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社内交渉人(ネゴシエーター)の会議室争奪戦顛末記【一次選考通過作】

社内交渉人(ネゴシエーター)の会議室争奪戦顛末記【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 「だからよォ」

 テレビ会議画面の向こう側からこちらを睨む統括部長の眼鏡がぎらりと光った。

 「この報告書はアレだろ? この会議やり過ごすのにあちこち体裁作ってあるだろ? いいから生の進捗出してくれ」

 同僚がしどろもどろになりながら説明を続ける間にも、統括部長によって次々と資料の穴が暴き立てられる。中くらいの中小企業とはいえ、トップの手前まで登り詰める人間はやはり何処か違う。

 恐縮しきりの同僚は大変気の毒なのだが、次の報告は自分の番なのでこちらも助け船を出すどころではない。

 「じゃあ、以上の指摘事項は次回まできちんとした説明が出来るように把握しておくように。次」

 「はい、それではプロジェクトの進捗と課題の整理から説明いたします」

 俺の資料は大丈夫だよなあ。

 軽い動悸を覚えながら、俺は手元資料の説明を始めた。

 

 途中、何度かボロを出しそうになりつつおおむね良好な状態で報告を終える。

 カメラの視線から外れる位置まで来てようやく一息つくと、その俺の脇をギリギリ場違いじゃないコロンの香りを漂わせながら颯爽と通り過ぎる奴が居た。

 「今日は怒られなくて良かったですね? ツグハラさん」

 「まあなんとか」

 内心『余計なお世話だ』と思いながら声の主を横目に見ると、同じく横目にこちらを見ている中田葵と目があった。次が自分の番だというのに俺とは随分余裕が違う。おまけに軽口を叩いたのにまるで目は笑ってない。

 そう云う嫌味な態度はもう少し巧く隠蔽するもんだ。

 「ああそれから」

 肩をすくめて退室しようとした俺の背中を声が追いかける。

 「会議室、このあとこのまま打ち合わせで使いますので」

 「ああ、はい」

 無意識に出そうになったため息を喉元で押し殺す。何しろ女は勘がいいからな。

 

 うちの支所が管轄する地域に新規のプロジェクトが立ち上がったのはおおよそ3ヶ月前のことだ。それほど大きい額の仕事ではないが、官公庁仕事に対する圧倒的な依存状態を解消するべく民需を掘り起こせ、と云う社長方針と一致した事もあって全社的な注目度はまあまあ高い。

 そんな追い風の吹いている仕事だから、是非とも支所の人間で賄いたい所だったが、猫の手はおろか、手と名の付くものなら願いを叶える猿の手にすら頼みたくなるような忙しさで、新しいプロジェクトを受け持つ余裕などどこを探しても見あたらない。

 かくして、首尾良く仕上げれば担当者の出世街道を半歩くらい進める美味しそうなお仕事はまんまと本社案件となり、中田マネージャーのご登場と云う運びになったわけである。

 実際のところ、手が足りずに仕事を零したと云うジレンマ、地域案件を本社に持って行かれたと云う潜在的な不満などで内心穏やかではない面子もいるようだ。が、俺はこの仕事が支所の担当にならなくて良かったと思っており、なんとなれば、納入先が転職前の元職場であるからだ。

 そんな案件、関わり合いになりたくないに決まっているだろう。

 これで、本社からお出ましのプロジェクトマネージャーが穏当な人物なら俺としては文句なしだったのだが、どうも世の中、そこまで糖度が高くはできていないらしい。

 

 注目の仕事を任されるだけあって、中田マネージャーは優秀な人物だ。そもそも、我が社では女性社員でマネージャー職まで上がってくる社員の絶対数が少なく、この一点だけ取っても素養の一部は窺い知ることができると云うものだろう。

 ところが、この中田葵マネージャーは率直な人柄と云うか、自信家と云うか、ほんの少しだけ横柄と云うか、愛されスキルに欠けると云うか、正論と押しの強さだけじゃ人って動かないじゃんと云うか、何と言ったらいいのか。

 端的に言えば狡さが足りない。

 おまけに、こちらもほぼ全員が手一杯の仕事を抱えてやさぐれており、気持ちの余裕は枯渇状態だ。よくもまあこんな状況にこんな人物を寄越してきたものだ。人選ミスじゃないのか、本社さん。

 例えるならば枯れ野原に火種、火薬庫に点火済みの火炎瓶を放り込むようなものだ。

 

 余談だが、災難と云う奴は、例えば自然災害、鳥の糞、道に落ちたガムなどの形で降りかかってくる。遭遇する側にするとたまったものではないが、災難の方は時と相手を熟考してくれたりはしない。

 そして、今回俺に降りかかった災難は敏腕プロジェクトマネージャーの姿をして訪れた、と、こういう事だ。正月に厄除けのお守りを買っておかなかったのが悔やまれる。


 

 中田マネージャーの担当顧客(かつ、俺の元職場)は、地域に幾つか店舗を持つ文具とOAの販売店で、誰が思いついたものかインターネット通販を始めるらしい。

 元々店舗では会員向けポイントカードを発行していたが、通販会員にもポイントを付与し、これを従来のポイントカードと統合して運用したいと云うのが客先要望らしい。

 ちょっと考えただけでも、売り上げの割にやっかいな山場が幾つかある仕事になりそうで、仕事を逃がしておかんむりの支所長には悪いが、これは取り逃がして正解だったような気がする。

 プロジェクトが動き出してみると案の定、客先と詰めなければならない課題が山のように発生し、必然的に中田マネージャーとプロジェクトチームは入れ替わり立ち替わり支所に詰めるようになった。

 【詰める】と書けば一言だが、支所では人手の他に椅子も机も余裕がない。必然的に彼女たちの常駐場所は会議室となり、会議室が占有されると支所の業務が何かと不便だ。

 それでなくても不快指数の高まる昨今、これはたぶん火種になるなと予想したのは俺ばかりではあるまい。

 そんな、ある日のこと。

 外部と協業の仕事を任されている同僚マネージャーに、二次受けの業者が打ち合わせで訪ねてきた。例によって会議室は塞がっており、折りの悪いことに応接には別の来客。

 弱ったな、と云う空気が流れたところで会議室の扉が開き、中田マネージャーが姿を現した。

 中田マネージャーは事務所のプリンタから出力された資料を手に取るとすぐさま会議室に引き返し、彼らに一瞥も入れることはなかった。

 そこに立ってる人たちは、君らが会議室を占有するから困ってるんだがな。悪そうな顔で会釈の一つも入れればまた様子が異なるものを。

 見れば業者を待たせていた彼の口元は、音が出る寸前の舌打ちをどうにか飲み込んでいた。

 ああ、沸騰寸前だ。

 結局、業者と一緒に近くの喫茶店に出て行った背中を見ながら、そろそろお鉢が回ってくるな、と予想する。果たしてその日、俺は支所長に呼び出された。

 

 「ツグハラ君、あれ、何とかならないもんかね」

 事務所近郊にある喫茶店。支所長はガムシロップが大量投入されたアイスコーヒーを吸い込んだ。

 「あれ、と云うのは中田葵マネージャーの件ですかね」

 そこを何とかするのは支所長の仕事なんですけども、の一言は辛うじて肺から出さない。

 「そろそろ皆も限界に見えるしなあ」

 手は動かさないのにそんな所はよく見ている。

 「しかし、会議室から追い出すわけにいかないでしょう。貸事務所を借りるにはプロジェクト費用が小さいようですし」

 「つまりそれは、金のかからないプロジェクトルームが何処かにあればいいと云う話だよね、ツグハラ君」

 アイスコーヒーのグラスをストローでくるくるかき混ぜながら、支所長が謎かけのように微笑む。

 なるほど。

 「ええと、支所長」

 謎かけの答えは推測が付いた。

 「つまり、ただで借りられそうな部屋に当たりをつける折衝と、中田マネージャーが素直に会議室を明け渡す段取りをつけろ、と」

 それって、明らかに俺に関係ない仕事ですよね、の一言が肺から喉元まで込み上がったがぐっと飲み込む。

 「マ、頼むよ」

 「支所長」

 伝票を持って席を立ちかけた支所長に声を掛ける。

 ここのコーヒー代だけでは割に合わないにも程がある。支所長にもちょっと働いて貰おう。

 「引き受けますけど、二つばかり力を貸してください」

 

 喫茶店から会社に戻る道すがら、俺は早速携帯を取り出す。

 「どうも、ご無沙汰しております、ツグハラです。この度は大変お世話になっているようで、ええ、ええ。それで、お世話になりついでと言ってはあれなんですが、折り入ってご相談がありまして......」


 

 数日後。

 俺は中田マネージャーしか在籍していないタイミングを見計らって会議室の扉を叩いた。

 「何か?」

 報告書の整理でもしていたのだろうか、ノートパソコンの画面から一瞬だけ顔を上げた中田マネージャーがマウスから手を離しつつこちらに視線を向けた。洒落た眼鏡の奥に輝く瞳が『手短に』と訴えている。

 「実は、報告と根回しをかねて話があってですね」

 会議室の長机にクリアファイルを置き、中田マネージャーと俺の間に席を一つ空けて椅子を引いた。

 「次の定例報告で、稟議を1本上げようと思ってるんですよ」

 「稟議、ですか」

 「【会議室の使用にかかる社内ルールの変更】です。手っ取り早く言うと、この支所の会議室を使用する場合、事前に支所長承認を通すようにルール変更します」

 中田マネージャーの眉がぴくりと動く。

 「どういう意味ですか」

 「中田さんのチームが今のように会議室を占有できなくなります」

 中田マネージャーはまるで動じることなく、むしろ僅かに口元を綻ばせた。まるで、支所の人間が苦情を訴えて来た際の対策は十分している、と云わんばかりだ。

 「ツグハラさん、」

 「ああ、ちょっと待ってください。その前にもう一つ。ちょっとこれを見て頂きたいんですが」

 俺は彼女が用意していたのであろう完全な反論を言い出す機先を制して、手元のクリアファイルから資料を取り出した。

 「今回の案件で、本社の検証用サーバに実験環境を作ってますよね。少しばかりツテがあって拝見したんですけど、あのシステム、バグがありますよ」

 A4ベタ打ちの資料を眺めていた目つきが変わる。

 「そこに書いてる手順で操作していくと、商品購入がなくてもポイント付与されちゃうんですよ」

 「そんな」

 「いやあ、他チーム案件の検証環境を覗き見るなんて行儀が悪いですから、」

 俺は内容物のなくなったクリアケースをゆっくりと中田マネージャーに差し出しつつ言葉を続ける。

 「これはまだ誰にも報告していません。担当のSEに教えてこっそり直しとけば問題になりませんよ」

 「......ご指摘ありがとうございます」

 怒りか、重大バグを事前発見できた安堵か、資料から俺の顔に目線を写した瞳の色からは感情を読み取れない。

 「それで会議室の件なんですが、会議室の使用時間に制限が入ると色々とご不便でしょう。ひとつ解決策の提案があってですね。そんなに悪い話じゃないと思うんですよ」

 

 更に数日後。

 中田マネージャーのプロジェクトチームは納入先の空き部屋を間借りしてプロジェクトを進める運びとなった。結果だけを見てみると、むしろ彼女たちの仕事環境は便利になったと言えなくもない。

 支所の雰囲気は良くなり会議室も開放され、怪我の功名で重大バグも1件潰れた。めでたしめでたし、大団円。

 このまま事が終われば、全く文句のないエンディングなのに、残念なことにこの顛末記には後日談がある。


 

 「だからよォ」

 テレビ会議画面の向こう側からこちらを睨む統括部長の眼鏡が鈍く光っている。

 「生の報告を上げろとは言ったけどな、そんな甘っちょろい対処で良いわけないだろ」

 冷や汗を通り越して、合わせ鏡の箱に閉じこめられて油を絞られるガマガエルの様相を呈してきた同僚を横目に見ながら手元資料の最終チェックを行う。何度経験してもこの報告会は慣れない。

 這々の体で報告を終え、会議室から引き上げる同僚の背中にはなにやら哀愁すら漂っていた。

 「ああ、次はツグハラか」

 「はい、プロジェクトの進捗と課題整理から......」

 「予定通りなのか?」

 「オンスケジュールです」

 「じゃあ、いいや。んでよ、ツグハラ」

 「はい」

 「後で支所長から内示出すけど、お前下期からシニアマネージャーに上げるから」

 「はい?」

 昇進前って、もう少し場の空気と云うか、なんかあるもんじゃないの。

 「なんだ不満か」

 「いえ、とんでもない!」

 「ツグハラには上位マネージャーとして今の仕事の他に部下の仕事を見て貰うことになるからな」

 「部下ですか」

 よく見れば、テレビ会議画面の向こうにいる統括部長の頬が緩んでいる。何か嫌な予感が、と思いかけたところで会議室の扉が開き、誰か入ってきた。

 「ツグハラの下には中田を転属させて面倒を見て貰う」

 「そう云う訳で」

 横からあまり聞きたくない声がする。

 「下期からよろしくお願いします。シニアマネージャー」

 隠し損ねて恨めしげな表情を出してしまっていた俺の顔を満足げに眺めると、統括のとどめが飛んできた。

 「しっかり働けよ、ネゴシエーター」

 なんでここで支所ローカルのニックネームが出てきますか。脳裏に支所長の顔が浮かぶ。周到な根回しと計略はどうやら俺だけの専売特許ではないらしい。

 「話は以上だ。次」

 呆然と席を離れると、中田葵と目があった。小首をかしげて一度だけゆっくり瞬きをしたその動作からは、彼女の意図を読み取ることができなかった。

 

 災難と云う奴は、例えば天変地異、急な夕立、うっかり踏んだリンゴの芯などの形で降りかかってくる。

 そして今度の災難は、有能なのに残念な部下の姿をして訪れてくるらしい。正月に厄除けのお守りを買っておかなかったのがつくづく悔やまれる。

(投稿者:いとう椿)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。