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首狩り【一次選考通過作】

首狩り【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 「あなたにたいへん興味を持っておられる会社があります」

 東京プリンスのコーヒーショップは薄暗く、隣席との距離も離れているのでほとんどその男の声がもれることはなかった。

 「どういうことでしょうか」高城は尋ねた。

 「リヒテンシュタインにある流通グループですから、今とご同業に近い存在です。アジアではすでにシンガポールと上海にブランチがあり、3番目の拠点が東京になります。そのトップ、つまり日本支社長のポジションです」

 高城は落ち着いた口調でコーヒーを一口飲んだが、味はしなかった。同時に脈拍がドクンとゆっくりと、そして大きくなっていくような感覚が訪れた。熱っぽさも感じたが、それは決して不快なものではなく、明らかな昂揚感であった。

 その男からの初めて電話を受けた時に感じたのと同じような熱いものが体の内部から再び込み上がってきた。

 

 考えてみれば今の会社で本部長になって3年。中途入社ながら部長以上に昇進できた例はほとんどない。現在の立場はもちろん恵まれたものといえる。しかし高城は決してそれに満足はしていなかった。事業部の業績は横ばいから、やや下降気味。もちろん景気の悪さは大きく影響しているが、ただそれが理由として通じないことは自分自身が部下からの言い訳としても一切拒絶していることで一貫している。

 

 もはや今の会社に自分の立場を脅かす者はいない。若手でも才覚のある者、自分と同じく英語に長けていて、外国人マネジメントとも意思疎通ができる者を、「ネクスト・ジェネレーションズ」と現社長のシュタイン氏は呼んでいた。しかしそんな彼らの存在は高城にとっては見過ごせないものだった。自らの立場を脅かす恐れがあるからだ。彼らはまだせいぜい課長になったばかりの、自分より10歳は年下の世代ではあるが、自分が2階級特進で部長になった時も史上最年少部長として、前例はなかった。何が起きても良いように、執拗に危機の芽を積んでいく作業を行った。

 

 「芽」は慎重かつ確実に排除してきた。まずは営業部長に自分が選んだ、無能だが自分に絶対服従を貫ける、忠実で単細胞な子飼いを選んだ。そして将来有望そうな、ネクスト・ジェネレーションズたちはマーケティングや物流など、「非」営業部門に配置した。無能集団になった営業部のツケを、すべてそれらの部門に押し付け、営業は製品パッケージトラブルやら納品の遅れやらを売上未達の理由として追求していった。責任転嫁されたそれらの部門に追いやったネクスト・ジェネレーションズたちはばかばかしくなり、結局自ら辞めて行った。彼らにはそれだけの目端の利きがあり、無理なリストラなどしなくともそうなることを予期した高城の狙い通りとなった。

 

 結果として事業部にはすべて、自分を超えることはあり得ない凡庸な人材だけが残った。

 そのことは自らの地位を安泰にしたはずではあるが、一方で業績という本丸にじわじわと影響が及んできた。結局新たなビジネスを生み出せる才覚も、今あるビジネスの障害やボトルネックを克服して飛躍させるだけの能力を持つ人材はいなくなったからだ。

 

 今、自分の周りにいる人間は、自分を畏れ、また決して自分を追い越す能力も、意思もない者ばかりである。それが高城には安心感を与えてくれているものの、結果として能力の無さは、事業部の成績不振を招いているのも紛れもない事実である。

 今の営業部門は自ら売り上げを伸ばすことは出来ず、既存客への従来通りの接待営業や固定化した販促経費の注射によって、かろうじて売り上げの下落のスピードを緩めているのがせいぜいとなった。

 

 高城はこれまで展開してきたライバル候補のせいによる業績不振の言い訳が難しくなり始めたことを感じていた。しかしだからといって外から有能な営業や人材を引っ張ってきては元も子もない。再び自らを滅ぼしかねないことになってしまう。そんなジレンマを一気に解消してくれるかもしれない話を、今、目の前にいる男はしているのだ。

 

 「年収は1500万の保証に加え、ボーナスが営業利益の3%です。シンガポールの実績で計算すればボーナスだけで2000万もあり得ます。ただもちろん初年度からとなりますと、難しいとは思います」男は淡々と語った。

 「わかっています。その営業利益は累計ですか」高城は尋ねた。

 「当然単年度です」

 「わかりました。お話をぜひ進めて下さい。今後のご連絡は私の携帯メアドにお願いします」

 高城は満足した答えを得られ安心し、自分の携帯メールのアドレスを伝えて席を立った。

 

 小さくないトラブルが発生した。中堅の取引先であるレッドアロー社に、簿外の在庫が約3000万円置かれていることが判明したのだ。
めんどうなことになった、と高城は思った。もっと小さい額、500万以下であればもみ消してしまうことが出来る。しかし1000万を超える額となると社内はもちろん、税務的にもやっかいだ。営業部長とともに担当者と面談したが、単なる怠惰と危機感の無さによる凡ミス、チェックミスであり、そもそも不正を働けるような根性も知性もない担当者に普段は哀れみしか感じないのだが、この日は珍しく声を荒げて吊るし上げた。

 ただ萎縮し、平謝りする担当セールスは「すみません」「絶対に二度と起こしません」というような、何の説得力も、言い訳にもならない言葉を繰り返している。営業部長も「厳格な管理を全力を上げて徹底します」と、いつものように言葉だけは強いが、これまた何の説得力も持たない「音」を発していた。

 

 「見切り時か」と高城は思った。

 今話が進んでいる会社のシンガポール支社代表はリヒテンシュタイン人だということだが、自分と会うために来日し、先週インタビューを受けた。予定を1時間以上オーバーして3時間近くに及んだ。日本の流通を具体的な取引先名まで出して説明できる高城に対し、おおいに興味を惹かれているようだった。面接が長引くことはすなわち吉兆であることを経験上知っていたし、自分の中で何かが動き始めていることを確実に感じていた。

 

 電話がかかってきた。あの男からだった。

 「高城さん、おめでとうございます。ぜひ日本支社長のポストをお願いしたいと、本社からのオファーが出ました」

 「それは...・・ありがとうございます」

 「お話、進めてよろしいですよね?」男は続けた。

 「...・はい、よろしくお願いします」

 

 高城は雇用契約を済ませたことで、具体的に動き始めた。現社の社長に辞表を提出しに行った。

 自分を引き上げてくれたシュタイン社長は、これまでの自分の活躍や能力の高さを褒め、すなわち引き止めをしているように感じた。ただ自分の中で周到に進めてきた「脱出計画」は何も変わりはない。

 

 あの男からの呼び出しで向かった東京プリンスのコーヒーショップの空気は、初めて会った時とは真逆で、凍りついたようだった。

 「高城さん、レッドアロー社というところの5000万の不明在庫の件、本社が問い質しています。どう説明しますか」

 なぜそのことを知っているのだ、しかも損害額が拡大されている。

 「その件でしたら部下の凡ミスで、すでに手は打ってあります。なぜそんな社外秘の情報をご存知なのですか?」逆に聞いた。

 「『手』の内容をちゃんと説明しなければ本社は納得しませんよ。出来ますか?」

 「わかりました、きちんとペーパーをご用意します。1日だけ時間を下さい」

 

 徹夜して書き上げた弁明書を手に、高城は男に説明した。

 「わかりました。先方に通します。しかし高城さん、この弁明が通るかどうかは私の力の及ばないところです。それはご理解下さい」

 「わかっています。ぜひよろしくお願いいたします」

 

 その後あの男からメールが来たのは2週間後だった。結局高城の新会社での採用は見送りとなったと書かれていた。

 そこには今回雇用契約を破棄する違約金として、特段の条項はなかったにもかかわらず、500万円を支払うと書かれていた。500万もらったところで、今更現社に戻る場所はない。社長に直訴なんて出来る柄じゃない。もはや何も出来ない自分に対し、後悔しても後悔しきれない思いだった。これまで最年少で課長、部長から本部長まで上り詰めた自分のプライドが、損害賠償請求でこのことを世に知らしめてしまうより、現実の道、別の就職先を探すという道を選ぶことにしたのは高城らしい現実感と尊大な自尊心を共に満たす選択肢だった。

 

 「シュタイン社長、500万も払って良かったんですか?」

 「大丈夫です。退職勧奨のパッケージと思えば想定の半額以下で済みました」シュタイン氏は平然と答えた。

 「やはり候補者人材のサーチは継続ですね」

 「引き続きお願いします。社内にもはや人材がいないことは私が一番知っています」

 「しかし好都合なタイミングでレッドアローの件が出ましたね。あなたはついておられる」

 シュタイン氏は穏やかな笑を浮かべつつ、無言で去って行った。

 

 「もしかしてレッドアローの件も社長が...・。いややめておこう。幕はもう下りた。高城氏もいろいろなヘッドハンターとコンタクトを始めたみたいだし。彼さえうまく次が見つかれば、世はすべてこともなし、だ」
男も同じように都会に消えていった。

 

(投稿者:大村嶽山)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。