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戦略コンサルのパン屋体験記【一次選考通過作】

戦略コンサルのパン屋体験記【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 「駅前のパン屋の売上を二倍にするにはどうすればよいと思う?」

 コンサルティングファームの面接ではこのような質問が投げられる。ひと昔前に地頭の良さを見極める質問として有名になったが、それに合わせて解説本が出まわり、今や就活中の大学生でもスラスラ答えられるものとなってしまった。

 「売上向上には客数増と客単価増の2つの方法があります。客数増は新規顧客の獲得と、既存顧客のリピート率向上があり...」

 「わかった。ありがとう。来週頭には戻るから、それまでにA社向けの市場調査レポートをまとめておいてくれ」

 浅倉雅人は電話を切った。電話の相手は浅倉がマネージャーを務める外資系コンサルティングファームの新入社員の小野だ。問題を分解して捉える小野の回答はセオリー通りであり、彼が採用されていることから回答の正しさが伺える。実際の面接であれば浅倉も「通過」と書いた紙を人事に回していただろう。

 「休憩入りまーす。あ、店長。ここ禁煙っすよ」

 「ああ、ごめん。ていうか店長って呼ぶのやめてくれないかな、米村さん」

 浅倉は火をつけたばかりの煙草を飲み終わったコーヒーの空き缶に無造作に突っ込み、部屋に一つしかない椅子を茶髪の若い女性...米村に譲った。

 「え~、でも今は浅倉さんが店長の代わりじゃないっすか」

 「いや、僕は孝則さん...店長が退院するまでの1週間店番をするだけさ」

 

 プロジェクトの合間をぬって浅倉が北関東の実家に戻ってきたのはつい一昨日のことである。家について早々叔父が倒れたという連絡を母から受け、叔父が経営しているパン屋「しばた」の代理店長を押し付けられるまで、半日もかからなかった。そしてその経営不振の深刻さに気づいたのはさらに半日経ってからだった。

 「月次売上が前年比85%、利益は71%か...」

 2日目の午前を潰して叔父が記録していた帳簿をExcelに打ち込み、危機感はさらに強まった。

 「へー、もっと減ってるかと思いましたよ。キャハハ」

 アルバイトの米村千佳はカレーパンを片手に無邪気に笑った。彼女は近くの短大に通いながら「しばた」で働き始めて1年になる。

 「笑い事じゃないよ、このままじゃ米村さんのバイト代も払えなくなるかもよ」

 米村の顔から笑みが消える。

 「マ、マジっすか~。そうなったら訴えますよ、浅倉さんを。」

 浅倉は無視して印刷した売上・利益推移表に目を通す。

 

 「しばた」は浅倉の叔父、柴田孝則が15年前に脱サラして始めたパン屋で、従業員はアルバイトを含め常時2~3人で回している。低価格でそこそこの味ということで、数年前までは平均して日に10万円以上売り上げていたが、今では8~9万円程度に落ちており、月によっては営業利益が赤字となっていた。

 原因は少子高齢化やデフレによる内食化等いくらでも挙げられるが、どれもただ一つのシンプルな結果となって現れていた。「客数減」と。

 浅倉は役に立つ情報がないか、自社の持つソリューションデータベースを探してみようかと試みたが、すぐに諦めた。浅倉の勤めるコンサルティングファームのクライアントは売上数千億以上が基本であり、「しばた」の売上は新卒コンサルタントのフィーにすら届かない。データベースには全世界の支店から事例が集まっているが、ほとんどは全社システム刷新や海外進出、新規事業開発のような大規模な投資を必要とするものであり、駅前のパン屋に役立つ情報があるとは到底思えなかった。

 

 会社では数十億のプロジェクトを統括できる立場にいる浅倉も、パン一つ焼けない「しばた」では米村の邪魔にならないよう休憩室の隅に寄ることしかできなかった。

 

 そうして売上増のアイデアを出せないまま4日目の業務が終了した。調理場のレイアウト変更や帳票のExcel化等による業務プロセスの効率化や、仕入先の見直しや原価交渉による利益率増の方向性は出てきたが、肝心の客数は増えない状況では焼け石に水である。

 自分の住む世界ではないと割りきってしまえばそこまでだが、自分の能力に絶対の自信があった浅倉にとって、社会人になってから感じたことのない敗北感に打ちひしがれていた。

 コンサルタントと経営者は求められる資質が違うと言われる。優秀なコンサルタントがコンサルティングファームを"卒業"してベンチャーを興したものの、上手くいかずに結局個人経営のコンサルや大学教授のようなポジションに戻る例の方は枚挙に暇がない。

 浅倉自身もいつかはファームを出て自分で会社を経営したいという想いがなかったわけではない。クライアントの社長に対し「自分ならもっと上手くやれるのに」と感じたことも一度や二度ではなかった。

 「そんな俺が日に数万円の売上を伸ばせずに悩んでいるとはお笑い種だ。」

 閉店後の戸締りをしながら浅倉は誰にでもなく呟いた。手には余ったクリームパンと惣菜パンが入ったビニール袋をぶら下げている。店長になってから毎晩同じメニューだ。

 「たまには夕飯に米でも食べるか...」

 「しばた」の閉店は20時だが、掃除を終えて戸締りをする頃には22時を回っており、駅前のスーパーマーケットも閉まっている。

 近くのコンビニエンスストアに足を運び、かつては目にも止めなかった品出し中の店員に敬意を払いつつ、ビールとおにぎりをカゴに入れた。レジへ向かう途中で浅倉はあることに気がつき振り返った。

 「コンビニの食パンが何であんなに売れているんだ?」

 店員は6切れ入りの食パンと4切れ入りの食パンを計10袋以上補充している。配送が日に1回としても随分多い。「しばた」で扱っていない菓子パンならまだしも、食パンは値差も小さく50mも離れていない「しばた」で売れない理由はない。

 浅倉は品出し中の店員に動揺を見せないように尋ねる。

 「すみません、この食パンって何時頃売れてます?」

 太り気味の店員が怪訝な顔で浅倉を見つめる。

 「んー...大体夕方ですかねえ」

 営業時間外ではない。つまり取り逃がしている客ということだ。

 浅倉はビールを棚に戻し、おにぎりを購入してすぐに「しばた」に戻った。

 「しばた」はPOSシステムを導入していないため、単品の売上はレジのジャーナル(レシートの控え)を見るしかない。膨大な量だが、とりあえず食パンの売上のみ時間別に書き出した。

 売上のピークは2つ。12時~13時と17時~18時だ。昼のピークは昼食用ということだろう。夜のピークはよくわからないが毎日18時前にぷっつり切れている。恐らく売り切れたのだろう。

 暗がりの中に一筋の光明を見て、浅倉は5日目を迎えた。

 「米村さん、食パンって夕方以降に良く売れてる?」

 「そうっすか?あーでも売れてるかも。若い女の人が買ってますね。次の日の朝ごはんっすかね。」

 「じゃあ今日は午後に多めに焼いてもらえるかな。あと買ってくれた人に理由を聞いて欲しいんだ」

 

 17時を迎え、浅倉は店の前に立て看板を置き、その横で声を張り上げた。

 「夕方全品10%OFFです!今日だけ食パンは20%OFFですよ!」

 通行人はたまに目を向けるが入店まではいかない。

 「だめか...」

 そう思って下を向いた浅倉の前に、小さな足音が近寄ってきた。

 「ままー、パン買ってー」

 「はいはい」

 一人の母子が入店したのを皮切りに、だんだんと客数が増えてきた。よく見ると米村の言うとおり、他の時間帯より若い客が多い。

 仕事帰りの女性だろうか。18時以降も駅から若い女性が多数出てきたため、結局19時まで浅倉は声を上げ続けることになった。


 

 「店長、やっぱり次の日の朝ごはんで買ってるみたいでしたよ。」終業後、米村は胸を張って答える。

 「翌朝食べるってことは焼きたてかどうかはあまり重要じゃないね。」

 浅倉の言葉を聞いていないのか、米村はマイペースで続ける。

 「あ。あと子どもや自分の弁当に使うって人も多かったっすね。」

 「食パンを弁当に?」

 「いや、そりゃあそのままじゃあないっすよ。サンドイッチとかにするんじゃないっすか?」

 米村は呆れたように言う。

 「ん、じゃあ朝にサンドイッチを売ったほうがいいんじゃないか?」

 「それもそうですけど、あの辺のお母さんは駅と反対の幼稚園に行くから、やっぱり前の夕方がいいじゃないすかね。」

 浅倉は顎に手をやり、一人頷いて米村に言った。

 「それだけわかれば十分だよ。」

 

 今まで浅倉は物の動き、金の動きばかりに気を取られ、肝心の顧客については何も見えていなかった。店の前に立って通行人の性別・年齢、どこから来るか、いつ来るか、顔を上げればいくらでも情報があったのだ。

 浅倉の会社でも市場調査は行うが、あくまで新規参入のような、過去の事例が使えない場合の特殊な例に限ってのことだった。その調査も別の部隊か新入社員の仕事で、マネージャーである浅倉はいつの間にか発注側のクライアントの顔を見ることが仕事だと思い込んでいたのだ。

 真の顧客の姿が見えることで、水道管のつまりが取れたように浅倉の頭の中にアイデアが流れこんできた。

 トースト用の固めの食パンとサンドイッチ用の耳のない柔らかい食パンを置いてみたらどうだろう。毎日買うとお買い得になるポイントカードを作ればリピート率が高まるかもしれない。通勤前に朝食を食べられるイートインスペースを設けるのも面白い。

 その日初めて浅倉は翌日を待ち遠しいと思いながら眠りについた。

 

 そして瞬く間に「しばた」の店長としての最終日となった。退院した柴田への引継ぎも済ませ、最後に浅倉がやってきたこと、今後やるべき点と実行上のリスクをレポートとしてまとめあげて手渡した。もちろん通常の成果物に比べ量も少なく門外漢のジャストアイデアも多分に含まれるレポートと言うにもおこがましいものだった。しかし、決して手を抜いたものではない。

 業務を終えて休憩室で柴田と談笑しているところに米村が入ってくる。

 「店長...じゃなかった、浅倉さん、お疲れ様でした!これ、従業員からのプレゼントっす!」

 米村は綺麗にラッピングされた細長い筒を浅倉に手渡した。

 「ん、ワインかな?やけに軽いが...」

 米村は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

 「違いますよ~。麺棒です!これできちんとパン作りを練習してくださいね!」

 浅倉は目を丸くして言った。

 「いや...、ありがとう。大事にするよ。ははは」

 「あ、何か初めて笑ったところを見ました。浅倉さんは目付き悪いから、笑った方がいいっすよ!」

 「米村さんももう少し女性らしくしてみたらどうかな?」

 二人の様子を見て、柴田は微笑んだ。

 「雅人くんのためにいつでも店長の座は空けておくからな」

 

 浅倉は頭を掻きながら愛想笑いを返した。

 今回の浅倉の仕事はあくまで対症療法であり、「しばた」の経営が完全に上向いたわけでもない。柴田が気を抜けばすぐに顧客も離れていくだろう。

 「次は正規料金でお願いしますよ。」

 コンサルタントの顔に戻った浅倉はそう言って駅に向かい歩き出した。

 「まあ、報酬としては充分か」

 前を向いたまま浅倉は麺棒を持った右手を柴田と米村に向かって振った。


(投稿者:七瀬)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。