という目論見は、獲らぬ狸の皮算用に終わってしまった。

 

 数日たちショックが薄まると、僕はまた自分の少ない資金でトレードを始めた。

 ところが...、勝てるようになったのだ。会社のカネでやっていたときはとにかく正しいとされるやり方にこだわり、結果的にそれがうまくいった。やるべきことをきちんとやれば、結果はあとからついてきた。この経験が大きかったと思う。やれば出来るという自信にもなった。同じようにやればいいんだ...

 

 世の中にうまい話はないというけれども、今回の経験は僕の大きな財産になった。残高が2倍になった自分の取引口座を見ながら、悪徳会社であっても僕には恩人だな、と思うこの頃なのだ。


(投稿者:大杉登)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。